もしかして、これって引き寄せの法則で、実現したことなのかも?

これは私が割と最近、
気づいたことだ。

私の今の生活は、
子供の頃に頭の中で
空想していたものに近い。

もしかしたら、
引き寄せの法則により
自分の空想したことが
現実になったのか? 

ネット上で
引き寄せの法則のトークを
聞いていたら、
そのように思えてきた。

ニュージーランドに移り住んで
早31年。

今現在の生活は、
特に目立ったこともなく、
ごく普通の生活だ。

ある意味、
平和だと言ってもよい。

今の生活が
当たり前になってからは、
ありがたみも感じずに、
普通に生きている。

しかし、私が子供の頃には、
今している普通の生活でさえ
夢のまた夢だと感じられた。

こんな平和に暮らせること自体、
絶対にムリに決まっている
と確信できたくらいだ。

それほど、私の当時の人生は、
酷いものだった。

私は、まだ自分一人では
生きて行けない子供の頃に、
人生のどん底に落ちた。

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小学校4年生の時、
私は、死の恐怖を体験するような事件に
突然巻き込まれ、

その後、それをきっかけに
心身の健康状態を
崩してしまった。

今の時代なら、精神内科に行って、
PTSDの診断を受け、
それなりの治療も可能だった
と考えらえる。

しかし、その当時の日本では、
PTSDの概念などなかった。

その道の専門家である
精神科医でさえ、
そんな病気があることを
知らなかったのだ。

私は、総合病院の内科と精神科を
両方受診したが、
「何も異常はありません」
と言われただけ。

精神科医が私の親に言ったのは、
「この子は、弱い子だから
こうなるんです」ということ。

そこで、私の両親は
スパルタ教育を施して、
我が子の弱い精神を
叩き直そうと考えたのだろう。

私は身体に不快な症状が
幾つもあり、
学校へ行くこともシンドイ!
と感じていたが、

無理矢理学校へ
行くはめになった。

学校へ行けば、
私はクラスメートから
酷い虐めに遭った。

身体の具合が悪くて、
多少変な行動もあったため、
「オカシナやつだ」と
思われたのだろう。

私は虐めの対象となり、
散々な思いをした。

悪ガキ男子が
私の奇妙な行動を見て、
馬鹿にして笑った時、

教師までが一緒になって、
私のことを嘲り笑った。

そのため、
私はどうしても
学校へは行きたくなく、
登校拒否をするようになった。

小学校5~6年生の頃、
私は学校へ行ったり、
行かなかったりを
繰り返していた。

毎朝、胃が酷くムカついて
朝ご飯もまともに
食べられない状態だった。

でも、全然食べなければ、
親に叱られるから、
無理にでも少しは
食べるように頑張った。

歯磨きすれば、
食べた物を吐きそうで、
きちんと歯磨きもできない!

身体に力が入らず、
フラフラの状態でも、
「学校へ行くのは
子供の義務だから」と強く言われて、
仕方なく登校した日も多かった。

学校へ行かない日は、
夜、父が帰宅してから、
父に怒鳴り散らされて、
顔や頭を強く引っ叩かれたり、
蹴っ飛ばされたりして、
厳しい体罰を受けた。

父が怖くて、仕方なく
無理に学校へ行った日もある。

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しかし、
学校へ行っても、
教室の中で椅子に座って、
ただぼーっとしていることが
多かった。

授業中でも、先生の話は
全然耳に入らなかった。

それよりも、私の頭の中では
「トイレに行きたくなったら
どうしよう?」と心配したり、

「休み時間に
また虐められたら嫌だな~」
と不安に感じたり。

そんなことだけを考えて、
授業中は先生の話に注意を払うことも
できなかった。

私の身体の不快な症状の一つに
頻尿がある。

膀胱に尿がさほど溜まってなくても、
猛烈にトイレに行きたくなり、
授業中でもトイレに行くことも
しばしばあった。

そして、それが虐めの原因の
一つにもなっていた。

私は学校へ行く日はあっても、
学校で普通に勉強や
そのほかの活動に
専念することはできなかった。

いつも、私の頭の中は、
虐められることや、
身体の不快なことで
いっぱいだったからだ。

しかし、こんな苦しい中でも、
一つだけ私を救ってくれる
ものがあった。

それは、現実逃避。

頭の中で
勝手にあり得ない空想を
することだった。

「こんな生活ができたら、
どんなにいいだろう」
と考えていたのだ。

その当時の私にとっては、
絶対にムリだ
と考えられるようなことを
勝手に頭の中に思い描き、

空想することで
厳しい現実から逃れて、
自分を慰めていたのだ。

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具体的に私は頭の中で
どんな想像を
膨らませていたのか?

