今回は、
ミスが起きても、
自分を責めたり、
他人を責めたりするのは
やめよう! という話。
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ミスや失敗が起きた時、
自分のことを責めたり、
ミスを起こした相手を
責めたりすることは、
よくあること。
「なんでこんなことに
なったの!」とか、
「注意が
足りなかったからでしょ!」とか、
「どうして、
こんなことをしたの!」と
反射的に自分や相手を
責めてしまう。
でも、責めている
と気づいた時点で、
直ぐに責めるのはやめて、
学習モードに入った方が賢明だ。
その理由は、
自分や相手を責めたところで、
何も良いことはないから。
それどころか、悪いことが
起きてしまうからだ。
自分を責めた場合には、
気分が落ち込み、憂鬱になる。
劣等感を抱いて、
自己肯定感も下がるだろう。
自分責めは
かなりの心的エネルギーを
枯渇させるもの。
自分を負のサイクルに落として、
極度に疲れさせるだけで、
ろくなことはない。
残念ながら、責めることに
エネルギーを費やしても、
建設的な結果は得られない。
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他人がミスを犯した時も、
その相手を責めることは
非生産的、非建設的だ。
相手は委縮して、
交感神経が高ぶり、
戦うか逃げるの
「ファイトオアフライトモード」に
入ってしまう。
感情的な刺激により、
衝動的で愚かな行動を取ることも
珍しくない。
この状態は相手にとっては
精神的にかなりのストレス。
イライラして
周囲の人たちにも
悪影響を及ぼすリスクがある。
責めることで、
自分と相手の人間関係は
明らかに悪化するだろう。
それだけでなく、
周りにいる人たちに対しても、
攻撃的な言動や、
思いやりの欠如などを
引き起こす危険がある。
今回は
たまたま相手がミスをしても、
次回は
自分がミスするかもしれない。
誰でもミスや失敗はあるので、
相手がミスを犯した時、
一方的に責めるのも
オカシナ話だ。
いずれにせよ、
ミスが起きた時に、いちいち
自分や相手を責めていたら、
物事は悪い方向へ
進んでしまうだけだ。
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ミスや失敗は、しようと思って
するものではない。
人間である以上、
誰でもミスや失敗はある。
その理由は、
人間の認知機能や感覚器官は
限界があるからだ。
人間脳は、
膨大な情報を処理できても、
完璧に正確な情報を
処理することは不可能だ。
感覚器官も完全ではなく、
情報を誤解することも
頻繁に起きる。
また、
人間は感情の生き物だから、
ストレス、不安、疲労など
様々な要因により
ミスが引き起こされることも
少なくない。
つまり
人間のミスは、
認知的、感覚的、情緒的要因が
組み合わさって起きるもの。
このことを理解すれば、
ミスや失敗は、ある意味
仕方のないことだと分かる。
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そうは言っても、
仕方ないからと言って、
そのまま諦めろ!
という話でもない。
自分や他人を責める代わりに
やった方が
望ましいこともあるからだ。
それはどんなことか?
まず最初に
ミスした自分や相手を
許すこと。
責めるのは簡単でも、
許すことは難しい。
でも、許す行為で
自分自身や相手を受け入れ、
次のステップに
進めるようになる。
ミスや失敗をした際、
その原因を特定して、
それを修正するために
具体的な行動を
起こすことが必要だ。
それにより、未来のミスを
防げるようになるからだ。
一般的にミスや失敗は
悪いことだと捉えがちだが、
別の観方をすれば、
自己成長や学びの機会だ
とも言える。
その原因を調べて、
次回同じことが起きないよう
その教訓から学習できるからだ。
ミスや失敗に対して、
このような姿勢を持てば、
生産的かつ建設的な方向へ
動いてゆけるものだ。
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ミスは、しようと思って
するものではない。
情報の取得が甘かったり、
自分のスキルが足りなかったり、
勘違いをしていたり、
ありとあらゆる原因で
様々な場面でミスは起きる。
人間は、誰でも皆、
そんなものだ。
よって、ミスや失敗は
あっても仕方がない
と受け入れた方がよいだろう。
そして、
ミスを学習機会と捉え、
「今後、同じミスを
起こさないためには、
どうすればよいのか?」
「何を工夫すればよいのか?」
と色々考えて、対策を練り、
その対策案を実践してゆくことが
重要だ。
そうすることで、
人は学ぶことができ、
前に進んで行けるからだ。
ミスが起きた時、
「自分や相手を
責めている」と気づいたなら、
直ぐに責めるのはやめて、
学習モードに入ろう!