家族や人間関係の問題に
直面したとき、
私たちはつい「誰が悪いのか」
という視点で物事を捉え、
犯人探しをしがちです。
しかし、実はその「犯人探し」こそが
関係性の悪循環を生み出し、
問題をさらに
複雑にすることがあります。
この記事では、
家族療法の視点から、
問題の捉え方を少し変えて、
より建設的な解決へつながるヒントを
お伝えします。
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なぜ私たちは「犯人探し」をしてしまうのか?
問題が起きたとき、
「この問題の原因は何だろう?」
「誰のせいなのだろう?」と考えるのは、
人間として
ごく自然な反応かもしれません。
これは、心理学でいう
「直線的因果論」という思考パターンで、
「Aという問題を生み出した原因はBだ」
といった、単純で明快な構造で
物事を理解しようとする方法です。
私たちの脳には、
複雑な情報を処理するよりも、
シンプルで分かりやすい説明を
好む傾向があります。
そのため、何か問題が起こると、
その原因を一つに絞り、
「この問題の原因は○○だ」
と決めつけてしまいがちです。
この思考パターンは、
日常生活では
効率的に働く場面もありますが、
人間関係や家族の問題においては、
かえって状況を
複雑にしてしまうことがあるでしょう。
直線的因果論の問題点は、
複雑な人間関係を
過度に単純化してしまうところに
あります。
実際の人間関係では、
さまざまな要因が絡み合い、
相互に影響し合っているため、
一つの原因だけで説明できることは、
ほとんどないでしょう。
それにもかかわらず、
私たちは分かりやすい「犯人」を
見つけることで安心感を得ようとし、
その結果、本質的な解決から
遠ざかってしまうのです。
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夫婦間で生じた悪循環の例
具体例として、
ある夫婦の問題を
考えてみましょう。
夫はストレスを理由に、帰宅後は
スマートフォンでゲームに没頭し、
家事や育児には
ほとんど参加しませんでした。
一方、妻は家事と育児の負担が重く、
「なぜ自分だけがこんなに大変な思いを
しなければならないのか!」と、
夫に文句ばかりをぶつけていました。
夫の視点から見ると、
状況はこう映っていたのでしょう。
「仕事で疲れて帰ってきているのに、
妻はいつも文句ばかり言ってくる。
家では少しでもリラックスしたいのに、
妻が口うるさいから
余計ゲームに逃げたくなる。
自分がゲームをするのは、
妻が理解してくれないからだ」
一方、妻の視点はこうでした。
「夫は家のことを何も手伝ってくれない。
私ひとりで家事も育児も背負わされて、
とてもつらい!
夫がもう少し協力してくれれば、
こんなに言わなくて済むのに。
私が夫に文句ばかり言うのは、
夫が責任を果たしてくれないからだ」
このように、
夫は「妻が原因で自分は被害者」と感じ、
妻は「夫が原因で自分は被害者」
と感じていました。
そして、夫は
妻の文句を聞けば聞くほど
ストレスを感じてゲームに逃げ、
妻はそんな夫を見て
ますます文句を強める――
こうした悪循環が生まれていったのです。
双方ともに
相手を変えようとしましたが、
実際には状況は
ますます悪化していくばかりでした。
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円環的因果論という新しい視点
家族心理学では、
このような人間関係の問題を
「円環的因果論」あるいは「循環的因果論」
という視点で捉えます。
これは、原因と結果が
一直線上にあるのではなく、
互いに影響し合う循環構造の中にある
という考え方です。
わかりやすい例として、
「ニワトリが先か、卵が先か」
という問いがあります。
この問いに明確な答えがないように、
人間関係の問題でも
「どちらが悪いのか?」
「どちらに原因があるのか」
を特定するのは難しく、実際には
このようなアプローチには
あまり意味がないことも多いのです。
先ほどの夫婦の例で言えば、
夫婦は「相互に影響し合うシステム」
として機能しており、
「夫がゲームに逃避し、
妻が文句を繰り返す」という循環パターンは、
どちらか一方に原因があるのではなく、
