自分が何か役立つことをして、
他人から感謝されたいと願う気持ちは
多くの人が持つことだろう。
でも、もし、誰も自分に「有難う」
と言ってくれないのなら、
自分は腹立たしく感じてしまう場合には、
その親切はやらないほうがよい。
逆に、誰からも感謝されないけれど、
それをやることは世のため、人のためとなり、
誰かに役立つ親切であり、
自分にとって大きな負担にならない場合には、
積極的にやったほうがよい。
今回の話は、
親切にしてあげているのに、
ちっとも感謝されないと嘆く人に
聞いて貰いたいものだ。
一般的に、人に親切にすることは
良いことではあるが、
場合によっては、親切にしないほうが
自分のためにも、他人のためにも
よい時がある。
なぜ、この話をしようと思ったかは、
身近な人との会話の中で、
親切について考えることがあったから。
その人の前では、
自分の正直な気持ちは言えなかったが、
心の中で思うことがあったからだ。
その話とは次の通りだ。
その知人は小学生の息子がいて、
毎日、学校まで送り迎えしている。
ある日、息子のクラスメートのお母さんから
こうお願いされた。
「学校のお迎えの時に、
うちの子も一緒にピックアップして、
その後、2~3時間、子供を預かってくれない」と。
知人は快くそのお願いを受けた。
息子と一緒にそのクラスメートを迎えに行き、
自宅に連れて帰って、息子と一緒に遊ばせた。
子供たちは学校帰りでお腹をすかせている様子。
せっかく息子の友達も来ているので、
おやつにパンケーキでも焼いてあげようと思い、
ちょっと面倒だと感じたけれど、
息子とクラスメートの友達に
手作りおやつを作ってあげた。
こういう感じで、
息子の友達を、息子と一緒にピックアップして、
自宅に連れて来て、遊ばせるという日が
何度か繰り返しあったそうだ。
そして、そのたびに、
子供たちには手作りおやつをご馳走していた。
問題はここから始まる。
自分は息子の友達に
気を利かせて、手作りおやつを与えて、
親切にしてあげているのに、
息子の友達のお母さんは、自分に対して、
何もお礼を言わないとのこと。
それどころか、「お昼のお弁当箱に、
ちょっと多めにスナック類を入れているから、
何もおやつを上げる必要はない」
とまで言ったそうだ。
知人はその言葉に、とても腹を立てた。
この話を聞いていて、私は思った。
その親切は、もしかして、人のために
と言うよりも、自己満足のためではないのか?
ということだ。
子供が喜んでくれれば、
それで十分ではないか?
子供の親から「有難う」と言われなかったから、
怒りの感情が湧いてくるのなら、
そんな親切はやらないほうがよいのでは?
と思った。
他人のために良いことをしてあげるのは、
その人の役に立ったり、喜んで貰えるから。
それだけで、十分なはずだ。
でも、お礼をきちんと言って、
感謝の気持ちを見せて貰わなければ、
満足できないと感じるのは、
やはり、その親切は、他人のためではなく、
自分のための親切にすぎない。
自己満足のための親切だということだ。
自己満足のための親切なのに、
自分のためではなく、
他人のためと恩着せがましく思えば、
親切を受けた相手にとっても、迷惑な話となる。
なぜなら、自分が親切心で
良いことをしていても、
それは自分の視点での良いことであり、
他人にとっては、必ずしも良いことではないから。
場合によっては、他人にとっては、
迷惑だったということもあり得る。
例えば、誰かの子供におやつを与える場合。
もしかしたら、その子供は
食品アレルギーがあるかもしれない。
ピーナッツとか、乳製品とか
食べてはいけないものがあるかもしれない。
また、子供の虫歯予防のために、
極力、砂糖菓子を食べさせたくない
と考えるお母さんもいる。
合成着色料とか、保存料とかを気にして、
オーガニック製品しか与えない親もいる。
この知人の話については、
息子の友達に食品アレルギーがあるかどうか、
そのお母さんのおやつに関するポリシーが
どうなのかは分からない。
でも、もしかしたら、そういう理由もあり、
受けた親切を有難いと思えなかった
ということもあり得る。
自分がされて嬉しい親切でも、
他人も自分と同じように
喜ぶわけではない。
人にはそれぞれ色々な事情があり、
考え方も、感じ方も全く違う。
自分が良かれと思ってしたことが、
相手の迷惑になる場合もある。
自分が誰かの役に立つことをする時に、
または、喜んで貰えることをする時に、
相手から「有難う」と言われなくても、
やってあげたい気持ちがあるのなら、
是非、やってあげるとよい。
でも、感謝されなければ、やりたくないとか、
それをやるために、
大きな自己犠牲を払わなければならない
という状況ならば、
やらないほうがずっとマシだ。
純粋に、誰かに喜んで貰えれば、
それだけで自分が嬉しくなるのなら、
その親切は他人のための親切だ。
しかし、お礼を言われるとか、
感謝の気持ちを述べて貰えないと、
自分は気に食わないと思うのなら、
自己満足のための親切と言ってよいだろう。
自己満足のための親切を、
ムリしてやるようならば、
やらないほうがずっとマシだ。
いつもお礼を言って貰えるわけではないからだ。
また、自分は親切心でしていても、
他人にとっては、有難く思えないこともある。
それどころか、迷惑ということもある。
もし、親切にしてあげているのに、
誰も自分を感謝してくれない、
と悲しい気持ちになることがあれば、
ちょっと冷静になり、考えてみるとよい。
「その親切、本当に他人のため?
もしかしたら、自己満足ではないの?」と。