自分を優先させることに罪悪感を抱かないで! なぜ、そう言えるか?

今回は、
自分にとって
大切な人のためでも、

自分が潰れてしまうほどの
自己犠牲を払って、
尽くしてはいけない! という話。

相手を助けられない自分を
情けなく思ったり、
罪悪感を抱いたり
しなくてもいいということ。

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大切な人というのは
たとえば、家族の誰か。

家族メンバーの一人が
レールから外れてしまい、
望ましくない状況に陥った時、

家族間で大きな問題が
発生する。

その一人のせいで、
他の家族に
大きな負担がかかったり、
迷惑になったりして、

家族全員が
悪影響を受けることになる。

望ましくない状況を
起こす原因は、
家庭によってそれぞれ違う。

よくある例として
挙げられるのは、
アルコール中毒や薬物依存だ。

普段は良い人、ステキな人なのに、
アルコールや薬物という「毒」が
一旦身体に入ってしまえば、

人が変わったように荒れ狂い、
周囲の人たちに危害を加える。

本人が悪い状態になる
だけではなく、

近くにいる家族にも
被害が及んでしまい、

どう対処したらいいのか?
困った状況になる。

こういう場合、
家族なんだから、
家族内で助け合い、

どうにかして、
その人の面倒を見て、
事態を改善させようと思う。

血のつながりのある関係なら、
自分が何とかしないといけない、

と責任感のようなものを
感じてしまうこともしばしばだ。

子供がオカシクなれば、
親は、親として、
子供がきちんと元の状態に
戻れるようにしないと、と思う。

また、親が問題になった場合にも、
子供なんだから、親のために
尽くさなければいけない、と感じる。

問題を持つ家族に寄り添い、
早くその人が良くなるよう
一生懸命、頑張る。

しかし、自分が精一杯尽くしても、
事態は改善されるどころか、
悪化してゆく場合も多い。

最初のうちには、自分も元気。
多少の困難は対処可能だ。

でも、長い間、
悪の状況がずっと続き、
更に悪い方向へ進むようなら、

自分の我慢や体力も限界に
近づいてくる。

困った家族をサポートしながら、
自分の生活を成り立たせるのが
困難となり、

自分自身も
潰れてしまいそうになる。

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こんな状況下で、人は苦しむ。

大切な家族なんだから、
助けてあげたい。

しかし、家族を助ければ、
自分が潰れてしまう。

自分が壊れないように、
自分をかばえば、

家族を助けることはできない。

理想的には、家族も助けて、
自分もダメにならないよう、
両立できることが望ましい。

しかし、それは無理で、
どちらか一方を取らなければ
という事態に迫られる。

自分を取るのか? それとも、
家族を優先させるのか?

決断は、人それぞれだ。

ただ、日本には
「自分よりも家族を優先させる」
という価値観を持つ人が多い。

同時に、自己犠牲が美徳だ
という社会風潮も強い。

そんな背景もあり、
自分が崩れそうな状態になっても、
絶望的な悪の環境から
離れられない人も沢山いる。

自分を優先させて、
家族から離れることは、
家族を見捨てる裏切者
と思われるから。

そんな自分は悪い人間であり、
軽蔑されるべき存在だ
と考えてしまうからだ。

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しかし、このように考えて、
問題ある家族を優先させ、
自分を潰してしまうのは、
賢い選択だとは言えない。