夫婦の相互作用の中から
生まれているものです。
つまり、このパターンは、
夫婦が共同で創り出している現象だ
と言えるでしょう。
円環的因果論の視点から見ると、
どちらもが原因であり、
同時に結果でもあることがわかります。
夫のゲーム逃避は
妻の文句の結果であると同時に
原因でもあり、
妻の文句もまた、
夫のゲーム逃避の結果であり
原因でもあるのです。
このような理解に至ることで、
「相手が悪い」と責任を押し付け合うだけでは、
状況は改善しないということが
納得できるでしょう。
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不登校は母親の責任という間違った思い込み
不登校の問題において、
直線的因果論がもたらす弊害は
とりわけ深刻です。
「子どもが学校に行けないのは、
親の育て方が悪かったからだ」
「特に母親の子育ての仕方が原因だ」
といった見方が、残念ながら
いまだ社会には根強く残っています。
こうした直線的な見方によって、
多くの母親が深く傷ついているのが
現状です。
母親自身がこの考え方を信じ込み、
「私の育て方が悪かったから、
この子は学校に行けなくなった」
と自分を責め続けるケースも
少なくありません。
さらに深刻なのは、夫や祖父母、
時には学校の教師までもが
この誤解を共有し、母親ひとりに
責任を押し付けてしまうことです。
しかし、家族心理学の視点から見ると、
こうした考え方は根本的に誤っています。
不登校は単一の原因によって
起こるものではなく、
家族システム全体の
複雑な相互作用の中で生じる現象です。
子どもの不登校を
「母親の育て方の問題」
として片づけてしまうことは、
問題の本質を見誤り、
真の解決を遠ざけることに
つながるでしょう。
特に母親の場合、子育てにおいて、
社会からの期待や責任の重さが
他の家族メンバーよりも大きく、
孤立感や罪悪感に
苛まれやすい傾向があります。
だからこそ、ここで強調したいのは、
「母親は悪くない」ということです。
不登校の背景には、
家庭環境、家族の相互関係、
学校の状況、さらには社会的な要因など、
さまざまな要素が複雑に
絡み合っています。
一人の親の責任に帰結させることは、
適切ではなく、
建設的でもありません。
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家族療法が提案する全体的なアプローチ
家族療法は、個人の症状や問題行動を
その人だけの問題として捉えるのではなく、
家族システム全体の文脈の中で
理解しようとするアプローチです。
この療法では、「誰が悪いのか?」
という犯人探しは行わず、
家族全体をひとつのシステムとして捉え、
その中の相互関係に焦点を当てます。
家族療法では、
症状や問題を抱えている人を
「患者(ペイシェント)」ではなく、
「IP(アイデンティファイド・ペイシェント)」
と呼びます。
これは「患者とみなされている人」
あるいは「患者の役割を担っている人」
という意味で、その人が
家族システム全体のバランスの歪みを
表面化する役割を引き受けている、
という理解に基づいています。
たとえば、不登校の子どもの場合、
その子どもは、
家族システム全体の問題を表す
「語り手」の役割を、無意識のうちに
担っているのかもしれません。
両親の夫婦関係に問題があったり、
祖父母と両親との関係に
ストレスがあったり、
経済的な不安があったりと、
さまざまな家族の課題が、
子どもの不登校という形で
表面化している可能性があるのです。
家族療法の画期的な点は、
問題の解決にあたって、
必ずしも症状を持つ本人に
直接アプローチする必要がない
ということです。
家族システムのどこかに
変化を起こすことで、
システム全体のバランスが変わり、
その結果として
症状が改善されることがあるのです。
たとえば、不登校の子ども本人が
カウンセリングに来なくても、
両親の夫婦関係に働きかけることで
家族全体の雰囲気が変化し、
結果的に子どもが学校に
通えるようになるケースも
珍しくありません。
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実際の変化はどのように起こるのか?
