私たちは日々、
数え切れないほどの
「常識」に従って生きています。
「こうするのが当たり前」と思い込み、
疑うことなく
「常識的」とされる行動を
とっているのです。
しかし、この「常識」こそが、
私たちの可能性を狭め、
本来の自分から
遠ざけているのかもしれません。
この記事では、
なぜ「常識」を疑うことが大切なのか、
その理由を考えます。
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時代の波に乗るのか、それとも取り残されてしまうのか?
私たちが「これが正しい」
と信じている多くのことは、
永遠不変の真理ではありません。
それらは、
ある文化や社会の中で生まれた、
そのときどきの価値観にすぎないのです。
たとえば、ほんの数十年前まで、
多くの職場では
喫煙が当然のように行われていました。
会議室でタバコを吸いながら
話し合うことが、
大人としての品格を示す行動だ
と考えられていたほどです。
その一方で、現在では
受動喫煙による健康被害が明らかになり、
公共の場での喫煙は制限され、
職場でも厳しく
管理されるようになりました。
かつて「常識」とされていた行動が、
科学の進歩によって
まったく異なる評価へと変わったのです。
教育の分野にも、同じように
大きな変化が起きています。
以前は
「子どもは厳しく叱って育てるべきだ」
という考え方が一般的で、
体罰さえも教育の一部として
容認されていました。
ところが、
発達心理学の研究が進むにつれ、
恐怖や罰で言うことをきかせるより、
肯定的なフィードバックを与え、
子どもの自主性を尊重するほうが
心の健康や成長に良い影響をもたらすことが
明らかになりました。
そのため、かつての「当然」は、
今では見直されるべき対応として
扱われています。
働き方についても、
価値観は大きく変わりました。
以前は「終身雇用」や
「会社への忠誠心」が美徳とされ、
一つの会社に長く勤めることが
理想と考えられていました。
それに対して現代では、
複数の企業を経験しながらスキルを磨き、
自分に合った環境を選ぶという生き方が
前向きで賢明な選択として
受け入れられています。
リモートワークや
フリーランスという働き方も、
かつては「不安定」と見なされていましたが、
今では選択肢のひとつとして
尊重されています。
このように、
私たちが疑いなく従っている「常識」は、
時代とともに姿を変え続けています。
昨日の正解が、今日には
誤りとして扱われることも
めずらしくありません。
もし私たちが
過去の常識にとらわれ続ければ、
変化し続ける社会のスピードに
追いつけなくなるでしょう。
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多数派の声に流されて自分を見失う危うさ
心理学には「同調圧力」
という言葉があります。
これは、
周りと同じ行動や意見を取ろうとする、
人間の心理的な傾向を指します。
常識と呼ばれるものは、多くの場合、
この同調圧力によって
強く支えられています。
「みんながそうしているのだから
間違いない」と考えるとき、
そこには安心感があるでしょう。
けれども、その考え方には
大きな落とし穴があります。
多くの人にとって自然に思えることが、
自分にとっても正しいとは限りません。
人はそれぞれ
性格も能力も価値観も違い、
目指す生き方も異なります。
それなのに、「普通はこうするものだ」
という基準に合わせようとして
無理を重ねれば、自分らしさが失われ、
心のバランスを崩してしまうでしょう。
本心に背を向け続ける状態が長く続けば、
知らないうちにストレスが蓄積し、
心の健康を損なうおそれがあります。
たとえば、静かな場所で一人のほうが
集中できる人がいたとします。
しかし、「チームワークが大切」
「コミュニケーション能力が何より重要」
といった空気に合わせて、
無理に外向的に振る舞おうとすれば、
次第に心が疲れ、本来の力を
発揮できなくなるでしょう。
キャリア選びも同じです。
「安定した大企業に入ることが成功だ」
という常識を疑わず受け入れた結果、
本当は創作活動に情熱を持っている人が、
周囲の期待に合わせて
別の道を選んでしまうことがあります。
最初のうちは褒められ、
安心できるかもしれません。
しかし、年月を重ねるうちに、
「これは本当に
自分が望んだ人生なのだろうか」
と疑問を持つようになり、
満たされない気持ちで
生きていくことになるでしょう。
社会心理学の研究では、
人の期待に応えて評価を得ようとする
「外発的動機づけ」より、
自分の興味や価値観に基づいて行動する
「内発的動機づけ」のほうが、
長く続く満足感や幸福感に
つながるといわれています。
つまり、常識という
“他人の声”に合わせることばかりに
意識を向けていると、
自分の“内なる声”を
聞き取れなくなってしまうのです。
