幽体離脱をするように、
自分から少し離れた位置に行き、
自分の心の内を覗いてみよう!
意外にも
楽しい発見ができるものだ。
今回の話は、
ちょっと離れたところから
自分自身を見つめることの勧め
について。
なぜ、これを
勧めるのか?
その理由は、
自分の心の中では、
私たちの想像以上に、
面白いことが起きているから。
離れた場所から
自分自身を観察すれば、
今まで見えなかったことも
見えてくることがあるからだ。
詳しく解説してゆきたい。
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私たちの心の中には、
色々な自分たちが存在する。
一般的には、
私は一人の人間だから、
自分一人しかいないはずだ!
と考えがち。
しかし、誰の心の中にも
複数の自分が
同時に存在しているのだ。
興味深いのは、
自分の中に住む自分たちが
同じようには考えないこと。
個別の人間のように
全く異なる意見を持っている。
お互い相反することを考えて、
自分自身を
混乱させることでさえある。
自分の心の内には、
いったいどんな自分たちが
住んでいるのだろうか?
1人目は、
子供のような
甘えんぼうの自分。
2人目は、
意地の悪い大人の自分。
3人目は、
ズルイことをしたい
と思っている自分。
4人目は、
心が健全な成熟した自分。
一人の人間なのに、
心の内には、
全く異なる性質の自分たちがいる。
その時々で、彼らの力関係が
どんどん変わってゆき、
自分の中で様々な
相反する矛盾した気持ちが
生まれる。
ある時には、
子供のような甘えんぼうの自分が
活発に活動している。
そんな時には、
心が健全な成熟した自分は
昼寝していたりする。
また、別の時には、
ずる賢い自分と
成熟した自分とが喧嘩していて、
どちらが勝つ様子もなく、
どっこいどっこいだ。
全体としての自分は、
どうしてよいか分からず、
迷ってしまうことも多々ある。
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仕事中にミスしたり、
大きな失敗をやらかした時、
活発に動き出すのは、
子供のような甘えんぼうの自分。
「どうしよう!
こんなことをしてしまった!
怖いな~」と小さな子供が
脅えて泣いている。
そんな場面に登場するのが
意地の悪い大人の自分だ。
子供が犯した失敗を
非難して責め立てる。
「またミスしたのか!
何度言ったら分かるんだ!
お前はどうしょうもない奴だな!」と、
ミスした自分を責めて
自分を追い込むような態度だ。
こう言われれば、
子供のような甘えんぼうの自分は
とてもツラくなり、泣いてしまう。
「僕はどうしたらいいんだろうか?」
途方に暮れるのだ。
そんな時、突然姿を現すのが
ずる賢い自分。
この自分は、考えられる
悪知恵を沢山提供してくれる。
「まあ、そんなにがっかりするなよ。
お酒を大量に飲んで、
忘れてしまえばいいよ!」とか、
「ミスなんて、隠してしまえば
分からないさ。その書類を
シュレッダーにかけてしまえば?」
などと不適切な対処方法を
アドバイスしてくる。
一見、どうにかなりそうな提案だ。
しかし、
この自分の言うことに従えば、
物事は余計複雑化して、
結局は、問題が更に悪化するだけだ。
これら3人の自分たちが
ああだ、こうだと言っている時、
スーパーヒーローがやってくる。
そのスーパーヒーローは、
心が健全な成熟した自分だ。
彼が最初にするのは、
傷ついた甘えんぼうの自分に
優しく問いかけること。
「どうしたの?
いったい何があったの?」
と聞いてくれる。
甘えんぼうの自分が
やらかしたミスや今の気持ちを
正直に話せば、
「そうだったのか。
辛かったね」と責めることなく、
共感してくれる。
そして、このように言う。
「まあ、その点は良くなかったけれど、
冷静に考えてごらん。
上手く行ったことだって
あるじゃないか。
今回の失敗だって、
よい学びになったでしょう。
だから、気を落とさないで」と、
他の自分たちが
思いもつかないような
前向きの発言をしてくれる。
そして、必要があれば、
「どうすれば、問題解決できるか?
どう考えれば、心がラクになるか?」
優しいカウンセラーのように
教えてくれるのだ。
心が健全な成熟した自分は、
ずる賢いことを考える自分とは違い、
建設的、生産的で、役立つアドバイスを
してくれる。
この人の言うことに従えば、
自分は良い方向へ導かれる。
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今までに、
一貫性のない自分に
嫌気が差したことは
ないだろうか?
矛盾した考えが
自分の中にあり、
つじつまが合わなくて、
しっくりこない気持ちに
なったことはないだろうか?
実は、これは多くの人たちが
普通に経験することだ。
一人の人間の中にも、
こんなにも異なる性質の
自分たちが住んでいるので、
一貫性がなく、
矛盾した自分であっても、
全く不思議ではない。
自分の中に
相反する気持ちが生まれても、
罪悪感を抱く必要はないのだ。
一貫しない自分を
責めることはせずに、
その代わりに、自分の心の内を
覗いてみるといい。
自分自身から少し身を引いて、
離れた位置から心の中を
観察してみることだ。
全く違う考えをする自分たちが、
それぞれの言い分を話している。
時には、争っていることもある。
そんな自分たちの話に
耳を傾けてみると、とても興味深い。
相反する考え方をする自分たちが
面白いと感じるだけでなく、
今まで見えなかったものも
見えてくるだろう。
その理由は、
今までよりも、より広い視野で、
客観的に見ているからだ。
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具体的に、
「自分から少し離れて観ること」は、
どんなことか?
