今回は、
他人を助けるよりも、まずは
自分を助けてあげた方がよい
という話。
これだけ聞けば、
「なんて自分勝手な!」
と思う人もいるだろう。
でも、「自分勝手になれ!」
と言いたいのではない。
最終的には
他人を助けるために、
まずは自分を助ける
必要があるからだ。
なぜそうなのか?
詳しく解説したい。
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その理由は、
誰かを助けるには、
自分自身が良い状態でなければ
ならないから。
自分が満たされていないのに、
先に他人を満たそうとすれば、
自分にムリが出て、
支障をきたしてしまう。
そうなれば、
どんなに相手に尽くしたくても、
尽くす力さえ
なくなってしまうのだ。
人に親切にすること、
困ってる人を助けること、
誰かの役に立つことは、
とても素晴らしい。
しかし、
他人を助ける前には、
大前提として、
自分自身が元気で満たされていることが
必須だ。
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飛行機に乗る時を
思い出せば、分かりやすい。
搭乗直後、離陸前に
安全に関しての
機内アナウンスがある。
そのアナウンスは
次のようだ。
「酸素が必要になった時には、
酸素マスクが降りてきます。
それを自分の顔に当てて、
マスクをきちんと付けてください。
そのあと、子供やお年寄りなど
助けが必要な人に
マスクを付けてあげてください」
という内容だ。
このアナウンスは、
かなり重要な点が含まれている。
それは、
人の手助けをする前に、
まずは自分を
しっかりさせないといけない
という点。
これをせずに
子供や老人を優先させて、
自分を後回しにすれば、
自分は酸素切れになり、
人の手伝いどころでは
なくなるからだ。
そうなったら、
自分も、子供も、老人も
皆が共倒れ状態になってしまう。
自分自身を良い状態にしてから、
周囲の人たちを手伝うことは
これと全く同じ考えだ。
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それなのに、日本には
自分よりも他人を
優先する人が大勢いる。
その背景には、
多くの人々に不当な信念が
根付いているからだ。
その信念とは、
「自分を犠牲にして
他人に尽くすことは美徳である」
という価値観。
特に高齢者の間では、
この考えは立派なことだとされて、
広く浸透しているものだ。
戦争を経験した世代は、
「お国のために、
自分の命を犠牲にするのは、
名誉あることだ」と
教え込まれてきたせいも
あるだろう。
また、
「人に親切にしてあげましょう」
という教育は、昭和時代において
重要な教育方針の一つだった。
そんな社会風潮の中で
生きてくれば、
自己犠牲を払える人は
立派で偉い人!
そうできない人は
醜くて情けない人だ!
と自然と信じ込むようになる。
よって、
自分を先に満たすことに
罪悪感を抱く人も少なくない。
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そんな不当な思い込みをする
老人から、以前、
こんな話を聞いた。
その老人の妻が
痴呆症になってしまった。
今のところ、
自分は頭もシャープで
健康状態も悪くないから、
自分が自宅で妻を介護している。
ただ、妻の世話がかなり大変で、
自分自身も疲れ切っている
とのことだ。
それでも、痴呆症の妻を
老人ホームに預けることは
考えていない。
なぜなら、
今まで連れ添った妻だから
自己犠牲を払ってでも、
自分が世話しなければ
いけないと思うから。
妻をホームに預けること自体、
裏切り行為であり、
それに対して罪悪感を
抱いているのだ。
自分も高齢で、
妻の介護をシンドク感じるのに、
それでも自分に鞭を打ち、
無理してまで頑張っている。
自己犠牲を払い、
妻に尽くす気持ちは
ある意味、素晴らしい。
しかし、このケースでも、
妻のことを優先させて、
自分の体力を超えて
頑張り過ぎるのは、考えものだ。
今のうちはどうにかなっても、
それをずっとやり続ければ、
元気だったはずの老人も
参ってしまい、
妻の介護どころではなくなる。
そして、結局は、
破綻してしまう。
痴呆症の妻の面倒を
見れないだけではなく、
自分自身も
誰かに世話して貰う
立場になってしまうのだ。
そう考えれば、
自己犠牲を払ってまで
他人に尽くすことは
理にかなっている
とは言えない。
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一番理想的なのは、
自分も元気で満たされていて、
無理することなく相手にも
尽くしてあげられる状態だ。
そうなるためには、
まずは自分自身を元気にして、
満たしてあげる必要がある。
自分が元気で満たされて、
幸せいっぱいならば、
自然と自分に余裕が出てくる。
すると
周囲にいる人たちにも
自分の余力を
分けてあげれるようになる。
自分が元気でなかったり、
幸せでなかったりするのなら、
まずは自分が元気になり、
幸せになることが最重要課題だ。
その時期には、
他人に手助けする考えは
一旦横に置いて、
暫くお預けにした方が賢明だ。
自分のことを最優先して、
まずは自分を
良い状態にしてあげよう!
そんな時に、
「自分勝手だな」という思いが
自分を苦しめるようであれば、
不当な信念が自分の心の奥底に
根付いている証拠。
その不当な思い込みは
論理的ではない!
捨ててしまった方が望ましい。
「自己犠牲を払って、
他人に尽くすことは美徳だ」
という考えとは
おさらばした方がよいのだ。
そうすることで
貴重な時間やエネルギーを
自分自身を良くするために
費やしてあげれる。
そして
それを暫くやり続ければ、
自分も充電されて、
自分の中にゆとりが生まれ、
他人を助ける余地も出てくる。
このステージになって初めて
誰かを助けることを考えよう!
これができれば、
自分も元気でハッピー。
相手もきちんと助けを得られて、
ハッピーになる可能性が高い。
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今回の話をまとめれば、
もし自分自身が
満たされない状態だったり、
良い状態でなかったり、
元気でなかったり、
ゆとりや余裕がなかったり
するのなら、
他人を助けるよりも、
まずは自分自身を
助けてあげよう!
さもないと、
自分が潰れてしまう上、
周囲にも迷惑がかかるから。
また、
助けようとした対象を
助けることもできなくなる。
自分を優先させることに
違和感や罪悪感を抱くのは、
自分の中に不当な信念が
あるからだ。
その不当な信念は
「自己犠牲を払ってでも、
他人に尽くすことは美徳だ」
というもの。
残念ながら、この考え方は
理にかなっていないので、
早い時期に捨てた方が無難だ。
それよりも、
まずは自分を満たしてあげて、
自分が元気になり、
幸せになること。
そして、自分に余裕が出て、
誰かを助ける余力がついたら、
周囲にいる助けが必要な人に
手助けしよう!
最終的には
自分も元気でハッピー。
相手も元気でハッピーを
目指すことだ。
まずは自分、その次に
助けを必要とする人。
この順番を間違えないでね!