人間関係の鏡:イライラをきっかけにした自己発見

この記事では、他人を通じて
自己発見をする方法
についてお話しします。

自分を知るためには、
自己観察が重要ですが、
それだけでは
見えてこない部分もあります。

実は、
他人との関わりを通してこそ、
自己理解が
深まることがあるのです。

いったい
どういうことでしょうか?

今回はこのテーマを
深掘りしていきたい
と思います。

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こんな経験はありませんか?

相手が特に悪いことを
したわけでもないのに、
その人の存在が
不愉快に感じられることは
ありませんか?

顔を合わせるたびに
嫌な気分になり、
ため息が漏れることも
あるでしょう。

時にはイライラが
募ることもあります。

この感情の理由が
はっきりしている場合もあれば、
そうでないこともあります。

ただ、その人が
気に入らないのです。

そのため、つい冷たい態度を
取ってしまうことも
あるでしょう。

しかし、
こうした感情が湧いたときこそ、
少し立ち止まって
一呼吸おいてみる価値が
あります。

実は、こうした状況には
意外な事実が
隠れていることが
多いからです。

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相手の問題ではなく、自分自身の問題だった!

実は、相手にイラつく要素がある
と感じるとき、それは
自分自身の中にも
同じ要素が存在する可能性が
あります。

自分がその要素を嫌っているため、
他人の中にそれを見つけると
不愉快な気持ちになり、
イライラが募るのです。

たとえば、他人には厳しく
自分には寛容な人が
周囲にいたとします。

その人を見て「この人、
なんだか嫌だな。
見ているだけで不愉快だ」
と感じるかもしれません。

実際には、あなた自身も
他人に対して厳しい一方で
自分には寛大な部分が
あるのかもしれません。

その性質を
自分自身が嫌っているため、
心の中で抑え込み、
見ないようにしているのです。

自分で
気づいていない場合もありますが、
心の奥底では何となく
知っているかもしれません。

こうした場合、
自分の嫌いな性質を
他人の中に見つけると
嫌な感情が湧き上がり、
不愉快になるのです。

この現象を心理学では
「投影」と呼びます。

つまり、自分の中にある
嫌な一面が
他者を通して見えてしまうのです。

「投影」が起きていると感じたら、
他人を非難するよりも、
自分自身に課題がある
と認識したほうがよいでしょう。

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母と話すのがシンドイわけ

私は日本の実母と
電話やスカイプで話すのが
好きではありません。

その理由は、母の会話が
いつも体の不調に関するもの
ばかりだからです。

「足がしびれてしんどい」
「便秘でつらい」「年を取って
体も疲れて元気がない」といった言葉が、
毎回繰り返されます。

たまにならまだしも、
会話の大部分が
自分の体調不良に関する話で
占められているのです。

もちろん、高齢になれば
体のさまざまな部分に衰えが生じ、
体調を崩すことも理解できます。

でも、いつも
同じことばかり訴えられると、
正直なところ、
私はうんざりしてしまいます。

母の話を聞いていると
気分が沈むばかりでなく、
母に対する嫌悪感まで
湧いてくることが多いのです。

しかし、ある日、私は
意外なことに気づきました。

なぜ私が母との会話ごとに
嫌悪感すら湧いてくるほど
不愉快な感情に襲われるのか、
その理由がわかったのです。

それは、私自身も母と同じように、
自分の体の不調を夫に訴えて
不満を言うことが多かったからです。

私はそのような自分を
とても情けなく感じ、
自分自身を受け入れることが
できませんでした。

体調の悪さばかりを
他人に訴えることは
良くないと
考えていたのでしょう。

そして、時折それを抑えるように
自分自身に言い聞かせていました。

ところが、母は平然と
「つらいわ! つらいわ!」と繰り返し、
何でも言いたい放題です。

そのため、
私は不愉快な気持ちになり、
母に対する嫌悪感まで
抱いていたのでしょう。

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もしかしたらあなたにも?

