人との比較はナンセンス! 私たちは一人一人お役目が違うから

自分と
近くにいる誰かとを比較して、

「あの人はスゴイな~。
でも、自分はダメ!」と
惨めな気持ちになったことは
ないだろうか?

「私もあの人のようになりたい。
でも、頑張ってもムリだ」と
落ち込んだことはないだろうか?

「隣の芝生は青く見える」は
多くの人が経験すること。

確かに、隣の芝生はステキだ。

でも、自分の家の芝生も、
お隣さんとは大分違うけれど、
同じようにステキだ。

だから、そのままでよい。

落ち込まなくてもいいし、
惨めにならなくてもいい。

「そのままの自分でいいんだよ」
というのが今回の話。

なぜ、そのままでいいのか?

その理由は、人間は一人一人
お役目が全く違うから。

近くにいるステキな人の役目と
自分の役目とは異なるので、
比較すること自体、ナンセンス!

====

そうはいっても、
私はそのことをずっと知らず、
長い間、他人と自分を比較して、

「自分はダメだな」と
劣等感に苛まれ、
惨めになることが多かった。

私は内気な人間で、
人と話すのが苦手。

人の輪からも
外れることも多く、
目立たない存在だ。

社交の場に出ても、
いつも壁の花。

周囲には、
「いったいあの人、
何考えているのか分からない」
と思われているだろう。

そんな私は
外向的で社交的なAちゃんを見ると、
とても羨ましく感じた。

「私も
Aちゃんのようになれたら….」
と夢見たこともある。

ステキなAちゃんのようになるには、
やはり努力が必要だろう
とまで思った。

そして、Aちゃんのようになれるよう
自分なりに
頑張った時期もあった。

内向的な自分を押し殺して、
ムリに外向的に振る舞うよう
一生懸命努力した。

しかし、その努力は
短期的にはできても、
長続きはしなかった。

最初は大丈夫でも、
自分でない自分を演じると
なんだかどっと疲れる。

そのうちヘトヘトになり
「もうムリだ」と降参した。

長続きせず、
自分の努力も失敗に終わり、
私は自分自身に失望した。

「なんて自分はダメな奴だ。
情けない…..
どうしょうもない…..」

劣等感がより増して、
もっと惨めな気持ちになった。

そんな自分を
私は大嫌いになった。

近くにいるステキな人に憧れて、
「あの人みたいになれるように」と意気込んで、
頑張ることを、私は幾度試したことか?

しかし、いつもいつも
上手くいかず、失敗に終わる。

そのたびに、情けない気持ちになり、
自分自身を責めて、苦しくなる。

結果、自分のことが更に嫌になる。

強烈な自己嫌悪に
苦しむこともしばしばだった。

====

しかし、ある日、
不思議な話を聞いた。

ネット上のトークを
ぼーっとしながら聞いていたら、
そのトークの一部分が
音高らかに聞こえてきた。

その内容は次の通り。

この地球は
一つの生命体であり、

この中で生きる人間一人一人は
地球の生存のために重要だ
という話。

私たち人間、すべての人が
自分が生きている理由がある
というものだ。

その理由は
自分の存在がこの地球のためには
必要であるから。

これだけ聞いても、
あまりにも抽象的すぎて
私にはよく分からなかった。

しかし、
人間の身体にたとえた
説明を聞くうちに、
すごく納得できた。

私たち人間の身体は
一つの生命体だ。

脳があり、心臓があり、目があり、
耳があり、口があり、胃があり….

