今回は、
私たちは誰もが
自分一人では生きていない
という話。
世界中にいる
出会ったこともない人たちから
助けられて生きている
という内容だ。
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昔、こんな青年に出会った。
彼は
「僕は自分一人で生きている!」
と自慢げに話す若者だ。
親元を離れ、一人暮らしをして、
家賃や食費、光熱水費、
その他もろもろの生活費を
自分ですべて稼いで、
独立した生活を送っている。
しっかりした態度で、
自分の身は自分で守る
という頼もしい姿だ。
「若いのに立派だな!」
と感じることはあったが、
彼の話を聞いていると、
謙虚さに欠けていて、
少し傲慢な印象も受けた。
経済的に自立しているから、
「自分一人で生きている」
と感じるのだろう。
しかし、実際のところは、
自分一人で生きている人は
どこにもいないのが事実だ。
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このことに気づいたのは
新型コロナのパンデミック
がきっかけだ。
ロックダウン中でも
スーパーへの買い物は
許可されていた。
食料品調達のため
いつも行くスーパに
買い出しに行った時のことだ。
お店の前で
40分ほど列をなして、
ようやく店内に入れた。
やれやれと思い、
早速、自分が欲しいものの
陳列棚に行った時、
普段は普通に売られている商品が
棚からすっかり消えている!
NZで国内生産されているものは
ほとんどが入手可能な様子だ。
しかし、
輸入品の多くが品薄状態か、
品切れになっていた。
NZに限らず、多くの国や地域で
ロックダウンをしていたから、
当然、物流も滞るだろう。
一部の商品が陳列棚にないのも
仕方ないとは思えた。
でも、自分が欲しいものが
完全に品切れになっており、
私はとてもがっかりした。
その製品とは「プルーン」だ。
私の自宅の周辺には
数件スーパーマーケットがある。
近くのお店をすべて回ってみたが、
どこにもプルーンは
売られていなかった。
この時、初めて
私たちは出会ったこともない
見ず知らずの人たちから
たくさん助けられて生活している事実に
気づかされたのだ。
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商品が
NZのお店の陳列棚に並ぶまで、
どのような工程を通過するのか
考える機会になったからだ。
プルーンは西洋スモモを
乾燥させたもの。
まず最初に
果樹園の労働者が西洋スモモを
育てるところから始まるだろう。
私は詳しいことは知らないが、
おそらく、自然に西洋スモモが
成長するとは思えない。
害虫が木につかないよう
工夫をしたり、
その他、木の手入れも必要だ。
収穫時になり、
スモモをもぎ取る作業もある。
その後、スモモは洗浄されて、
日に干されてプルーンが
出来上がる。
でも、ここで話は終わらない。
出来上がったものは
商品として売れるよう
袋詰めにされた後は、
輸出用の箱に収められる。
そして、その箱は
運送業者の手に渡り、
国際線飛行機や船に載せられ、
遥々NZへやってくる。
NZに到着後も、検疫では
「この商品は安全なものか?」
確認される必要がある。
そして、その後、
国内の流通業者に渡り、
大きなトラックに載せられて、
全国各地のスーパーマーケットに
届けられる。
お店に届いた商品も
スーパーの従業員たちにより
陳列棚に綺麗に並べられ、
初めて、私たち消費者は購入可能になるのだ。
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こう考えれば、
私がプルーンを手にできるのは、
多くの人たちの
尊い労働があるお陰だ。
上記工程の中でも、
スモモの収穫作業や
プルーンの製造作業、
また、パッキングのための仕事は
今ではオートメーション化されていて
機械に頼っているはずだ。
この時使用される機械は
どこの誰が製造したものか?
そんな細かいところまで追えば、
「プルーン」という一つの商品でさえ、
多くの人々のお陰で、
私は購入することができる。
プルーンは単なる一例にすぎない。
今、私たちが生活するのに
普通に使っているものすべてに
同じことが言えるのだ。
今朝、私が食べたヨーグルトも、
朝食用シリアルも、
ミルクも、紅茶も、リンゴも、
すべてのものが、
私が安心して
消費できるような形になるまで、
多くの人手を通過している。
食べ物に限らない。
私がタイプしているキーボードや、
パソコンそのものも同様だ。
パソコンが動くのに必要な
電力供給だって、
多くの人たちの尊い労働のお陰で
普通に使うことが可能になっている。
そう考えたら、私たち誰もが
世界中の人々に支えられて、
見ず知らずの人たちのお世話になり、
今の便利な生活ができている
と言える。
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もちろん、私たち一人一人が
普段やっていることも、
誰かの役に立っている。
仕事をしていれば、
色々な形で社会貢献をしている。
仕事を持たない場合にも、
家族のために無給で
役立つことをしたり、
「消費する」という面でも、
経済が上手く回るよう
協力していることになる。
世界中の人々が
自分ができる小さな貢献をして、
皆が持ちつ持たれつ
お互いに協力しあって
社会生活が動いている。
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パンデミックが起きなかったら、
このことに気づけなかっただろう。
お店の陳列棚に商品が並んでいるのは
当然だと思い、疑うことも
しなかったからだ。
しかし、本当は当然ではない。
多くの人々の協力の下で
当然だと思われる普通の生活が
可能になっているのだ。
私たちは
出会ったこともない
色々な人たちに助けられて、
便利な生活ができている。
自分一人で生きている人は
どこにもいないのだ。
よく考えれば、
このことはとても有難いことだ
と思えた。