「諸行無常」って何? いったい何が無常なの?

「諸行無常」という言葉を
聞いたことがあるだろうか?

この言葉は、
多くの人が耳にするものだが、
その意味や背景について、
深く理解している人は
少ないのではないだろうか。

しかし、
この言葉を理解することで、
人生の中で起こる変化や
不安定さに対しても
心の平穏を保つことが
できるようになる。

今回は、諸行無常について
詳しく解説し、
その意味がもたらす深い意味について
探っていく。

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まず最初に、
「諸行無常」の定義から
説明しよう。

仏教用語の「諸行」とは、
この世に存在するすべてのものを指し、
「無常」は、変化が絶えず、
常に移り変わることを意味する。

つまり、
この世にあるすべてのものは、
形や姿を変え、
同一性を保つことは
できないということだ。

すべてのものとは、例えば
今私が使っている椅子や机、
パソコンや文房具、
日常生活に利用する
家具やキッチン用品、

窓の外に見える木々や植物、
立派にそびえる高層ビルや
様々な建築物、
道路や車や公園など、
私たちの目に見える
ありとあらゆるものを指す。

もちろん、地球上に住む
人間全員もその対象だ。

人間自身も、体の様子や状態が
変化するだけでなく、
目には見えない心の部分も
一定を保つことはない。

変化のスピードが
速いものもあれば、
遅いものもあるが、
永久に形を変えないものは
どこにも存在しない。

つまり、どんなものを取り上げても、
この世にあるものは
すべて「諸行無常」の性質を
持つことになる。

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「諸行無常」を理解すれば、
どんな良いことが
あるのだろうか?

