真剣に何かを考えていると、
「そんなに考えすぎなくても
いいんじゃない?」
と言われたり、
「深刻にならないで、
もっと気楽にいこうよ!」
とアドバイスされたりする。
彼らが言うように
「考えすぎ」は
いけないことなのか?
今回は
「深く考えること」について
考えてみたい。
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「考えすぎること」は
良いとか、悪いとか、
一概には決められない。
考えすぎない方が
よい場合もあれば、
色々考えて深堀する方が
望ましい場合もあるからだ。
考えすぎは
どんな時に悪くて、
どんな時に良いのだろう?
考えすぎの悪い例は、
考えても
どうにもならないことを
色々考えすぎて悩むこと。
たとえば、もう過ぎ去った
過去の出来事について、
ああでもない、
こうでもないと悔やみ、
後悔の考えばかりを
頭の中でグルグル回すことは、
悪い「考えすぎ」と言える。
済んでしまったことに関して、
捉え方は変えられても、
起きたこと自体は
事実を変えられない。
それなのに、
色々考えすぎて、
頭を混乱させるのは、
非建設的で、非生産的だ。
何も良いことがない上、
自分自身が疲弊する。
こういう考えすぎは
やめた方が賢明だ。
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未だ起きてもない
将来のことに関して、
「もし、こうなったら
どうしよう?」と考えすぎて、
心配ばかりするのも、
悪い考えすぎだ。
「こんなことには
なって欲しくない」
と思うことがあれば、
それが起きないように
自分が今できることを
考えて実践するのは、推奨される。
しかし、ある程度
やれることをやった後は、
それ以上、
ずっとずっと考え続けて、
心配するのは、感心できない。
悪いことを防ぐために、
やれること、
万が一、困らないために
今準備できることを考えて、
実践済みなら、
そのことはもう手放して、
運を天に任せた方が
自分のためになる。
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では、よい考えすぎとは
どんなものか?
それは、深く考えることにより、
自分に良い結果をもたらしたり、
自分をより良い方向へ
導くために考えること。
人生で起きる様々な問題の中には、
真摯に向き合って、
色々と思考を巡らし、
深堀により分析して、
対処した方がよいこともある。
深く考える作業は、
簡単ではないし、
人によってはかなりツライ
と感じることも多々ある。
しかし、ツライからといって
向き合うべき課題を
見て見ぬふりして、
思考停止させて
「まあ、そんなに
考えすぎなくてもいいでしょ」
とスルーしてしまえば、
後々にその問題が深刻化して、
もっと酷い状況に見舞われる。
考えるべきことを、
「面倒だから」と言って、
考えることを怠り、
そのまま放っておいた結果、
暫く経ってから、
そのつけがまわってくることも
珍しくない。
じっくり考えて、
問題点を深堀して、
頭の中を整理整頓する。
思考を発展させて、
解決すべき問題を
今のうちから片づけておく。
そのために、
色々と考えることは、
決して悪い「考えすぎ」ではない。
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この世の中には、
様々な性格タイプの人がいる。
色々真剣に考え分析して、
深堀することにより、
思考を発展させる傾向にある人もいれば、
その一方で、どんなことでも
あまり深くは考えない人もいる。
これは単に
性格タイプの違いにすぎず、
どちらのタイプが良くて、
どちらのタイプが悪い
という問題ではない。
それぞれのタイプが
長所と短所を持ち合わせている。
物事を深く考えない傾向にある人が、
分析癖のある人を見れば、
「そんなに考えすぎなくても
いいじゃないか!」
と言いたくなるが、
それはやめた方がいい。
深く考え分析癖がある人は、
そういうタイプの人なのだから、
その本人の
好きにさせておけばいい。
逆に
色々考える傾向にある人は、
何も深く考えない人に向かって、
「もっと物事に
真剣に向き合って、考えた方がいい」
とアドバイスしたくなる。
しかし、これも必ずしも
良きアドバイスではない。
深く考えない性格なのだから、
それはそれでいいのだ。
真剣に考え分析する傾向にある人も、
あまり考えることがない人も、
両者とも、それぞれのタイプの
弱みを嘆くことはせず、
強みを活かすよう努めた方が
ずっと建設的だ。
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望ましくないことは、
考えることが好きな人が
「考えすぎは悪いことだ」
と他人から非難されてしまうこと。
そして、それにより、
「自分が考えすぎてしまうこと」を
悪いことだと思い込み、
自分自身を責めたり、
悩んでしまうことだ。
実は、考えすぎること自体が
問題なのではなく、
考えすぎが悪いことだと
悩むことが問題なのだ。
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人と比べて
自分は考えすぎる傾向にあるのは、
単に自分が
そういう性質を持っているだけ。
それなのに、他人に指摘されて、
「自分は悪いことをしている」
と罪悪感に襲われるのは、
自分軸で生きていない
という証拠だ。
自分の性格タイプを否定して、
悩んでいるのだから、
自分の人生を
生きるのではなく、
他人のために
人生を生きようとしている。
これでは、
自分は幸せにはなれない。
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自分の性格を忌み嫌って、
それを直そうとする人がいる。
しかし、その努力は
あまり報われない。
なぜなら、
自分の自然な姿を否定して、
ムリに自分でない自分を
装っているからだ。
短期的にはよくても、
長期間、これをやっていれば、
いつかヘトヘトに疲れてしまう。
こういう人は、
その性格や性質の
ネガティブ面しか見ていない。
ポジティブな部分もあるのに、
ネガティブな一面だけを
拡大してみている。
歪んだものを見て、
歪んだ認知を持つようになる。
もちろん、そういうネガティブ面も
あるのは確かだ。
しかし、それと同じくらい
ポジティブな部分もあるはずだ。
良い部分は全然見ておらず、
悪いことだけしか目に入らない。
残念ながら、
視野が広いとは言えない。
もっと客観的に中立の立場で、
悪いことも、良いことも
両方満遍なく見た方が
世の中を正しく観れるし、
正確な判断も下せる。
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考えすぎは
いつもいつも悪いわけではない。
確かに、考えすぎない方が
望ましい時もあるが、
色々と深堀して、
思考を巡らす方が
有意義な時もある。
人生の課題の中には、
真摯に向き合って、
じっくり考えて
答えを出した方がいいものもある。
考えすぎることは、
一概に良いとか、
悪いとかでは決められない。
ケースバイケース
ということだ。
また、生まれつき、深く考え
分析する傾向にある人と、
あまり物事を
真剣に考えない性質の人もいる。
どちらのタイプが良い、悪い
という問題ではない。
両者とも
優れた面もあれば、
劣った面もある。
深く考える傾向がある人に向かって、
「考えすぎは、良くないから!」
と非難するのは、感心できない。
深く考えすぎない自分は
それでよし。
同時に、色々考えすぎる人も
それでよし。
お互い好きで自然と
そうしているので
他人のやることに
いちいち口出ししなくてもよい。
問題なのは、
考えすぎることが悪いこと
と思い込んで、
考えすぎる自分を否定して、
責めてしまうこと。
これは絶対に
やらない方がいい。
考えすぎる傾向にある人は、
考えすぎることによるメリットを
最大限に活かせばいい。
決して、
考えすぎる自分は良くない
と自分責めをしないことだ。
間違ったポジティブ思考が
蔓延している世の中では、
「考えすぎ」を
悪者扱いする姿勢もある。
しかし、これこそが間違いだ。
考えすぎでも、
沢山いいこともあるからだ。
良い「考えすぎ」は、
むしろ積極的に行ったほうがいい。