それは、自分の感情の波に
飲み込まれることなく、
自分自身をクールな目で
見つめること。
たとえば、怒っている時には、
「ああ、自分は今、怒っているんだ」
と冷静に自分の状態が分かること。
激しい怒りの感情の中に
自分自身が溺れていない状態だ。
怒っていることは
変わりなくても、その怒りに
自分自身が支配されてはいない。
嬉しい時にも、喜びの感情に
どっぷりつかるのではなく、
少し冷めた感じで、
「ああ、私は今、喜びを
感じているんだ」と自覚できること。
自分の内から湧き上がる
自然な感情は否定しない。
悔しい時には、悔しい気持ち。
怒りで腹立たしい時には、
腹立たしい気持ち。
イライラが募る時には、
イライラとした気持ち。
緊張している時には、
緊張した気持ち。
嬉しい時には、嬉しい気持ち。
ワクワクした時には、
ワクワクの気持ち。
ポジティブ感情も、
ネガティブ感情も、
感じるまま、そのままでよい。
ただ、その感情に
どっぷりとつかりすぎて、
自分自身を見失わないことだ。
ちょっと離れた位置から
自分自身を観察しているから、
自分の内で起きていることでも、
そのことで
頭がいっぱいにはならない。
ちょっとだけでも余裕があり、
「今、自分はこんな状態だ」
と冷めた目で自分を見ることができる。
こういう状態にいる時には、
自分自身のことだけでなく、
周囲で何が起きているのか?
見ることも可能だ。
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たとえを使って説明すれば、
富士山を登山している
と仮定しよう。
登山中は、富士山の中にいるから、
足元に落ちている葉っぱや、
地面の様子など、
近くを見ることは可能だ。
頭上で鳥が飛んでいれば、
その鳥を見れるし、
自然の中にいる虫たちを
観察することもできる。
しかし、山の中に入っていると、
富士山の周辺を見るのは不可能だ。
周りに湖があること、
近くに娯楽施設があることも、
全く分からない。
でももし、ヘリコプターに乗って、
富士山の頂上よりも
高いところへ行ければ、
今まで見ていたものとは、
違うものが視界に入ってくる。
山から少しだけでも離れれば、
山全体が見える。
今までは、山の中にいても、
山の一部だけしか
見えなかった。
でも、空の上に行き、
ちょっと離れた場所から
山を観察すれば、
山全体の姿や、
山の周辺にある5つの湖も
見えるのだ。
自分自身を離れた位置から
眺めることは、これと似ている。
今までは
自分の中で起きていることで
一生懸命であり、
周辺で起きている
他のことには気づけなかった。
しかし、意識して、
自分から少し身を引いて、
自分自身を観察してみれば、
自分の内にも、
全く異なる考えをする自分たちがいて、
それぞれ違ったことを言っている
と分かる。
彼らのが言うことを
冷静に聞くことも可能だ。
このような状態は、広い視野で、
客観的に観察している
ということ。
そうすることで
どんな利点があるのだろうか?
クールな目で冷静に
自分を見れるようになれば、
自分が下す判断も
より良いものになる
可能性が高い。
一時的な感情で決めた
愚かな決断を防げたり、
その場しのぎの解決方法を
取ることも避けられる。
これをしたら、
長期的にはどうなるか?
見えやすくなるからだ。
より広い視点で、より長いスパンで、
自分の利益になるための選択が
可能になる。
簡単な言葉を使えば
「賢い選択ができるようになる」
ということ。
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人の心は複雑で、
色々な心の側面がある。
自分自身を少し離れた場所から
観察できれば、
自分の内にいる
異なる性質の自分たちに
気づけるだろう。
自分の心がザワついてきたら、
自分の中にいる「どんな自分」が
今、活発に行動しているのか、
確認するとよいだろう。
子供のような甘えんぼうの
自分なのか?
意地の悪い大人の自分が
自分自身を
責め立てているのか?
ズルイことを考えている
自分がパワーアップしているのか?
それとも、
心が健全な成熟した自分が
エネルギーを強めているのか?
何らかの問題が起きた時、
頭の中は混乱状態で、
良くない方向へ
進みそうになることもある。
そんな時には、自分から身を引いて、
クールな目で自分の内にいる
自分たちを観察してみよう。
色々な違ったことを考える
自分たちがいても、
それは普通であり、
悪いことではない。
彼らの意見を
きちんと聞いてあげよう。
その後で、
どうすれば長期的に
より良い結果につながるのか?
を考えるといい。
最終的には、
心が健全な成熟した自分に
リードして貰い、
自分自身をより良い方向へ
導くことが望ましい。