それは、平和な環境下で
安心して暮らすことだ。

暴力を振るわれることもなく、
罵倒されることもなく、

誰かから
傷つけられることのない環境で
心配なく生活すること。

嫌なタバコの煙もなく、
酒臭い匂いもなく、
爽やかな空気に満たされた室内で
毎日を過ごせること。

広々とした緑豊かな土地に建った
一軒家に住み、
周囲には羊を初め、
可愛らしい動物たちが沢山いる。

大草原の小さな家
に出てくるような、
自然豊かな環境を
頭の中で思い描いていた。

その空想の中では、
私は優しい人たちに囲まれて、
ごく普通に安心して暮らしている。

近くにいる人たちは
私にとても協力的で、
困った時には助け合える仲だ。

この空想は、
その当時の私にとっては、
絶対に実現不可能だ!
と思えるほど非現実的なものだった。

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小学校、中学校、高校の時、
私は現実逃避することが
多かった。

その理由は、自分の居場所が
どこにもなかったから。

家庭でも、どうしょうもない
落ちこぼれ人間として扱われ、
惨めな気持ちでいることが
ほとんどだった。

中学校、高等学校では
一応、学校へは通っている。

しかし、きちんと出席しても、
友達と呼べるような友達も数少なく、
私は学校でも
あまり喋ることもなく、
大人しい存在だった。

家に帰れば、
父からは怒鳴られたり、
暴力を振るわれたり。

母からは常にダメ出しされて、
非難の言葉を浴びるだけ。

近くに住む同級生と
比較されて、
「なんて困った子なんでしょう!」
と呆れられることもよくあった。

今考えれば、
日本で私が過ごした時間は、
辛いことばかりが多く、
良いことはあまりなかった。

そんな私を救ってくれたのは、
現実逃避の空想だ。

家庭内でも、学校内でも、
現実逃避の空想を
することが頻繁にあった。

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中学生になってから、
私は英語クラブに入会して、
それを機に、海外文通を始めた。

ペンパルから送られてくる
写真や絵ハガキを見て、
私の外国に対する
憧れが強くなってきた。

なぜだか分からないが、
海の向こうには、
私のことを歓迎してくれる
ステキな世界があるように思えて
仕方なかった。

外国について、
ほとんど知識もなく、
何も分からないのに、

私の目の前にある
日本での嫌な生活とは全く違った
素晴らしいものが外国にはあるのでは?
とまで思えた。

海外文通を始めて以来、
私の外国での生活の空想が
どんどん膨れ上がってゆき、

そのうち、気がついたら
私は必死に英語の勉強をしていた。

アルバイトを始めてからは、
バイトで貯めたお金で
海外研修に参加したり、
外国旅行をするようにもなった。

ニュージーランドで
短期の英語研修に参加した後、
帰りに飛行機の中で
運命的な出会いがあった。

私の前の座席に座った
ニュージーランド人の夫婦と
ちょっとしたきっかけで
会話が始まったのだ。

私の大きなカバンが
その夫婦の座席の下に
はみ出していたので、
「ごめんなさい」
と謝罪したのが始まりだ。

その後、その夫婦と
色々な話をして、
飛行機が成田空港に着くころには
私は彼らとすっかり仲良くなっていた。

住所交換までして、
その後、文通もはじまり、
本格的にお付き合いするように
なった。

その後、
多少、色々なことが起きたが、
その話をすれば長くなるので
今回は割愛したい。

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けっきょく、私は
その夫婦のお陰で、
NZに留学して、彼らの家から
大学へ通うようになった。

そして、大学卒業後は
日本に帰らず、現地で就職。

その後は、現地で結婚して、
2人の子供に恵まれた。

子育てで毎日忙しく
バタバタしているうちに
長い月日が流れて、

今では子供たちも
他の都市の大学へ行くために、
自宅を離れたところだ。

夫と私と2人だけの生活だが、
今現在、私たちはとても平和に
仲良く暮らしている。

自宅の窓の外には、
緑豊かな大自然が広がっていて、
時々、我が家のベランダには
野生の鳥が飛んでくる。

タバコの煙もゼロ。
酒臭さもゼロ。
自分の身の回りには、
暴力を振るう人もいなければ、
私を罵倒する人もいない。

それどころか、
私の優しい旦那様は、
いつも私のことを褒めてくれて、
私を大切に扱ってくれる

この平和な生活は
時には単調すぎて
ちょっとツマラナイ! と
文句を言いたくなることもあるが、

よく考えれば、昔私は
このような生活を
頭の中で思い描き、
空想していたのではないか!

今になれば、
普通で当たり前のこの生活も、
子供のころには、絶対に不可能だ
と思われたことだ。

現実逃避をすることは、
普通に考えれば、
あまり良いことだとは思わない。

しかし、私の場合は、
現実逃避ができたからこそ、
日本でのツライ人生を
生き延びれたのだと考える。

その現実逃避の空想の生活が
そのまま今の現実になっているのは
かなり不思議なことだと感じている。

もしかしたら、
これは引き寄せの法則
だったのかも? 
とまで思えてくるのだ。

空想することは、
特別誰かに迷惑が
かかるものではない。

自分の中で
楽しいことを空想できれば、
一時的でも楽しい気持ちに
なれるものだ。

我に返って
厳しい現実と向き合った時、
がっかりすることはあっても、

やはり、
楽しい空想ができたから、
自分は人生の前半部分を
どうにか生きて来れたと思う。

現実逃避を推奨するのは
ちょっとオカシナ話だが、

今の現実が
あまりにも過酷な場合には、
非現実的な楽しい空想でもして、
自分を癒してあげるのも、
けっして悪くないと考えている。

もしかしたら、そのうちに
それが引き寄せられてきて、
現実になることもあり得るのだから。

ということで、今回は、
私自身の体験談、
「もしかしたら、子供の頃
空想したことが現実になったのかも」
という話をしてみた。