家族療法の効果は、
多くの臨床例によって
実証されています。
特に、家族療法の先駆者の一人である
サルバドール・ミニューチンの著書
『思春期やせ症の家族――心身症の家族療法』では、
摂食障害の子どもに
直接アプローチするのではなく、
家族全体のシステムに働きかけることで、
症状が改善していく過程が、
多くの事例を通して詳細に描かれています。
これらの事例が示しているのは、
人間が本来持っている
「自然治癒力」の可能性です。
適切な環境が整えば、人は
その回復力を自然に発揮できるのです。
家族療法は、
この自然治癒力が働くような
家族環境を整えることを
目指しています。
変化を起こすために、
どこから始めなければならない
という決まりはありません。
父親の変化が
家族全体に波及することもあれば、
母親の変化が
きっかけになる場合もあるでしょう。
兄弟姉妹の関係性の改善が
影響を及ぼすこともあれば、
祖父母との関係を見直すことが
突破口になることもあるのです。
重要なのは、小さな変化であっても、
それがシステム全体に
広がっていく可能性を
秘めているということです。
たとえば、ある家族では、
父親が仕事中心の生活を見直し、
家族との時間を増やしたことで、
母親の負担感が軽減し、その結果、
母親が子どもに対して
より穏やかに接することが
できるようになりました。
その影響で子どもの情緒が安定し、
学校に通えるようになった
というケースがあります。
この場合、直接的なきっかけは
父親の行動の変化でしたが、
その変化が家族システム全体に
好影響を与えたのです。
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悪循環から良い循環への転換点
悪循環から抜け出すためには、
まずその循環パターンに
気づくことが大切です。
多くの場合、
私たちは悪循環の中にいながら、
それが循環していることに気づかず、
問題行動を起こしている本人を
直接変えようとして、
同じ行動を繰り返してしまいます。
しかし、循環パターンに
気づくことができれば、
そのどこかに小さな変化を加えることで、
全体の流れを変えることが
可能になるのです。
先ほどの夫婦の例で言えば、
夫が「妻の文句は、
自分への攻撃というよりも、
妻なりの困りごとの
表現なのかもしれない」と視点を変え、
妻の話を少しでも聞こうとする姿勢を
見せることができれば、
妻も「夫が話を聞いてくれている」と感じて、
文句を言うことが減るかもしれません。
このような小さな変化が
積み重なることで、
「夫がゲームに逃げ、妻が文句を強める」
という悪循環から、
「夫が妻に関心を向け、
妻が安心して穏やかになる」という良い循環へと
転換していく可能性があります。
大切なのは、この変化を
一方的に相手に求めるのではなく、
自分自身の行動や視点を
変えることから始めるという点です。
相手をコントロールすることは
できませんが、
自分の行動を変えることで、
相互作用のパターンを
変えていくことは可能なのです。
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おわりに
この記事では、
「犯人探しをしても問題は解決しない」
というテーマのもと、
家族や人間関係の問題に対する
新たな視点について
お伝えしてきました。
まず、私たちが問題に直面したときに
つい陥りがちな「誰が悪いのか」
という直線的因果論の思考が、
かえって問題をこじらせる原因に
なっていることをご紹介しました。
夫婦間のすれ違いや、
不登校のような家庭内の問題においても、
単純に「誰か一人のせい」
と考えるのではなく、
相互に影響し合う関係性の中で
起きていることに
目を向けることが大切です。
家族療法の視点では、
「悪いのは誰か」を問うのではなく、
「この循環をどう変えていけるか」
という方向に意識を向けます。
そして、どこか一か所に
小さな変化を起こすことで、
全体が良い方向へ変化してゆく――
そんな希望を持てる視点です。
最後に、もしあなたが今、
家族の問題で悩んでいるとしたら、
まず知っておいてほしいことが
あります。
それは、「あなたは悪くない」
ということです。
問題の原因を
一人で背負い込む必要はありません。
家族の問題は、
家族システム全体の
相互作用の中で生まれるものであり、
決して誰か一人の責任ではないのです。
そして、変化はいつでも、
どこからでも始められます。
あなた自身の小さな行動の変化が、
家族全体に良い影響を
もたらすかもしれません。
完璧である必要はありません。
小さな一歩から始めて、
その変化が家族システム全体に
どのような影響を与えるのか、
観察してみてください。
「犯人探し」から「関係性の改善」へと
視点を転換することで、
建設的な解決への道筋が
きっと見えてくるでしょう。