「皆もそう言っているよ」はウソだから、信用しなくていい!

今回は、
「皆もそう言っているよ」
という言葉はウソだから、
信用しなくてもよいという話。

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この言葉を
誰かから言われた人は
多いのでは?

ポジティブな内容なら
嬉しいけれど、
否定的なことならば、
ビビってしまうだろう。

「皆も」と聞けば、
言っている本人だけでなく、
その他大勢にも
自分は悪く言われている
と思うからだ。

しかし実際のところは、
この「皆も」という言葉は
正しくない場合がほとんど。

この言葉を使う人が
自分の主張することを
強調したいとき、
また、自分だけで
自分をサポートするときに
使われることが多い。

そんなズルイ言葉に
惑わされて悩むのは
馬鹿馬鹿しい!

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私自身もこの言葉を
実母からよく言われた。

「お化粧もなってないし、
髪の毛もきちんとしていない!
本当にだらしない子ね!
皆もそう言っているよ!」
と言った具合だ。

そう言われるたびに
私の心は傷つき、
不愉快になった。

「皆って誰?」と私が聞けば、
母はこう答えた。
「K叔母ちゃんと、ご近所のIさん」。

「その他は誰なの?」と問えば、
母は言葉に詰まった。

結局、たったの2人だけ。
しかもこの2人が本当に
そう言ったかは疑問だ。

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似たようなことを
自分の息子からも聞いた。

「僕、~が欲しいんだけど
買ってよ!」と息子はせがんでくる。

でも、それはかなり高価な商品だ。
はいはいと言って
すぐに買ってあげれるものではない。

私が躊躇っていれば、
息子は「持っていないのは僕だけ。
皆、持っているんだよ」と言い続けた。

「皆って誰?」と質問すれば、
「A君と、C君と、K君」と
3人くらいの名前が出てきた。

私が「B君とD君も持っているの?」
と聞き返すと、
息子は黙ってしまったのだ。

彼が知っている限りでは
たったの3人。

たったの3人で「皆が」
というのは
ちょっと違うのでは?
と私には思えた。

息子の同級生のお母さん数名に
その玩具のことを尋ねてみたが、
彼女らのお子さんたちも
持っていないとのこと。

結局「皆」では
なかったじゃないか!

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「皆がそう言っているよ」とか、
「皆が持っているから」
という言い方は、
使う人にとっては便利なものだ。

便利だけど、ある意味
ズルイ言葉でもある。

自分の意見を押し通したい場合や、
自分の欲しいものを
手に入れるために、
この言葉を使えば、効果的だ。

言われた側にとっては、
「その他大勢も同じようだ」
と解釈するから、
「本当にそうなんだ」
と思ってしまう。

しかし他の人に確認すれば、
実際のところは
全員がそう言っている
わけでもないし、
クラスのほとんど全員が
持っているわけでもない。

その言葉を真に受ければ、
必要以上に悩んだり、心配したり、
本当は買い与えたくないのに、
ムリに買ってあげたり
することになる。

ズルイ言葉に騙されて、
相手の意図したとおりに
動かされてしまうのだ。

そんなのは悔しくないか?

「皆もそう言っているよ」
と言われたときは
言葉を意味通りに
捉えない方が無難だ。

もし気になるのなら、
その本人以外の人にも
直接聞いて確かめるべき。

こちらが真摯な態度で聞けば、
相手も本当のことを
教えてくれるだろう。

そしてその言葉は
ウソだったと確認できるはずだ。

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「皆もそう言っているよ」
という言葉はズルイ言葉。

自分の言いたいことを強調して
押し通すために
使われることもしばしば。

簡単に言うことができて、
説得力のある言葉なので
使う人にとっては便利だ。

言われた側は、
そんなズルイ言葉を信じて、
必要以上に落ち込んだり、
不安に思ったり、
気が進まないことを受け入れたり
しなくてもよい。

信用のおけない言葉だからだ。

「皆もそう言っているよ」と言い
自分を嫌な気持ちにさせる人なら、
適当にあしらって、
サラリとかわす方が無難だ。

正しいことではないので、
真剣に受け止めない方が
賢いからだ。

「皆もそう言っているよ」
と言われて、心が動揺したら、
冷静に自分にこう言おう。

「この言葉は便利でズルイもの。
信憑性のないものだ」と。

どうしても気になるのなら、
他の人にもぜひ確認しよう!

ほとんどの場合がウソで、
信用できないものだ
と分かるはずだ。