それは、日々の出来事に対して、
心を揺り動かすことも少なくなり、
穏やかに生きれるように
なることだ。

私たちの多くは、
自分の身の回りで
良いことが起きた場合、
喜んで有頂天になり、
悪いことが起きた場合、
がっかりして気を落とす。

日常生活の様々な出来事に
一喜一憂する傾向がある。

良いことが続いている時には、
問題はないが、
そうでなければ、
悲しんだり、悔やんだり、
腹を立てたり、不安に思ったり、
妬んだりして、気を揉むことが多い。

できれば良いことだけが
起きて欲しいと願うのが
私たち人間だが、
残念ながらこの世の性質は
そうではない。

良いことがずっと続くことは
あり得ず、
悪いことが永遠に続くこともない。

ありとあらゆるものは、
良い状態になったり、
悪い状態になったり、
グルグルと姿形を変えて、
常に変化していると理解できれば、

その変化にいちいち
心を揺り動かされて、
ローラーコースターのように、
ドカーンドカーンと上がったり、
下がったりすることも
少なくなる。

確実なものは
どこにもないと
受け入れることで、
不必要にがっかりしたり、
気を落としたりすることも防げる。

この世の中は
そんなものであることを
良い意味で受け入れると、
あまり感情的にならず、
心も穏やかに保つことができる。

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例えば、大切なものを
誰かに壊された場合。

「アイツが私の大切にしていたものを
壊しやがった!」と
アイツに対して腹を立て、
怒りの感情を燃やす。

でも、よく考えてみれば、
物は壊れるものだ。

形あるすべてのものは、
いつかは必ず壊れてゆく。

アイツに壊されなくても、
いつかは何かで壊される。

それが地震や天災の場合もある。

また、別の人によって
壊されるかもしれない。

アイツがいてもいなくても、
遅かれ早かれ、いつかは壊れる。

それがたまたま
アイツによって
今壊されたというだけだ。

誰かに自分の物を奪われれば、
「アイツ、取りやがって!」
という気持ちになる。

でも、冷静に考えれば、
それがいつまでも
自分の近くにあるという保証は
どこにもない。

どんなものでも、いつかは
自分から離れてゆく。

しばらくの間、
自分が持っていただけで、
死ぬときには、すべての物を
置いて行かねばならない。

そう思えば、
これは絶対に自分の物だ
というものはないだろう。

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私たち人間についても
似たようなことが言える。

「会うのは別れの始め」
というように、
会った以上は、
いつかは別れの時が来る。

固い友情で結ばれている
と信じていても、
ある日、ちょっとした一言で、
その友情が壊れてしまうこともある。

今は大好きだと思っても、
やがて心は変わってゆき、
嫌いになることもある。

他人の心も、自分の心も、
どんどん変わってゆくものだ。

10年前、あの人のことで
随分悩んでいた。

でも、10年経った今では、
「ああ、あんな人もいたっけな」
と思うくらい、
自分を取り巻く人間関係も
10年間のうちには
大分変るものだ。

物も、人も、環境も、
時の流れとともに
コロコロと変わり、
自分自身の心も変わってゆく。

一時的にカッとなり
「許せん!」と思っても、
そういう感情も長続きはしない。

時間が経てば、
「なんであんなツマラナイことで
腹を立てていたのか?」
と思うようなこともある。

よって、一時的な感情で、
自分の身を滅ぼすような愚かなことは
避けた方が無難だ。

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今の人生が辛い場合でも、
「諸行無常」を理解すれば
役立つことがある。

逆境の中で、時が遅く感じられ、
この状態が永遠に続くかのように
感じられるかもしれない。

しかし、この苦しい状態が
永遠に続くことはない。

なぜなら、全てのもの、物事、
人々は絶えず変化していく世界で、
自分の苦しい状況だけが
例外的に変化しないことは
絶対にないからだ。

この「諸行無常」の性質を理解すれば、
苦しい時に無駄な努力をするよりも、
時間が解決してくれるのを待つ方が
賢明だと分かる。

苦しい状況が
永遠に続くと考えるのは、
短期的な視点で
物事を判断するために
起こるものであり、
実際にはそうではない。

悪いことが起きた後には、
必ず好転することがある。

だから、今の最悪な状況を
悲観しすぎないことが大切だ。

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「諸行無常」の世界では、
悪いことも続かなければ、
良いことも続かない。

それなのに、人間は
揺るぎない安定を求めて、
それに執着しすぎる傾向がある。

ある時には「絶対に大丈夫だ」
と確信した安定も、
いつかは必ず崩れる時が来る。

そのことを知らずに、
いつまでも安定に
しがみついていれば、
その安定が崩れた時には
裏切られた気持ちが強くなり、
不幸になってしまう。

例えば、就職したときには、
一流会社で、この会社に入れれば、
一生安泰だと考える人がいる。

しかし、時代の流れとともに、
社会全体が変わってゆき、
それまでは一流で絶対に安心だ
と思われた会社でも、
合理化のために
大規模リストラが行われる。

そして、その後は、
他社に吸収合併されることだって
あるのだ。

自分は一流会社に入社して、
生涯この会社に勤めていれば、
自分の人生も安泰だと確信しても、
何年後かにはリストラの対象になり、
職を失うことさえある。

その会社に執着していれば、
裏切られた時の怒りや失望感は
半端でない。

でも、実際のところは
絶対に大丈夫な会社なんて、
世界中どこを探しても、
どこにもない。

このことを承知しておけば、
何が起きても不思議ではない
と分かるので、
大きく失望したり、がっかりすることも
ある程度は防げる。

一時期どんなに立派なものでも、
そのままの状態で
確実に存在し続けられないのが
この世の常だ。

そう思えば、変な期待もなく、
変な執着もしなくなり、
悪いことが起きた場合でも、
「まあ、そんなものかもね。
仕方ないよね」と諦められる。

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今回の話をまとめると、
「諸行無常」は世界の常である。

この世に存在する全てのものは
常に変化しており、
一定の形や確実な形で
永久に居続けるものは
どこにも存在しない。

この事実を理解することで、
寂しさを感じることも
あるかもしれないが、
日常生活で起こる出来事に
柔軟に対応することが
できるようになる。

悪いことが続いている場合でも、
その状態がずっと続くことは
あり得ない。

時が流れれば
必ず事態は良くなるはずだ。

逆に、良いことがしばらく続いても、
それがずっと続く保証はない。

必ずどこかで
悪いことがやってくることを
理解することが大切だ。

現在安定していると
思われるものも、
将来的には
そうでなくなることがある。

これもまた、
「諸行無常」の性質によるものであり、
受け入れることが賢明だ。

特定の何かに執着したり、
固執したりすることなく、
変化するものや人に対して
柔軟な気持ちを持って
接することが
心の平穏を得るためのヒントだ。