心ここにあらずの状態。でも、「空想」はとても楽しいよ。

「空想」は私の趣味の一つ。
寝ている時に見る夢ではなく、
昼間、起きている時に、
今の現実とは全く違うワクワクすることを
心の中で思い浮かべて、勝手に楽しんでいる。
Day Dream(デイ・ドリーム)というやつだ。

私は子供の頃、自分の厳しい現実を
受け入れることができず、
現実逃避する癖がついてしまった。
学校の教室に座っていても、
心ここにあらずの状態。
先生の言っていることも、
クラスメートが発言していることも
ほとんど何も聞こえていなかった。
私の心の中では、現実とは全く違う
楽しいことを思い浮かべて、
すっかり空想の世界に入り込んでいた。

空想癖がついてしまえば、
大人になってからも、
退屈な内容の会議の時には、
そのことに集中できず、
勝手に心が空想に向かってしまう。

時々、「~さん、このことについて、
あなたはどう思いますか?」
と質問されて、ハッと我に返る。
「いったい、今、
何を議論していたのだろうか?」
それすら分からない時もあり、
お叱りを受けることもあった。

心ここにあらずの状態は、
けっして良いことだとは思わないが、
私にとっては、これができたからこそ、
ツラい子供時代をどうにか乗り越えられたと思う。

私が子供の頃にした空想の多くは、
行ったこともない、見たこともない外国に、
私の居場所があるような気がして、
そこでの楽しい生活を夢見ていた。

今になってみれば、
40年くらい前に、私が勝手に
心に思い描いていたことの一部が
本当に実現したことが分かる。
その当時の私にとっては、
あまりにも非現実的に思われたことだ。
しかし、それが今、
自分の生活の一部になっているのは、
驚くべきことで、不思議な気持ちがする。

今では私の空想癖は、昔ほどは酷くない。
最近は、大分、「今ここ」に
集中できるようになった。
それでも、時々、未だに私は空想を
楽しむことがある。

今朝、食事をしながら
心に思い描いていたのは、
「将来、こんな世界になれば、
なんてステキなことだろう」ということ。
その内容は次の通りだ。

今までの世界は、
有限資源の取り合いで、戦いが絶えなかった。
しかし、これからの世界は、もっと豊かになり、
欲しいと思った人全員が、それを手にできる世界。
希少なものを獲得するために、争うこともなくなる。
お陰で、平和な世界になるということだ。

偏差値社会が一掃されること。
学校の勉強や受験のための勉強で、
人間の価値を測らないような社会。
学業面での成果を測る物差しはあっても、
それは単に一つの物差しにすぎず、
他にも別の物差しが多数存在するような社会。
勉強ができなくても、
惨めな気持ちになる必要もない社会だ。

ピラミッド型の身分制度が崩れて、
すべての人がフラットで平等な地位にある世界。
権力者や社会で力を持つ人がいなくなり、
人間皆、平等、対等に付き合える社会。
ピラミッドの下のほうにいる人たちが
権力者にコントロールされたり、
従わせられる社会構造が
すっかりなくなること。

相反する考え、価値観が共存できる世界。
「自分の正しい」を掲げて、
正義同士の争いがなくなる世界。
お互い相反する考え方、価値観であっても、
自分のことも、相手のことも
同じように尊重して、
多種多様が普通に受け入れられる世界。

人に優劣をつけないような世界。
人にはその人にしかできないことがあり、
そのことで自分は社会貢献ができている
と全員が実感できるような世界。
その人にしかできないことは、
人それぞれ全然違うことであり、
比較の対象にはならないこと。
そのお陰で、他人と比較して、
「私はダメな人間だ」と劣等感で苦しんだり、
「私はかなりイケている」
と優越感に浸ることもなくなること。

今の社会では劣っている
と低い評価を得るような人でさえ、
「自分はこの世界に貢献できている」
と心底感じられるような世界。
すべての人が、
自分にしかできないことをやって、
世の中の役に立っている
と実感できて、喜びを得れる世界。

以上、私が朝食を頂きながら、
「こういう世界になれば、ステキだな」
と思うことをお話してみた。

「今ここ」に集中して、
足が地についていることも大切だとは思う。
しかし、時には自分の中で
勝手に楽しい空想をして、
エンジョーイしてみることも
そんなに悪いことではないだろう。