ネガティブな出来事は、発想転換すると、意外にも良いことになるかも?

悪いことが起きた時、
「なぜ、そんなことが
起きたんだ!」

「なんて自分はツイてないんだ!」
「どうして自分ばかり
こんな目に遭うのか?」と
嘆いてしまうもの。

自分は悪いことをしていないのに、
自分のコントロールが
きかないところで、
受け入れがたい
理不尽なことが起きれば、
納得いかないのは当然だ。

そんな時、
その出来事の原因を考えて、
「誰が悪いんだ?」
「何が悪いんだ?」と
犯人捜しをすることもしばしば。

悪いことが起きたばかりなら、
それも仕方ないだろう。

しかし、ずっといつまでも、
その出来事をネガティブな解釈のまま
残しておけば、
「人生、苦労ばかりで
シンドイな」で終わってしまう。

過去の嫌な出来事や
ネガティブなことは、
否定的に捉えたくなるが、

ここで少し発想転換すれば、
意外にも良いことが
起きることもしばしばだ。

今回は
「嫌な出来事に対して
発想転換してみる」ことについて。

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もし、自分がしたことで
何か不都合が起きたのなら、
「何が良くなかったのか?」を考えて、
再びそれが起きないよう
気をつけるのは、意義あることだ。

ミスや失敗があるからこそ
人は学んで成長できる。

ネガティブな出来事に対して、
フィードバックするから、
改善も可能になる。

しかし、
自分ではどうにもならないことで
悪いことが起きた場合は、
他人や自分の置かれた環境に
原因を探し、それを責めることも
珍しくない。

その後、ずっと
誰かを責め続けたり、
辛かったことを嘆いていれば、
惨めになるだけで、
良いことは起きないだろう。

それよりも、
ちょっと発想転換して
起きた出来事の捉え方を
変えてしまえば、
人生も意外な方向へ進み始める。

その意外な方向とは、
自分にとって
望ましいと思われるものだ。

発想転換に必要なのは、
次の質問を
自分自身に投げかけること。

「あの嫌な出来事は、自分にとって、
何のために必要だったのか?」

「あの辛かったことは、
自分にどんな有益なものを
もたらせてくれるのか?」

自分に大きなダメージを
与えたものに対して、
「なぜ、それが必要だったか?」
「どんな良いことがあるだろうか?」
と考えるのは、ちょっと変な感じがする。

しかし、
この発想転換ができれば、
後に予想外な良い展開が
自分を待っていることも
珍しくない。

発想転換のためには、
「誰が悪かったのか?」
「何が悪かったのか?」という質問から

「なぜ、それが必要だったか?」
「どんな良いことがあるだろうか?」
に変えてしまうことだ。

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苦境に立たされた時には、
心に余裕もないから、
「ただシンドイ! ただツライ!」
としか感じられない。

しかし、
時間の経過とともに、
心にちょっとゆとりが出てくれば、
少し違った視点から
自分自身のネガティブ経験を
振り返ることも可能だ。

「なぜ、あの辛いことが必要なのか?」
「自分にどんな良いものを
もたらせてくれるのか?」

こういう視点で、
過去の悲しい経験を
観ることもできる。

すると「私の人生には
こういう生きる目的があった」

「自分にはこういう使命が
与えられていた」と
気づくチャンスにもなり得る。

過去のネガティブ経験は、
インパクトが強すぎて
忘れたくても、
なかなか忘れられないもの。

でも、実は、
この出来事は自分にとって
重要な意味があるから、
忘れないようになっているのだ。

この出来事を忘れないで、
人生に活かしてゆけるよう、
ずっと記憶に残しておく
ということだ。

その出来事と、それにより
その後受けた影響が
どのようなものだったか?

これを振り返ることで、
自分の生きる目的や
自分に与えられた役割、使命が
見えてくることも多い。

自分の過去の経験を活かして、
世の中で多くの人たちが
求めているものを
提供できるかもしれない。

もし、そうであれば、
このネガティブな出来事は、
自分にとって悪いものだった
では終わらないだろう。

「これがあったからこそ、
今の自分がいる。
起きて良かったことだった」
と過去のネガティブな出来事にも
感謝の気持ちが湧くことさえある。

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悪いことが起きている最中は、
それは「悪いこと」であり、
それにより苦しめられる。

しかし、もっと長いスパンで
同じ出来事を見つめた時には、
「決して悪いことではなかった。
むしろ、良いことに転じた」
ということもしばしばだ。

その時には、
嫌なことだと判断して、
「こんなことが起きなければ、
良かったのに!」と思っている。

しかし、それから数年後、
以前は起きないほうが良かった
と信じていたことでも、

最終的には、
起きてくれて良かった
と有難いものに転じることも
あり得るのだ。

辛いと感じるその時の
短期的な目線では、
確かにツラくて大変なこと。

しかし、ちょっと時間が経てば、
「ああ、あれが起きなかったら、
今、自分はこんなに
良い状態にはなれなかった。
これで良かったんだ」と
喜ばしくなることも珍しくない。

同じ出来事でも、
短期的な目線で観るのか?
それとも、長期的なスパンで
考えるのかにより、
全然違ったものになる。

そう考えたら、
一見、今は良くないことだ
と思われることも、
必ずしも、
悪いことだとは言えないから、
あまり気を落とさなくてもよい。

下手に焦ることなく、
パニックになることもなく、
「このことも、
将来、どのように発展するか
分からない」と軽い気持ちで
構えていたほうが、自分もラクだ。

今現在は「とんでもないこと」でも、
将来的には、
「こんな素晴らしいものに
転じた」ということも
多々あるからだ。

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逆境の最中では、
「この状況はなぜ必要なのか」
「どんな良いことを
もたらす可能性があるか」
という答えは見えにくい。

苦しさが酷ければ、
そんなことを考える余裕も
ないからだ。

それでも、この質問を
自分に対して
投げかけてみるとよい。

すぐには答えが
見つからなくても、
こういう観点で見ることも
できると知っていれば、

そのうち意外な気づきを
経験することも
よくあるからだ。

この質問を全くしなければ、
過去のネガティブな出来事は、
そのまま悪い記憶として
自分の中に残ってしまうだけ。

しかし、この質問を
自分にすることを
繰り返していれば、

意外な時に、意外な形で
突然、何かを見ることが
可能になる。

その「何か」とは、
自分にとっては
素晴らしいものだ。

今後の自分が
意義ある人生を歩むのに
大きな助けになるものが多い。

質問の答えは
すぐに知る必要はない。

自分自身に投げかけることを
やっていれば、

予想もしない時に、
突然、答えが見えてくる
ものだからだ。

その時は、自分でも
びっくりするだろう。

不快なびっくりではなく、
喜びに満ちたびっくりなので
恐れる必要は全くない。

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過去のネガティブな出来事は、
ネガティブな解釈のまま
残しておけば、

自分の人生はツライもので
惨めな気持ちしか
感じられない。

しかし、
その嫌な出来事に対して、
発想転換してみれば、
意外にも予想外の良いことに
出会えることもしばしばだ。

その予想外を見るためには、
「何のために、その出来事は
必要だったのか?」

この質問を自分自身に
投げかけてみよう!

すぐに答えを見つけなくても、
全然構わない。

それよりも、
それを問い続けてみること。

するとある日突然、その答えが
自分の目の前に降りてくることも
よくあるからだ。

そのために、
ちょっと心に余裕が出たら、
ぜひこのように発想転換を
考えてみよう!