一時的な安心と引き換えに、
本当の自分を置き去りにしてしまう、
それが多数派に流されることの
怖さなのです。
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固定観念が、可能性の扉を閉ざしてしまうとき
私たちの考え方は、
しばしば「メンタルモデル」と呼ばれる
思考の枠組みによって左右されます。
これは、これまでの
経験や学びが積み重なってできた、
物事の見方や判断のパターンです。
いわゆる「常識」と呼ばれるものも、
このメンタルモデルの一部として働き、
「これが普通」「これは無理」
といった境界線を、
私たちの中に引いてしまうのです。
心理学には「機能的固着」
と呼ばれる現象があります。
ある物や考え方を、
一つの使い方や意味でしか
捉えられなくなる傾向のことです。
たとえば
「ハサミは紙を切る道具」
という固定観念があると、
ネジを回すときにハサミの柄を使う、
といった発想はなかなか浮かびません。
常識も同じように、
思考を柔軟にする力を奪い、
可能性を狭めてしまうのです。
歴史を振り返れば、
「そんなことは無理だ」「非常識だ」
と言われた挑戦こそが、
新しい時代を切り拓いてきました。
飛行機を生み出したライト兄弟も、
当時の科学者たちから
「人間が空を飛ぶなんてありえない」
と笑われていたのです。
スマートフォンが登場する前も、
「電話は通話するための道具」
という固定観念が、
世界中の人々の思考を
縛っていたのでしょう。
こうした例が示しているのは、
常識を疑い、既存の枠を越えて
考える姿勢こそが、
新しい価値を生む原動力になる
ということです。
心理学者ジョイ・ポール・ギルフォードは、
創造性には「拡散的思考」が
欠かせないと説きました。
これは、一つの問題に対して、
さまざまな可能性を探ろうとする力です。
常識に縛られた「収束的思考」では、
あらかじめ決められた正解に
たどり着くことはできても、
まったく新しい解決策を
見つけることは難しいでしょう。
これは
個人の人生にも当てはまります。
「この年齢から
新しいことを始めても遅い」という思い込みは、
多くの場合、根拠のない
“自分への制限”にすぎません。
発達心理学の研究によると、
人間の脳は一生を通じて学び続け、
変化し続ける力を持っています。
だからこそ、常識という名の鎖で
自分の可能性を閉ざしてしまうのは、
あまりにももったいないことでは
ないでしょうか?
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安全地帯にとどまることの代償
人には、生まれつき
「現状を保とうとする力」が
備わっています。
心理学では、
これを「現状維持バイアス」と呼びます。
変化には
不安やリスクがつきものだからこそ、
私たちはつい、慣れ親しんだ環境に
とどまろうとしてしまうのです。
常識に従うという行動もまた、
この「安全地帯」に身を置くことだ
といえるでしょう。
周囲と同じ行動を取っていれば、
批判されたり
浮いたりすることはありません。
「普通でいること」は、
社会の中で摩擦を避け、
安心して受け入れられるための
最も簡単な方法です。
そして、その安心感には
確かに意味があるでしょう。
人は社会的な存在であり、
「誰かとつながっていたい」
「仲間の中にいたい」という気持ちが
満たされるからです。
けれども、
その安全地帯に長く居続ければ、
知らないうちに成長のチャンスを
逃してしまうでしょう。
人が本当に成長するのは、
快適な領域の外側に出たときです。
新しいスキルを学ぶ、未知の経験に飛び込む、
これまでとは違う考え方を試してみる。
こうした行動はすべて、
一時的な不安や居心地の悪さを伴いますが、
それこそが成長のためには必要なのです。
未知の世界に飛び込むことは
確かに不安もありますが、
その先に、自分を広げる
機会が待っているのです。
また、常識にただ従うだけの生き方は、
考える力を鈍らせる危険もあります。
「なぜそうするのか?」
と問い直す習慣を失えば、
やがて自分で判断する力が弱まり、
他人の価値観に
振り回されてしまうでしょう。
常識という安全地帯は、
心を休める場所ではありますが、
そこにとどまり続ければ、
考える力が身につかず、
成長の機会を失ってしまうでしょう。
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見えない力が「常識」をつくり出すとき
私たちが当たり前のように信じている
「常識」は、必ずしも
自然に生まれたものではありません。
多くの場合、それは
社会の仕組みや力のバランスの中で作られ、
都合よく使われてきた価値観でもあります。
たとえば、昭和の時代に根づいた
「長時間働くことは美徳」という考え方を
思い出してみてください。
この常識は、いったい誰にとって
都合がよかったのでしょうか?
