そんなに怒らなくてもよい場面で、無性に腹立たしく感じる理由

客観的に見れば、
さほど大したことではなく、
そんなに怒らなくてもよいのに、
なぜか怒りの感情が
強く湧き出てくることがある。

自分にそのような経験があったり、
他人がそうだったりしたことは、
今までなかっただろうか?

こんな場合、
「そんなことで怒るなんて、なんだよ!」
と自分や相手に呆れてしまう。

でも、怒らなくてもよさそうなことに、
怒りの感情が強く出るのは、
それなりに理由がある。

今回の話は
怒りの感情の裏にあるものについて。

怒らなくてもいいはずなのに、
なぜか強く怒ってしまう自分や
他人を理解するのに、役立つはずだ。

そんなことで怒らなくてもいいのでは?
と思われても、怒ってしまうのは、
怒りが二次的な感情だからだ。

怒りの感情の奥にある本物の感情が
隠されていることが多々あるからだ。

本物の感情とは、
悲しみだったり、無価値観だったり、
不安、残念感、苛立ち、
心配、寂しさ、不甲斐なさ、
恥ずかしさ等々。
様々な感情が隠れている。

このようなネガティブ感情を
面と向かって感じることは、
かなりツライ。

だから、無意識のうちに
怒りの感情に
摩り替えてしまっている。

つまり、怒りの感情は
代理感情だと思ってもよい。

傍からすれば、ちょっとしたことなのに、
強い怒りが湧いてくるのは、
その本人の心の問題から
生まれることもしばしばある。

これは、私が昔経験したことだ。

ヘアカットをして貰いたく、
電話で美容院の予約を取った。

予約してから3時間後くらいに、
担当の美容師さんから電話が入り、
「悪いけど、予約時間を変えて」
とのこと。

その理由は、
私の予約時間だった午後4時に
他のお客さんが来たいと言ったからだ。

このお客は午後4時以外は
都合が悪いそうだ。

私にとっては、
他の時間でもさほど問題なかった。

だから、美容師さんの依頼通り、
時間を変えてあげればよかった。

でも、私はそうできなかった。

「このお客さんは4時でなければ
ダメなのよ」と聞いた時、
なぜか私はイラっときた。

美容師さんの言い方が
あまり丁寧でなかったせいも
あるかもしれない。

私はその場で
怒りの感情に襲われて、
「もういいです。
私の予約はキャンセルしてください」と言い、
その後、その美容院へ行くことはなくなった。

後になって、自分で考えても、
そんなに怒ることでもないのでは?
と思えた。

それなのに、なぜ、私は
強い怒りの感情に襲われたのだろうか?

その理由は、
「私は大切に扱われていない」
と悲しく感じたからだ。

もう既に私が予約を取ったところに、
他の客の都合が優先されるのは、
自分はその客に比べて、
重要ではないと思われているから。

私は他人から大切に扱われるほど
価値ある人間ではないから
と思ったからだ。

実際には、それは正しくなくても、
無価値観で苦しむ私は
自分が大事に扱われていないようで
悲しさを感じていた。

私が無価値観で苦しむ原因は
元をたどれば
私の険悪な親子関係から来ている。

子供の頃、また、成人してからも、
親から自分を大切に扱って貰えなかった
という気持ちが、私の中にある。

これが原因で、
私は価値ある人間ではない
とまで思い込んでしまった。

私の心の奥底に潜んでいた
無価値観が劣等感に発展して、
私は非常に苦しんでいた。

美容師さんの立場では、
できるだけ多くの客を取り、
自分の収益を上げたいと願っている。

ただそれだけの理由で、
私が時間を変えてあげれば、
より多くの客を取れるので、
美容師さんにとっては好都合だ。

私のことを低く見ているとか、
大切にしていないなど
そんなことは全く考えていない。

しかし、私は、
自分が価値のない人間だから、
低く軽く見られているから
とまで解釈していた。

ここから勝手に
自分に対する無価値観の妄想が始まった。

その時私の心で起きていることが
他人に知られることがあれば、
「ちょっとこの人、変ではないか?」
と疑われるような妄想を
私はしていた。

しかし、私にとっては
過去の両親との嫌な思い出が
心の深い傷となり
未だに自分の中に残っている。

だから、ちょっとしたことでも、
そのように感じてしまうのは
ある意味、仕方ないことだ。

客観的には
私の認知が非常に歪んでおり、
そのせいで、私は苦しんでいる。

しかし、
そういう心の歴史を持つ人には、
心の健常者には理解し難い物がある。

普通に考えれば、
予約の時間を変えてくれ
と依頼されること自体、
怒るようなことではない。

でも、私にとっては
かなりイラっと感じられて、
予約を取り消してしまうほどだ。

私の怒りの感情の裏には、
自分に対する無価値観があり、
悲しみがあった。

私の心の中のその部分が刺激され、
私は勝手に
非現実的な妄想をしていた。

他者との人間関係において、
「そんなことで激怒しなくても」
と不可解な場面に出くわした時、
怒りは代理感情だと知っていれば、
かなり役に立つ。

きっとこの人には
何らかの事情があり、
怒りの感情の裏には、
もっと別の感情が隠れているんだ
と考えてあげればよい。

そうすることで、
下手に相手を非難したり、
相手の人間性を疑ったり、
攻撃したりする気持ちもなくなる。

怒るようなことではなくても、
その出来事が
その人の中にある心の問題に触れて、
強く刺激して、別の感情が生まれた
と解釈すればよい。

そうできれば、
相手に対して
不当な言動をすることもなく、
優しい目で温かく見守ることもできる。

「こんなことで怒らなくても」
と思っても、相手が激怒していたら、
何らかの事情により、
怒りの感情の奥には
本当の感情が隠れている。

本当の感情が
具体的には何なのかは分からない。

でも、問い詰めることなく、
「自分には分からないけど、
何かあるんだろうな」
と優しく察してあげて、
そっとしてあげることができる。

自分に対しても、他人に対しても、
怒りは代理感情だと覚えておけば、
「変な人だ」と非難することもせず、
優しい気持ちになれる。