情報に触れることは、
自分を豊かにするための
行為であるはずです。
しかし、情報を得ることで
心配が増えたり、不安を抱えたり、
不要な争いを起こしたり
してしまうことも
少なくありません。
もし情報が
私たちを不幸にさせるのであれば、
そんな情報は見ない方が
良いのかもしれません。
情報に触れる際には
明確な目的を持ち、
不必要な情報は排除しましょう!
これが今回の話の要点です。
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一般的に、多くの情報に触れ、
様々な知識を得ることは
とても有益なことです。
現在の世界では、
何が起こっているのか、
どのようなトレンドが
存在しているのか、
自国や他国が直面している
問題やその解決策は何かなど、
さまざまな知識を
得ることができます。
これら情報をヒントにして、
自分の生活をより良くし、
人生を豊かにすることは
非常に意義あることです。
しかしながら、
テレビを含むマスメディアは、
多くの視聴者を獲得するために、
ネガティブな情報ばかりを
流す傾向があります。
人はネガティブなことに敏感であり、
そのような情報は人々の注意を
容易に引くことができるからです。
実際よりも誇張した表現や
センセーショナルな話術によって、
興味を引くように見せかけ、
多くの視聴者を引きつけます。
また、実際よりも
大げさに話すことで、
人々の不安を煽ることも
珍しくありません。
全体像を均等に提示せず、
悪い一面だけを取り上げて拡大し、
人々に歪んだ認識を
与えることもあります。
さらに、経済的な報酬を目的として、
特定のグループや商品を
過度に賞賛する情報を流し、
人々に望ましくない行動を
促すこともあるのです。
視覚情報である映像を操作し、
見ている人々を誤った方向に
導くこともあるほどです。
自分の生活をより良くし、
人生を豊かにするために
情報収集しているはずなのに、
触れた情報によって
極度の不安を感じたり、
気分が落ち込んだりして
感情的に揺さぶられてしまう人は
意外と多いのが現状です。
また、必要のない争いや喧嘩を
情報のせいで
引き起こしてしまうことも
否定できません。
情報からそのような
悪影響を受けるのであれば、
最初からそのような情報は
見ない方がよいのではないでしょうか?
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情報により、争いや戦いが
引き起こされることも
しばしば見られることです。
例えば、
パンデミックのピーク時には、
コロナワクチンについての賛否が
激しく論議されました。
一部の情報筋によれば、
パンデミックを終息させるためには
ワクチン接種が絶対に必要だ
とされました。
この考えを信じた人たちは、
ワクチン接種を義務化することを
強く支持しました。
一方で、ワクチン接種は危険であり、
人々を死に至らせたり
健康被害を引き起こす
副作用があると
主張する人たちもいました。
特に今回のワクチンは
治験期間が非常に短く、
安全性の確認が
不十分だと思われたからです。
ワクチン接種の義務化が
正義だと考える人たちにとっては、
ワクチン接種は正しいことです。
それに対して、
安全性が保証されていないワクチンを
体に入れることに
反対する人たちにとっては、
ワクチンを阻止することが
正義だと確信しています。
双方が正義を掲げて
言い争いや戦いが
色々な場所で起きました。
このような戦いは、
偏った情報や歪んだ情報が
流されることによって
引き起こされる場合が多いです。
ワクチン接種に関する問題は
単なる一例であり、
世界の歴史においても、
宗教間や国家間の戦いは、
正義対正義の争いから
生まれたものも数多く存在します。
正義対正義の戦いでは、
双方にはそれぞれの信念と主張があり、
自分たちの「正しい」を
通すために相手と対立します。
戦っている当事者は
自らが正義のために戦っていると信じ、
自分が正しいことを
心底信じています。
しかし、残念ながら
戦いによって最終的には
双方が破滅状態に陥り、
結果として互いにとって
望ましくない結果を
生むことも否定できません。
本来、自分が正しいと
信じるように至ったのも、
何らかの情報によるものです。
しかし、情報には
偏りや歪みがある場合も
少なくありません。
全体像を見ずに
一部の側面だけを見る情報であったり、
小さなことを大袈裟に
誇張している情報も
数多く存在します。
それらを鵜呑みにして、
判断すること自体、
危険であると言えるのです。
ワクチンに関しても、
ワクチンを受けた方が良い人も
そうでない人もいるでしょう。
個人が適切な判断をしやすくするために、
その時点で分かる範囲で
偏りのない情報を
提供することはとても重要です。
偏った情報によって
人々を誤った方向に導き、
正義対正義の戦いに
巻き込むようなものは、
そのまま鵜呑みにしてはいけません。
そのため、情報収集の際には
十分な注意が必要なのです。
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多くの情報に触れることで、
本当に自分が豊かになれるのか、
それも大きな疑問です。
例えば、
ニュースで取り上げられることは、
個人にとって
本当に重要なのでしょうか?
世界中で起きている出来事に関する
多くの知識を持っていても、
それらが必ずしも
自分の人生の本質的な部分を
より良くするとは限りません。
本質的な部分とは、
自分自身がどのように生きるべきか、
どのように成長するか、などです。
そちらに集中して
一生懸命に生きるほうが、
人生をより豊かに
するのではないでしょうか?
地球の裏側で起きている
悲惨な状況の映像を見て、
心が痛み落ち込んだり怒ったりしても、
自分は一体何ができるのでしょうか?
その国の首相のやり方を
批判したところで、
力も影響力もない普通の人が
何か役立つことが
できるわけではありません。
ネガティブな情報を見ることで
嫌な気分になり
心が揺れ動くくらいなら、
そんな情報は遮断してもよいでしょう。
自分の努力によって
状況が改善される可能性があるなら
話は別ですが、
自分のコントロールできない
遠く離れた出来事について
あれこれ言っても、
何も良いことはありません。
残念ながら、
自分が必死になっても
どうにもならないことも
現実には存在するのです。
そんなことに首を突っ込むよりも、
自分のできることに専念したほうが
賢いと思えないでしょうか?
今自分ができることを
最大限に行うことで、
生産的かつ建設的な結果を
生むことも可能です。
自分の目の前にいる人が
より良くなり、幸せになれるよう、
自分自身ができることを
実行することで、
人助けもできるのです。
情報に触れる際には、
この点もよく考えて、
情報を選択することが重要です。
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様々な情報について
言えることですが、
自分に悪影響を与えたり、
正義対正義の争いに
巻き込まれるような情報は、
自らフィルターにかけて
見ない方が無難です。
ニュースを見ることは
重要と考える人もいますが、
それによって自分の不安が増したり、
他人と喧嘩をしたり、
お互いを滅ぼし合うような状況に陥ったり、
自分に何の力もないのに
気分だけが悪くなったりする情報は、
害が多く得るものは少ないです。
ただ受け身的に
目や耳に入ってくる情報を
すべて受け入れるのではなく、
自分の生活をより良くするために
情報選びに注意を払い、
役に立つ情報に絞って
触れるように心がけた方が賢明です。
その情報に触れる目的を
きちんと意識し、
自分を不幸にするような情報は
取り入れるのをやめましょう。
その代わりに自分自身を
豊かにしてくれる情報に
積極的にアプローチすることです。
このような姿勢を持つだけでも、
情報による悪い影響を
かなり減らすことが可能になるでしょう。