世間様の視線を気にせずに、自分らしく生きよう!

今回の話は、
世間様の視線を気にせずに、
自分らしく生きよう
という内容。

その理由は、
世間様の正体は
いい加減なものだから。

そんなものに振り回されて、
自分の生きたいように
生きなければ、
不幸になってしまうからだ。

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人は誰でも
「自分らしく生きたい」
という願望がある。

しかし、現実的には、
他人の顔色ばかりをうかがって、
自分が本当にやりたいこともできずに、
自分を抑えつけて生きている。

周囲に合わせて流されてしまい、
自分が心底望むこともせずに
ツマラナイ人生になることも
珍しくない。

なぜ自分らしく
生きることができないのか
というと、
世間様の目があるからだ。

私たちの多くが、親から
「そんなことをすれば、
世間様に笑われてしまうよ!」とか、
「世間様にどう思われると
思っているの?」などと言われ続けて、
育ってきた。

世間様を怒らせないように、
世間様に気に入られるように
振舞わなければならない
と教え込まれてきたのだ。

そのため、
世間様を必要以上に
気にするようになった。

しかし、現実的には、
世間様の目を気にして、
自分のやりたいことが
できなければ、
自分は幸せだろうか?

他人の気分や意見に合わせて、
周囲の言うことに
振り回されてしまえば、
自分自身を見失って
しまうだろう。

残念ながら、
世間様のご機嫌を取ることばかりに
気を取られると、
自分自身が満たされなくなり、
充実した人生から
遠ざかってしまう。

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「世間様……」、
「世間様……」と皆が言う
世間様とは、いったい何者か?

一般的には、世間様とは、
秩序、常識、規範、道徳
などと捉えられ、
周りの大多数の人々が
間違いないと信じている意見のことだ。

周囲にいる大勢の人たちが
「これが正しい」
と思い込んでいることなので、
自分も正しいと錯覚してしまう。

しかし、冷静に考えれば、
世間様は不確かで
あまりあてにならないものだ。

なぜなら、
「周りの大多数の人々」と言う時、
「周り」というのは
すごく狭い世界のことだから。

例えば、その町の人々とか、
その会社の人々とか、
その組織に属している人々とか、
そのクラスの人々とか、
とても小さな集団にすぎない。

ほんのわずかの人の集まりが
「これが正しい」
と言っているだけで、
その集団から一歩外に出れば、
その考えは無効になることも
多々ある。

つまり、その正しいことは、
どこでも通用するものではない。

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世間様の正体は
時の流れとともに
コロコロ変わるものでもある。

時代が変われば、
姿も形も変わるような
不確かなものだ。

三国志に出てくる
エピソードがよい例だ。

そのエピソードの中で、
三国志の主人公・劉備が
家臣の家を訪問した時、
家臣が劉備をもてなすために、
自分の奥さんを殺して、
彼女の肉を料理して、劉備に振舞った。

この振る舞いに対して、
劉備は非常に感激して、
「なんて忠義な家臣なんだ!」
と言い、家臣に感謝した
という話がある。

こういう話が美談として
三国志の中に出てくるが、
同じようなことが現代社会で起きたら、
世間様は何と言うだろうか?

この時代には美徳であっても、
今では「とんでもないことだ」
と誰でも思うことだろう。

常識や道徳は時代によって、
ここまで変わってしまうのだ。

私たちの世界は
常に変化していて、
人間の価値観も考え方も
時が経てばコロコロと変わってゆく。

今は間違いないと確信していても、
しばらくすれば「これは非常識」
となることもたくさんある。

これが世間様の正体なのだ!

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世間様と言っても、
世間様を構成するのは、
一人一人の人間にすぎない。

そして、その一人一人というのも、
欲望や怒り、妬み、嫉みで
心がいっぱいの人間だ。

煩悩の塊である人間を
多数集めたのが世間様
ということになる。

これが儲かると聞けば、
皆、そちらへどどっと流れる。

でも、しばらくして、
もう儲からないと分かれば、
どどっと引いてゆく。

損得勘定、利害打算で動くのが
世間様の正体だ。

組織でも一人有力な人がいれば、
皆、その人に従う。

その人のやることが
正しいと思わなくても、
その人に嫌われたくないから、
その人に媚びをうって
好かれようと努力する。

悲しいけれど、
人間というのは、
このような残念な生き物だ。

そういう人間を集めたものが
世間様なのであれば、
そんなものに
振り回されるのは、
馬鹿らしいと思えないか?

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そうは言っても、
やはり多くの人たちは
世間様が気になって、
自分自身を生きれない。

それでは、どうすれば、
私たちは自分軸をしっかり持ち、
自分らしく生きれるだろうか?

その答えの一つが
「環境を変えること」。

もし、今自分が居る世界が
自分にとって息苦しいものならば、
その世界から抜け出して、
別の世界に移るとよい。

自分の今居る狭い環境が
すべてではないからだ。

例えば、今の学校に
馴染めなければ、
転校することを
考えてもよいだろう。

転校する前には、
新しい学校へ移っても、
今の学校と似たようなもので、
そこでも自分は上手く行かないだろう
と考えがちだ。

しかし、勇気を奮って
実際に別の学校へ移ってみれば、
以前の学校の常識と
新しい学校の常識とは
かなり違うと分かる。

自分が今いる世界は、
本当に小さなものであり、
その中で当たり前のルールでも、
外に出れば、当たり前では
なくなるのだ。

一つの場所しか
経験したことのない人には、
このことは分かりにくい。

でも、そんな人でも、
思い切って外に出れば、
今までの当たり前は
外の世界では通用しないと知り、
驚くことが多いのだ。

自分の居心地が良い場所、
自分らしく生きれる場所を探して、
新しい世界に飛び込むことが
世間様から逃げる方法の一つだ。

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今回の話をまとめれば、

私たちの多くは、
自分らしく生きたい
と望んでいるにもかかわらず、
世間様の視線が気になって、
そうすることが難しい。

しかし、世間様の正体を
冷静に見つめれば、
世間様は信頼性に欠ける、
あてにならない不確かなものだ。

世間様は、煩悩の塊である
人間の集まりにすぎず、
とても小さな狭い集団だからだ。

また、時代が移り変われば、
世間様の姿・形もコロコロと
変わってゆくものだ。

そんなあてにならないものに、
自分自身が振り回されて、
自分の心底やりたいことを
抑えつけて生きるのは
愚かなことだ。

それでも、どうしても
世間様の目が気になるのなら、
今の居心地の悪い環境から
思い切って外に出てしまおう!

そして、
自分らしく生きられる場所を
探して、そこに移り住むことだ。

時代が変われば、場所が変われば、
常識も全く変わることを
しっかり頭に入れて、
自分自身を縛りつけることは
やめよう!