働く人の健康や幸せではなく、
生産性や利益を重視する企業側にとって、
これほど便利な価値観はなかったはずです。
「遅くまで残っている人ほど頑張っている」
「早く帰るのは怠けている証拠」
といった考えが広まれば、
働く人たちは自ら進んで長時間労働を受け入れ、
疑問を持つことさえなくなるでしょう。
同じように、「我慢は美徳」
「弱音を吐いてはいけない」といった常識も、
慎重に見直す必要があります。
一見すると
立派な生き方のように聞こえますが、
実際には不満を口にしたり
問題を訴えたりすることを難しくし、
結果として社会の不公平や不条理を
そのままにしてしまうおそれが
あるからです。
さらに、
「成功はすべて本人の努力次第」
という考え方も、
よく耳にすることです。
もちろん努力は大切です。
しかし、私たちの人生には、
生まれ育った環境や与えられた機会、
使える資源など、
自分の力ではどうにもできない要素が
いくつも関わっています。
それなのに、
「うまくいかなかったのは
努力が足りなかったから」と、
すべてを個人の責任として
押しつけてしまえば、
本当の問題――
つまり社会の構造に潜む不平等――から
目をそらすことになるでしょう。
努力しても
うまくいかない人は自分を責め、
成功した人は
「自分の力で勝ち取った」と自負する。
こうした思い込みが積み重なることで、
社会全体の歪みが見えにくくなり、
問題解決を遅らせてしまうのです。
常識の中には、誰かにとって都合のよい
「仕組まれた考え方」
が潜んでいるのです。
だからこそ、
私たちは必要なときには立ち止まり、
「この常識は、本当に正しいのだろうか」
と問い直すことが大切です。
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自分の人生の脚本を、自分の手で書き直す
ここまで、
常識を疑うことの大切さを、
さまざまな角度から見てきました。
では、もし私たちが
その「常識」という枠から
自由になれたとしたら、
どのような変化が起きるのでしょうか?
いちばん大きな変化は、
「自分で選んで生きている」という実感――
つまり“自己決定感”を取り戻せることです。
心理学者エドワード・デシと
リチャード・ライアンが提唱した
自己決定理論では、
人間の幸福と心の健康のために欠かせない
三つの基本的欲求として、
「自律性」「有能感」「関係性」
が挙げられています。
このうち、自分の行動を
自分の意思で選んでいるという“自律性”は、
幸福の中心にある感覚だと言われています。
常識に従うだけの生き方は、
まるで誰かが書いた脚本に沿って
演じているようなものです。
もし常識を立ち止まって見直し、
自分にとって本当に意味のあるものを
選び取ることができれば、
私たちは自分の人生の主人公として
生きられるようになるでしょう。
「こうあるべき」ではなく
「こうありたい」という軸で
日々自分で選び取ることで、
心の奥から湧き上がるような充実感と、
自分らしく生きているという確かな実感を
得られるのです。
さらに、
常識から自由になることは、
他者への理解や
思いやりにもつながります。
「普通」という枠に
自分を縛らなくなると、
人の価値観や生き方の違いにも
自然と寛容になれるからです。
「自分と違う=間違っている」
という考え方から、
「人それぞれの違いが
世界を豊かにしている」という視点へと
変わっていくでしょう。
大切なのは、すべての常識を
否定することではありません。
一つひとつを丁寧に見つめ、
自分の人生にとって
本当に意味のあるものは残し、
そうでないものは手放していくこと。
その積み重ねが、自分らしい生き方へと
つながっていくでしょう。
常識に縛られない生き方とは、
誰かの期待ではなく、
自分の心に誠実であること。
そうできれば、私たちは、
自分自身の脚本に沿って
自分らしく生きてゆくことが
できるでしょう。
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おわりに
この記事では、
「なぜ常識を疑うことが大切なのか」
について考えてきました。
私たちは日々、無意識のうちに
「常識」という名の枠の中で
生きています。
しかし、その枠は必ずしも
真実や正解を示すものではありません。
常識は時代とともに移り変わり、
かつて当たり前とされていたことが、
今では非常識と
見なされることもあります。
つまり、常識は
絶対的な基準ではないのです。
常識に従うことで、
周囲との調和や安心を
得られる場面もあるでしょう。
しかし、その安心の中で
自分を見失ってしまう危うさも
存在します。
思い込みや固定観念は、
私たちの思考を狭め、成長の機会や
新しい発想を
遠ざけてしまうことさえあるのです。
だからこそ、常識を疑い、自分で考え、
どう行動するかを自ら選び取ることが
大切なのです。
そうすることで、人生は
もっと自由で豊かなものになるでしょう。
常識という安全地帯から
一歩踏み出すことは
勇気がいりますが、その一歩こそが、
自分らしく生きるための
始まりとなるでしょう。
どうか必要なときには立ち止まり、
「これは本当に当然のことなのだろうか」
と自分に問いかけてみてください。
その小さな問いを続ける習慣が、
あなたを縛っていた常識を
少しずつ解き放ち、
あなた自身の人生の脚本を
書き直す手助けになるでしょう。