悪い出来事が起きた時、
私たちはつい「これは〇〇のせいだ」と、
他人や周囲の環境に
責任を押し付けてしまいがちです。
そのように他責に逃げるのは、
手軽で容易な道ですが、
そのような姿勢では
人生の好転は期待できません。
今回のテーマは、
人生を好転させるためには、
どのような視点に気づくべきなのか、
という問いについて
掘り下げていきます。
参考資料として、
浄土真宗の仏教講師である
菊谷隆太さんのYouTubeトークを用いつつ、
このテーマを探求していきます。
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結論を述べる前に、
まずは仏教の重要な概念である
「他因自果」と「自因自果」について
お話します。
「他因自果」とは、
自分が現在体験している結果を
他者のせいにする思考のことです。
一方で、「自因自果」は、
自分が経験している事柄が
自己の行為に起因している
と考えることです。
人生を好転させるためには、
「自因自果」への洞察が不可欠で、
自分の種蒔きが結果として
自分に影響を及ぼす
という事実を受け入れることが大切です。
仏教的視点から解釈すれば、
良しとされることであれ、
悪しとされることであれ、
全てはある一定の法則に基づいて
起こっているとされます。
ここで言う法則とは、
「因」と「縁」と「結果」の関係です。
「因」は自分の行為を示し、
「縁」は自分以外の要素、
例えば、他者や環境の影響などです。
私たちの周りで起きる出来事は、
「因」と「縁」の両者が
結びついた結果として
現れるという法則です。
別の言い方をすると、
「因」だけあっても、
「縁」だけあっても、
「結果」は生まれません。
「因」と「縁」の双方が揃って
初めて、「結果」が生じるのです。
それゆえ、
自分にとって悪いことが起きた時、
「縁」の部分だけを責めて、
「因」を顧みないことは
適切ではないということです。
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例えば、
結婚相手が暴力をふるう夫で、
日々その暴力に晒され、
心身ともに疲弊した人がいる
としましょう。
妻からすれば、
「こんな過酷な状況に見舞われて、
私はなんて不幸なんだ!」
と嘆きたくなるでしょう。
この状況では、
一見すると夫が一方的に悪く、
妻には非がないように思えます。
しかしながら、この場合でも、
妻が抱える現状は、
妻自身の行動に起因する「因」が
関与しています。
それは、
そのような恐ろしい人物を
妻自身が選択した
という事実があるからです。
日々の暴力により
心身が疲弊し切ったある日、
妻のもとに優しく声をかけてくれる男性が
現れました。
そして、
その男性に心惹かれた妻は、
暴力をふるう夫と別れ、
この優しげな男性のもとへと
移りました。
しかし、実はこの新たな男性も、
前の夫と同じように
暴力を振るう人だったのです。
以前の経験で
教訓を得たはずだったのに、
妻は何も学ばず、
甘い言葉にすぐに心を奪われて
その人についていってしまったのです。
結果として、
再び同じ苦境に見舞われることに
なりました。
厳しい見方かもしれませんが、
こうした見る目の無さは、
他者のせいだけではなく、
妻自身に課題がある
と言えるのです。
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良い種を蒔けば、
それが良い結果として
自分に返ってくるはずです。
しかし、時として、
良い種を蒔いているにもかかわらず、
期待した良い結果が
なかなか得られないという状況に
なることも少なくありません。
そういった場合には、
「自分の努力が報われていない」
と悲観的になってしまうのが
人間の心情でしょう。
でもここで、
先ほど述べた法則、
「因」と「縁」と「結果」の法則を
思い出すことが重要です。
自分の一生懸命な頑張りや努力は
「因」になります。
しかし、良い「因」があるだけでは、
良い結果を得るためには
十分ではありません。
「因」だけでなく、
「縁」も必要となるからです。
良い「因」と良い「縁」が揃った時、
はじめて望む結果が生まれるのです。
したがって、「縁」に恵まれることも
必要です。
悲しいことに、「縁」は
自分の意志で
コントロールできるものではありません。
ではどうしたら
良いのでしょうか。
それは、良い「縁」が訪れるのを
静かに待つことです。
仏教には「果報は寝て待て」
という言葉があります。
これは、「幸福の訪れは
人間の力で作り出すことはできず、
焦らずにその時を待つべし」
という意味です。
この言葉の深い意味は、
自分が絶えず良い種を蒔き続けていれば、
いずれは良い「縁」に恵まれ、
幸運が訪れるということです。
つまり、
ただ怠けて運を待つのではなく、
真剣に努力を続け、
良い種を蒔き続ければ、
やがては「縁」に恵まれて
大きな成功を収めることも
可能だということでしょう。
それまで、焦ることなく、
気長に良い種を蒔き続け、
その結果を待つことが
求められているのです。
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理不尽な出来事や
不愉快な事態に遭遇した際、
自分以外の人や周囲の環境を
非難したくなるのも
自然のことでしょう。
しかし実際には、
その出来事の原因の一部は
自分にも存在するという認識を
持つことが大切です。
この認識を持てれば、
人生は自然と良い方向へと
流れていくでしょう。
今回の話の核心を端的に表現すれば、
人生を好転させるためにすべきことは、
自分が可能な範囲で
日々良い行いを積み重ねていくことです。
その姿勢で生きていれば、
やがては良き縁に恵まれ、
喜ばしい結果を
得ることができるでしょう。
もし、「他人のせいだ!」「環境のせいだ!」
と自分以外の要因を
非難したくなる衝動にかられたら、
一度謙虚な心に戻り、
その原因が自分自身の中にも
潜んでいないかを振り返るとよいでしょう。
そして、常に良い種蒔きをするよう
心がけることです。
そうすることで、
自己改革や自己成長が可能となり、
人生は少しずつでも
確実に好転していくことでしょう。
参考動画:「仏教版 人のせいにばかりする人への対処法」
(ユーチューブ 仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太さん)