斎藤一人先生の教えの一つに
「自分が発した言葉を、もう一度、
言いたくなるような現象が起きる」
というものがある。
例えば、「バカ野郎!」とののしれば、
近い将来、再び、「バカ野郎!」
と言いたくなるようなことが起きる。
「有難う!」と感謝の言葉を発すれば、
再び、「有難う」と言いたくなるような
有難い出来事が起きるということだ。
「これって、本当だな」と
私は最近、益々強く思うようになった。
今回は、なぜ、本当だと思うのか、
私が考えることを述べたい。
複数の人が同じ空間内、
同じ環境内にいても、
それぞれ見えているものが
全く違うという事実がある。
でも、私は、
このことに気づかない時期が長かった。
同じ部屋の中にいる2人は、
全く同じものを見ている、と思っていた。
結婚して、夫と色々な場所に
一緒に行くようになってから、
このことに気づくようになった。
例えば、夫と一緒に友人宅を訪問したとき、
私も夫も友人宅の同じ部屋で
その友人と食事をしている。
帰りの車の中で、夫が
「~さんは、鉄道模型が大好きなんだね」と言った。
「鉄道模型の話なんてしなかったのに、
どうして、そんなことが分かるの?」
と聞けば、夫はこう返してきた。
「だって、彼のリビングの本棚には、
鉄道模型の雑誌が沢山置いてあったよ」と。
私には友人のリビングルームにある
鉄道模型の雑誌は、全く見えなかった。
でも、鉄道模型に関心のある夫には
それがすぐに目についたようだ。
これは単なる一例で、
私と夫の間には、
同じようなことが沢山起きる。
同じ空間をシェアしていても、
彼に見えるものは、私には見えず、
私に見えるものが、彼には見えないことは
しばしば起きていると知った。
心理学のトークの中で
こんな話を聞いたことがある。
「私たちが見ている現実は、
自分の心理状態が
外に投影されたものにすぎない」
ということだ。
人間は存在するものすべてを
見ることができず、
ほんの一部しか見ていない。
自分に見えるものは、
自分に重要であること、
自分にとって関心があるもの、
心の中で考えているようなことだけだ。
逆に、自分は無関心で、
自分にとっては重要ではないことは
見えづらくなる。
すべてのことが見えるようになれば、
あまりにも情報が多すぎて、
脳がパンクしてしまうので、
人間脳はその人に重要なこと以外を
シャットアウトする性質がある。
そのため、自分には無関心、重要でないことは
すぐ近くにあっても、見えていないのだ。
自分が妊娠した時に、
街中で妊婦さんがやたら目につくようになる。
でも、妊娠するまではそうではなかった。
自分の妊娠と同時に、
妊婦さんの数が急に増えたのかと言えば、
そんなことはない。
自分が妊娠する前にも、
似たような数の妊婦さんがいたはずなのに、
自分には関心がないから、
見えていなかっただけだ。
このことを応用すれば、
自分が普段、心の中で考えることは
自分にとっては見えやすくなる。
日々の生活の中で、起きる出来事には、
様々な側面があるけれど、
自分の心の中にある側面が
自分にとっては見えやすくなり、
心の中にないことは、
自分には見えないことも多い。
同じ出来事が起きた時に、
ある人は喜び、別の人は嘆く。
全く同じ出来事なのに、
なぜ、正反対の反応が起きるのか?
それは、人はそれぞれ、
見えているところが違うから。
解釈の仕方が違うからだ。
普段、心の中で考えているような側面を
出来事の中に見出すのだ。
恨み心が強い人は、
出来事の中に恨むような側面を見つけやすい。
確かに、その側面は存在する。
でも、その側面だけにフォーカスが当たるから、
虫眼鏡で見るように、
その部分だけが大きく見えるようになる。
そこだけに集中していれば、
「妄想」の域に達するまで
その側面だけが大きく膨れ上がることもある。
本当は恨むような側面だけでなく、
他の側面も沢山あるのに、
自分の心の中にないことだから、
それは隠され、見えなくなっている。
大きく膨らんだ恨みの側面だけが
目について、他は消されてしまうのだ。
普段、自分が発する言葉は、
自分の心の中にあるから
そのような言葉が出てくる。
そして、その言葉を言うたびに、
自分が発することを、自分は聞いている。
そのことを聞けば聞くほど、
自分の中にそのことが強化されてゆく。
自分の視界に入ってくるのは、
自分の心の中にあるもの。
だから、自分が発した言葉と
同じようなことを、
自分の現実の中で見つけやすくなり、
再び、同じようなことを言いたくなる。
そのように、私は解釈している。
嫌なことや、不愉快なことよりも、
楽しいことや、有難いと感じることを
沢山見れるようになりたいと願ったら、
「楽しいね」、「有難いね」
という言葉を沢山言う方がよいのだろう。
一人先生、いつも、役立つトークを
有難うございます。