常識にとらわれるのはやめて、非常識にもっと寛容になろう!

今回は、
常識にとらわれるのはやめて、
非常識にもっと寛容になろう!
という内容。

「そんなの常識でしょ!」
と言う人がいるけれど、
この言葉は感心できない!

常識に固執しても
あまり良いことはないからだ。

それよりも、非常識に
もっと寛容になった方がよい。

なぜそうなのか? お話したい。

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最初の理由は、
常識を疑わなければ、
新しい発見はないから。

「今までこうしてきたから」
「こうやるのが当然だから」と思い、
同じことしかしなければ、
新しい発見はあり得ない。

当然、
進歩も期待できないのだ。

これは大分昔のこと。
あるアイスクリーム屋の話だ。

このお店では、
チョコ、ナッツ、パイナップル、
マンゴ、オレンジ、ストロベリーなど
数多くのフレーバーがあることを
売りにしていた。

その当時のソフトクリームは、
チョコだったら、チョコ味。
パイナップルだったら、パイナップル味
というように、
一つのフレーバーだけのアイスを
提供するのが普通だった。

そんな店にある日突然、
予期せぬことが起きた。

予告なしで停電になり、
何時間も電気が使えない状態に
なったのだ。

アイスクリームは
冷凍保存が必要。

停電が長く続けば、
冷凍庫のアイスは溶けて、
売り物にならなくなる!

「これでは大きな損失が出る!」
とオーナーは焦った。

アイスクリーム屋にとっては
長時間の停電は
かなり困った事態だ。

しかしその後、この停電が
意外な発展につながったのだ。

溶けたソフトクリームは
どろどろになって
隣のフレーバーと混じり合った。

混じり合ったアイスを見て、
オーナーは
「ああ、こんなになっちゃった!」
とガックリ。

混ざり合ったアイスを
処分する前に
ペロリと一口なめてみた。

するとびっくり!
「あれ、
これすごくイケている!」

今までは複数のフレーバーを
混ぜることなく、
単一フレーバーで売るのが
普通だった。

オーナーにとっては、
チョコならチョコだけ。
オレンジなら、オレンジだけと
ミックスしないのが
当然だと思われた。

しかしこの出来事により、
色々な味をミックスさせれば
もっと美味しいアイスになることに
気づいたのだ!

それ以来この店では
ミックス味のソフトクリームを
売るようになった。

そしてそのミックス味が
お客さんにも大好評で、
お陰でお店は大繁盛。

売り上げは
以前より5倍も伸びたそうだ。

それまで通りに
一つのフレーバーアイスを
売るだけでは
この成功はあり得なかった。

停電というハップニングで、
「今までとは違ったもの」を
たまたま発見して、

その違ったものを
オーナーがすんなり
受け入れたから
大繁盛できたのだ。

もしオーナーが
今までと同じモノに固執して、
違うモノを取り入れなければ、
こんなにステキなことは
起きなかったに違いない。

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日本に住んでいた頃、
こんな教師に出会った。

その先生は子供たちに
風変わりな課題を与えていた。

それは、身の回りにあるモノを
一つ取り上げて、
そのモノの本来の使い方とは
違う使い方ができないか?
考えること。

例えば、「ペン」を取り上げれば、
ペンは書く時に使うもの。
「書くこと」が本来の目的だ。

しかし「書くこと」以外に
他にも用途がないかどうか
子供に考えさせるのだ。

ある子供が言った。
「背中が痒い時、届きにくい場所を
ペンを使ってかける!」と。

この課題を
何度も繰り返しこなせば、
新しい可能性を探る習慣がつく。

なかなか良い課題だ
と私は感心した。

「ペン」は書く時に使う
というのは常識だ。

もしそれ以上考えなければ、
ペンは書くものだ
という常識で終わってしまう。

でもそれ以外にも
使えないだろうか? と考えれば、
意外にも新しい可能性が
頭に浮かんでくるものだ。

ペンに限らず、身の回りにある
すべてのモノに対して、
この課題をやってみると
面白いだろう。

「これはオカシナことかも?」
と思われても、試してみれば、
オカシナことではなく、案外役に立つ!
という場合もあるからだ。

「常識だから」と言って、
今までの方法だけしか
認めない頑固な姿勢では
新しい発見も進歩もない!

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常識にとらわれれば、
自分自身を不当に縛り付け
自由をエンジョーイできなくなる。

「不当な常識」というのは、
自分にとって役に立たなかったり、
不必要に自分を
シンドクさせてしまうもの。

例えば、日本では
女性が外出する際には
お化粧をきちんとすることが
常識だとされている。

忙しくて時間がない時でも、
疲れていてやりたくない
と感じた時でも、
化粧なしで人に会うのはNG行為だ
と思われている。

日本に住んでいれば、
これは常識で、
当然のことだと考える。

しかし別の国へ行けば、
この常識は
常識ではなくなるのだ。

化粧なしで人と会うことも、
外出することも普通だ
と考える人が大多数の国も
あるからだ。

日本国内では通用しても、
世界中のすべての場所で
通用するわけではない。

限られた社会の中、
狭い環境下では
「こうするのが常識」
と信じられていても、
一旦そこから出れば、
常識でもなんでもなくなる。

広い世界の中では、
「~すべき」と自分が信じることでも、
そう思わない人が
沢山いる事実がある。

それなのに
「そうするのが常識だから」と言い、
やりたくないのに
無理にやらなければと思い、
自分を追い詰めて、
シンドクさせてしまう。

なんて愚かなことではないか?
本当は
そんなに無理しなくても
いいはずなのに……。

お化粧に限らず、
常識だと思われることでも、
冷静に考えれば、
不当な常識も沢山ある。

そんな不当なもので
自分を縛り付け、
シンドクさせるのは
理にかなわないことだ。

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「これが常識だから」と思い、
皆が同じことをすれば、
多様性は生まれない。

外国に住んで、
様々な文化背景を持つ人たちと
接して感じるのは、
「面白いな~」と思うこと。

なぜ面白いのかは、
同じことをするにも
全く違うやり方をしたり、
ある特定の事柄に対して、
全く異なる考え方をするからだ。

違った考え方、価値観でも
それをお互いに認め合うから、
多種多様が生まれて
楽しく感じるのだ。

「これが常識だから」と
自分の「当たり前」に固執して、
それ以外を許さない態度を見せれば、
多種多様の面白さを味わえない。

国が変われば
「当たり前だ」と思うことも
全く違うものになる。

時代が変われば、
同じように「当たり前」が
当たり前でなくなることも
しばしばだ。

そう考えれば、
常識と言われるものに
とらわれすぎるのは
望ましいことではない。

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常識にとらわれるのはやめよう!

なぜなら
常識を疑わなければ
新しい発見もないし、
進歩も期待できないから。

常識と信じていても
不当なものも沢山ある。

そんな不当なもので
自分自身を縛り付け
シンドクさせるのは馬鹿らしい。

所変われば、「当たり前」
は当たり前でなくなる。

時代が変っても
同じことが言えるのだ。

常識に固執しすぎて
常識以外のことを
受け入れなければ、
多種多様の面白さも味わえない。

常識にとらわれるより、
非常識にも寛容になり、
もっと楽しく自由に生きても
よいのでは?