「投影」という現象は、
多くの人々が気づかないまま
経験するものです。

相手の言動に
嫌な要素を見出してイライラするとき、
自分自身も同じような要素を
持っている可能性があります。

この嫌な側面をはっきりと
自覚できる場合もありますが、
そうでないこともあります。

ただ何となく
嫌な感じがするだけです。

どちらのケースでも、
自分はその側面を嫌い、
受け入れたくないと思っています。

そのため、心の奥底で
抑え込んでいるのです。

相手が同じ特性を持っている
と気づくと、イライラが増し、
不快な気分になります。

相手が特に
悪いことをしているわけでも、
迷惑をかけているわけでもないのに、
その相手を見るだけで
気分が悪くなるのです。

もし、見るたびに
イライラを感じる相手がいる場合、
自分自身に
問いかけてみる価値があるでしょう。

自分も同じような嫌な側面を
持っていないか、
振り返ってみることが大切です。

もし「実は自分も
その人と似たような一面を持っている」
と気づけば、相手に対する感情も
変わるでしょう。

その結果、
相手に冷たく接したり、
そっけなくなることも減り、
いつもよりも寛容に接することが
できるようになるでしょう。

身近にいるイライラする人も、
自分も、似たような性質を
持っていることがわかれば、
相手に対する理解も深まり、
人間関係の悪化を
防げるかもしれません。

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改善する?それともそのまま受容する?

他人を通して
自分の嫌な側面を発見したならば、
その側面を修正したり
改善することも可能です。

しかし、ここで
別の視点からも
考えてみてください。

そもそも、あなたが「悪い」
と信じていることは、
本当に悪いことなのでしょうか?

たとえば、他人に対して厳しく、
自分には寛大であるという性質は、
本当に否定すべきものでしょうか?

確かに理想的とは言えませんが、
自分が思うほど
悪いことではないかもしれません。

私たちは不完全な存在であり、
すべての面で完璧を求めることは
現実的ではありません。

理想を口にすることは多いですが、
実際には、自分自身が描く
理想の姿になることは
難しいでしょう。

人間である限り、
すべての面で完璧になることは
不可能です。

人は誰しも
素晴らしい面を持ちつつも、
欠点や至らない点も
必ずあります。

そう考えれば、
他人に対して厳しく、
自分に対しては寛大である性質も、
人間として
仕方のないことかもしれません。

この点が納得できれば、
その性質を持つ自分もまた、
人間らしいと考えることが
できるでしょう。

そして、他人も同じように
不完全な存在であると理解できれば、
自分や他人を
責めることも減るでしょう。

自分自身に対しても、
他人に対しても、
寛容な心が芽生えれば、
相手を受け入れることができ、
良好な人間関係を
築きやすくなるのです。

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おわりに:より良好な人間関係のために

特に何か嫌なことを
されたわけでもないのに、
その人と会うたびに
不快な感情が
湧いてくることがあれば、
冷静になり、自分自身を
振り返るとよいでしょう。

もしかすると、自分にも
その人と似たような
嫌な面があるのかもしれません。

じっくり考えてみてください。

もし自分にも
同じような一面があることに
気づけたら、それは一歩前進です。

その相手を通じて、
自分自身の問題に
気づけたということです。

必要であれば、
自分の嫌な一面を
改善することもできますが、
必ずしも自分や相手に
厳しくなる必要はありません。

私たちは皆、不完全な人間です。

人間として
至らない部分があるのは当然であり、
避けられない事実です。

欠点や足りない部分だけに
集中して自己評価を下げたり、
他人を非難したりしても、
建設的な結果は生まれません。

むしろ、
短所や弱点を優しく受け止め、
そのままの自分や他人を
受け入れることが大切です。

寛容な心を育てることで、
自分も楽になり、
人間関係のトラブルも減るでしょう。

これは自分にとっても、
相手にとっても望ましいことです。

他人を通して自己発見することで、
より深い自己理解と
人間関係の改善が期待できます。

相手に対する見方が変われば、
対話の質も変わるでしょう。

自分自身を理解し、
受け入れることで、
他人との関係も
より豊かで平和なものに
なるでしょう。

自己発見の旅を続け、
寛容な心を持ち、
他人を受け入れることで、
あなたの世界は
さらに広がるでしょう。