がっかりする出来事が起きても、そんなに凹まなくてもよい!

私たちは、
日々身の回りで起きることに
喜んではしゃいだり、
悲しんで凹んだり
してしまいがちだ。

しかし、起きたことに対して
感情を激しく
アップダウンさせ、
心を疲弊してしまうのも
ちょっとバカらしい!

なぜ、そうなのか?
その理由をお話したい。

====

特定の出来事に対して、
喜びで感情がハイになったり、
逆にローになったりしても、

結局のところは、
その出来事が良いことなのか? 
悪いことなのか? 
分からない。

だから
そんなに深刻に
受け止めなくてもよいのだ。

次の昔話を聞けば、
このことがよく分かる。

昔々、中国の山奥に
農夫が住んでいた。

ある日、
彼の大切にしていた馬が
突然逃亡した!

村人は農夫にこう言った。
「馬が逃亡したんだって?
災難だったね」と。

それに対して
農夫は軽い表情で答えた。
「まあ、そうかもしれないね」と。

翌日、逃亡した馬は
7頭の野生の馬を連れて
農夫の元に戻って来た。

それを聞いた村人は
「なんてラッキーなことか!
良かったね!」と農夫に言った。

すると農夫は
前回と同じように淡々と答えた。
「まあ、そうかもしれないね」と。

次の朝、農夫の息子は
野生の馬を調教しようとしていた。

馬に乗った時に、
馬が大暴れして、息子は落馬して
足を骨折してしまった。

それを知った村人は
「息子さん、大丈夫ですか? 
大変な災難でしたね」
と農夫を慰めた。

それに対して、農夫は
相変わらず無表情で
「まあ、そうかもしれないね」
と心乱される様子はない。

次の日、
農夫の家に軍隊がやってきた。

「あなたの息子を徴兵する。
息子を出しなさい!」
と命令したのだ。

農夫は療養している息子に
玄関まで出て来るよう
声をかけた。

しかし、
怪我して身体が不自由な
息子の姿を一目見て、
軍隊は「これでは使い物にならない!」
と言って、すぐに帰ってしまった。

この話を聞いて
村人は農夫にこう言った。
「本当にツイていましたね。
良かったですね」と。

農夫の反応は、いつもと同じで、
「まあ、そうかもしれないね」
と答えるだけだった。

====

このように人生では
良いと思われる出来事と、
悪いと思われる出来事の
両方が起きる。

今現在、良いことだ
と確信していても、
それが悪いことに転じることも
普通にある。

逆に、今は不運なことだと思えても、
それが後にラッキーなことに
変わる場合も珍しくない。

実際、私の周囲にいる人たちも
似たような経験をしている。

一生懸命尽くしてきた会社に
リストラされて、
酷く落ち込んだ人を
知っているが、

リストラ後、その人は
すぐに他企業からアプローチを受け、
今では以前の会社よりも、
ずっと良い条件で
楽しく働いている。

この人のリストラは
悪いことだったのか? 
それとも、良いことだったのか? 

予約の手違いで
計画していた旅行に
行けなくなった人がいた。

そんなことがあれば、
「なんてツイていないのか!」
とがっかりするだろう。

しかし、ここで話は
終わらなかった。

行くはずだった場所の近くで
その日大噴火が起こり、
大変な被害が出たのだ。

もし、予定通りに
そこへ旅行していたなら、
その人もその自然災害に
巻き込まれていただろう。

行けなくなったお陰で
災難に遭うことから
逃れられたのだ。

それでもツイてなかった
と言えるだろうか?

====

前述の昔話に出てくる農夫は
この世の常を
正しく理解している。

どんなことでも
絶対的に確実なものはない
ということを知っている。

仏教用語では
「諸行無常」ということ。

人間や動物たち、
人間を取り巻く環境や
この世に存在するすべての物が、
変化し続けている。

変化の速度が遅いものは、
固定した確実なもの
と感じられるが、
実際はゆっくりでも変わってゆく。

ある時点で時間を止めれば、
その時点では
自分にとって好都合だったり、
不都合だったりすることもある。

しかし、時間は止まらない。
時間の流れと共に
色々なものも一緒に変化してゆく。

一時は良いと思われても、
ちょっと経てば悪いものになったり、
悪いものが、良いことに転じたりする。

そう考えれば、一時的な良し悪しに
自分の心が左右され、
事あるごとにドカーン・ドカーンと
感情が上下に動かされるのは
ツマラナイことではないか?

今起きている一時的な現象に
振り回され続ければ、
自分も疲れてしまうだろう。

それよりも、農夫のように
今起きている現象から
少し身を引いたほうが賢明だ。

クールな目で物事を観る姿勢を
身につけることだ。

そうすることで
感情の振れ幅も小さくなり、
心穏やかに生活しやすくなる。

====

日々、自分の身の回りで
起きることに
一喜一憂しなくてもよい。

なぜなら、
今は良いと思われることでも、
悪いことに変化したり、

今は望ましくない
と感じることでも、
素晴らしいことに転じる場合も
多々あるからだ。

出来事が起きるたびに
深刻になりすぎて
心を疲弊させるよりも、

農夫のように
「そうかもしれないね」
と軽い心持ちのほうが
気持ち的にもゆったりできる。

特に、今現在
悪いことが起きている! 
と嘆いている人がいれば、
あまり深刻にならないで!

その悪いことは、
今後どう発展するか
全く分からないから、
気を落とす必要なんてない。