家族であれど、
自分が壊れてしまうほど無理をして、
他の人を助けようとすることは、
適切ではない。

その理由は、
自分がしっかりしていなければ、
相手の役に立つことは不可能だから。

助けてあげたいという
優しい気持ちは美しくても、

現実的には、
自分が壊れてしまえば、
自分がその人を助けることは
できなくなる。

助けてあげるのは、
自分があってこそ、
できることだからだ。

自分が悪の環境により、
大変苦しんで、壊れてしまえば、

家族メンバーを助けられるどころか、
自分も周囲に迷惑をかける
存在に変わってしまう。

自分が潰れたら、
家族全滅にもなりかねないのだ。

このことを理解するために、
分かりやすい例がある。

飛行機で旅する時、
搭乗直後に、
機内安全ビデオが上映される。

万が一のため、
酸素マスクや救命胴衣の使い方、
緊急脱出の方法などを説明するものだ。

その中で、「酸素マスクが降りてきたら、
お子様に
マスクをつけてあげる前に、

まずは、大人が自分のマスクを
着用してください」
というものがある。

このメッセージは
非常に重要だ。

気持ちとしては、親ならば、
「子供が酸素切れにならないよう、
まずは子供にマスクをつけさせること」
を優先したくなる。

しかし、これは大きな間違いだ。

このマスクは、
簡単につけられそうだが、
やってみると、なかなか難しい。

きちんと着用できているか
確認するのに多少時間もかかる。

緊急時では、焦りの気持ちもあり、
普段は簡単にできることでも、
手が震えてササっとできない。

そうこうするうちに、
マスク着用を未だしていない
大人の方が、酸素切れになり、
頭がもうろうとしてくる。

酸素が薄くなり、
何をしているのか分からなくなり、
正しい判断ができなくなる。

すると、
自分自身のマスク着用すら
きちんとできなくなってしまう。

こうなれば、
子供を世話するべき大人が、
役に立つどころか、
人の手を必要とする存在に変わる。

大人を頼りとする子供も
助けが必要になっても、
適切なヘルプを貰えなくなる。

最終的には、大人も子供も
両方とも全滅するはめになる。

これは、悲惨な結果では
ないだろうか?

大人がまずは
自分のマスクをきちんとして、

自分は酸素が十分あり、
正しい判断もできるし、
正しく行動もできるという状態に
なることが必須だ。

自分は大丈夫だ
という状態になれてから、

初めて、子供を守るために、
子供がマスクを着用するよう
手助けするべき。

この例は、
飛行機の搭乗時のみならず、

困った家族がいるために、
自分を優先させるか? それとも、
家族を優先させるか?
考えるときにも、有効なもの。

自分が潰れてしまい
何もできなくなったら、

困った家族を救えるどころか、

自分も誰かに
助けて貰わないと
生きて行けなくなる。

自分もダメになってしまい、
家族も救えなければ、
家族全滅状態にもなりかねない。

愚かなことでは
ないだろうか?

こう考えれば、
まずは自分か? それとも家族か?
どちらを優先させるのかは、
明らかなはず。

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自分よりも
家族を優先させるべき
という価値観。

自己犠牲が美しい
と思われる社会風潮。

こういう背景があれば、
自分を優先させることに
罪悪感を抱く人も多い。

しかし、
どんなに罪悪感を抱いても、
自分を情けなく思っても、

現実的には
何も事態は変わらず、
良いことは起きない。

家族を助けられない自分を
責め立てて、
嫌な気分になっていれば、

不快なネガティブ感情に
襲われるだけで、建設的なことも
できなくなる。

いくら自分を責めても、
今ある問題が
解決するわけではない。

ただただ自分が
惨めな気持ちになるだけで、
その結果、改善させることは
何もない。

自責の念は
自分を苦しめるだけで、
ろくなことは起きない。

それよりも、罪悪感により
自分の心的エネルギーを
不必要に外に漏らすよりも、

できるだけ早くに
自分を充電させるよう
努めた方が賢明だ。

自分自身がまずは元気になり、
エネルギーが溢れる状態になれば、

あり余ったエネルギーを
他人に費やすことも
可能になるからだ。

今までは
自分自身も疲労していて、
家族のために頑張っても、
できることは少なかった。

しかし、自分を優先させて、
自分を元気にしてあげれれば、

自分は他人に迷惑を
かけることは一切ない。

更に、自分を満たす以上に
エネルギーレベルが高まれば、

他の人を助けるための力も
出てくる。

そうなったら、
あり余ったエネルギーで
人の役に立つことも簡単になる。

自分をすっかり満たした後に、
近くにいる困った人を
助けてあげようと思った方が、

現実的であり、
達成もしやすい。

だから、
まずは自分を優先させることに
躊躇するのはやめた方がいい。

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自分が先か? それとも、
家族が先か?

どちらか一方だけしか
満たせない状況下では、

なかなか意思決定ができず
困惑する人も多いだろう。

でも、
こういう場合は、
罪悪感を抱くことなく、

まずは自分を優先させた方がよい。

自分がしっかりして、
自らの足できちんと立つことが
できるようになってから、

初めて、近くにいる人を
支えることを考えるべき。

自分が自分を
支えられない状態で、

他人を助けようとしても、
無理があるからだ。

自分を支えられないのに、
他人を助けようとすれば、

自分も潰れて、
他人も一緒に潰れてしまう。

共倒れ状態を
作り出すだけだ。

それよりも、
自分がしっかりすることを
最重要課題にして、

まずは自分を優先させる。

自分に力がついたなら、
その後、余力で、近くにいる
大切な人に手を差し伸べる。

この順番は非常に大切だ。

自分か、他人か、
どちらかしか選べない時には、

まずは自分を選ぼう。

そうする自分は
悪い人間だと思わなくていい。

共倒れよりも、
まずは自分を助けて、

自分がすっかり強くなってから、
近くにいる困った人を
助けてあげよう。