身体は様々な部分から成り立っている。

一つ一つの身体の部分は
それぞれの役割がある。

目は物を見る役割。

耳は音を聞く役割。

胃は食べたものを消化して
腸に送る役割がある。

身体のどの部分も
その人が生きるためには
とても重要な役割を果たしている。

目のほうが耳よりも劣っていて、
口のほうが目よりも優っている
なんてことはない。

身体のすべての部分は
それぞれ違う役割を果たして、
対等に重要だ。

もし、目が
「僕も耳のように
聞こえるようになりたい」
と望んでも、それは不可能なこと。

聞こえるようになりたいと言い、
目がどんなに頑張っても、
絶対に聞こえるようにはならない。

「聞こえるようにならなかった」
と目が嘆いて、自分を責めても
どうしょうもない。

目は見ることが役割であり、
聞くことができなくても、
それは当たり前。

出来ないからと言って、
嘆いて苦しむ必要もないし、
悲しむ必要もないし、
落ち込む必要もない。

目は、ただ物をきちんと見れれば、
それで十分お役目を果たしている。

目はそのままでもいいはずだ。

====

これと同様に、
地球を一つの生命体と見た時、

私たち人間一人一人は
それぞれ大切な役目を担っている。

その役目は人によって違う。

重要なことは、
その人の役目だけを
きちんと果たせばいいということ。

大きな生命体・地球の中では、
私には私のお役目がある。

そして、Aちゃんには
Aちゃんのお役目がある。

私のお役目とAちゃんのお役目は
全然違うものだ。

私が自分のお役目を無視して、
Aちゃんのお役目を
果たそうとすれば、どうなるか?

当然、上手く行かないだろう。

なぜなら、それは私のお役目ではなく、
Aちゃんのお役目だから。

神様はAちゃんのお役目を
私には与えていない。

私が私の特性を活かして、
私のお役目を果たすとき、

すべての物事が順調に行き、
私は幸せになれる。

他人のことを羨ましく思い、
自己否定をして、
自分でない自分を演じる行為は、

地球上で与えられた
自分のお役目を放棄するのと
似たようなことだ。

だから、一生懸命頑張っても、
上手く行かないのだ。

====

渦巻のカタツムリに
「お前、渦を巻いていないで、
まっすぐになれ!」と命令しても、
それはムリ。

カタツムリは
渦巻でいることが
自然な姿だから。

まっすぐな竹に向かって、
「ちょっとくらい
曲がったほうがいいよ」
と言っても、それもムリな話。

竹も竹で
まっすぐ高く伸びるのが
本来の姿だから。

カタツムリが竹を見て
羨ましく思っても、

竹がカタツムリを見て
「いいな~カタツムリは」
と嫉妬心を膨らましても、
何も良いことはない。

なぜなら、
カタツムリは
渦を巻いているのが
一番自然の姿だから。

そして、竹も
まっすぐ高く伸びるのが
ありのままの姿だから。

私が外向的なAちゃんに
羨ましさを感じて、
Aちゃんのようになれるよう
頑張ることは、

カタツムリが
竹を羨ましく思い、
まっすぐになろうと
努力するのと同じようなもの。

本来の自分を
否定しまくって、
自分でない自分になろうとしても、
ムリが出るだけ。

失敗に終わり、がっかりして、
自分を責めて、
自己嫌悪に陥るだけ。

====

人間誰でも、
良い面もあれば、悪い面もある。

そもそも、良い、悪い
と判断すること自体が
間違っているのだろう。

それよりも、
全く違う性格や資質がある
と考えたほうが適切だ。

ある人には簡単にできても、
他の人には難しいことも
ごく自然なこと。

誰でも自分のお役目に関しては
エクスパートなのだから、
ラクに簡単にできてしまう。

だから、
自分の役割だけに専念して、
他人の役割まで
果たそうとしなくてもいいはず。

自分自身を
もっと冷静に見つめよう。

Aちゃんにはできなくて、
私にしかできないことも
あるはずだ。

自分の特性を理解して、
自分にはどんな役目があるのか?

これを知って、
自分のお役目に
専念したほうが賢明だ。

他人にはできなくて、
自分にしかできないことも
絶対にあるはず。

自分のお役目を受け入れて、
自分の特性を愛して、
最大限にそれを活用するといい。

これは幸せになるための
条件の一つだろう。

私たち人間は、
人それぞれお役目が違う。

だから、他人と自分を比較して、
「あの人はできるけれど、
私にはできない」
と嘆くのは、全く意味がない。

自分のお役目を大切にして、
それを一生懸命活かすことが、

自分の幸せにも、
世界全体の幸せにもつながる。

隣の芝生は青くてステキ。

そして、自分の家の芝生も
お隣さんとは大分違うけれど、
同じくらいステキ。

だから、そのままでいい。

自分のステキを大切にしようね。