親ガチャ ― ハズレくじを引いてしまったら、何が一番問題なのか?

どんな親のもとに生まれ育つかで、
子供の人生が大きく左右されるのは、
とても残念な事実だ。
当たりくじを引くか、ハズレくじを引くかで、
全然違った人生を送ることになる。
豊かで愛情いっぱいの
素晴らしい家庭環境で育つのと、
暴力や罵りが絶えない
劣悪な環境で育つのとでは、
天と地ほどの違いがあるだろう。

今回は、
親ガチャでハズレくじを引いてしまったら、
子供の人生において、
何が一番ハンディーになるのか?
私の考えを述べたい。
単なる一個人の意見として、
聞いて頂ければ、幸いだ。

裕福な家庭に生まれて、
広い一軒家に住み、
自分の個室も与えられて、
食べ物も十分にあり、
時には、贅沢な外食もできる。
玩具や文房具類も、かなり高価なものを
親から買い与えられる。
定期的に家族で海外旅行をして、
異文化体験も楽しめる。
教育面でも色々な機会を与えられて、
他の子供ができないチャレンジもできる。
物質的に豊かな家庭に生まれて、
経済的に何の不自由もなく、
安心して暮らせる子供はラッキーだ。

それに対して、
親の収入が少ないために、
住む家は狭い団地の一ユニット。
家の中は密で、空間的にもゴチャゴチャして、
自分の部屋もプライベートの空間もない。
基本的には食事はどうにかできても、
最低限の生活でキチキチであり、
経済的にも全く余裕のない状態。
もちろん、欲しい玩具や文房具類も
買って貰えることはない。
教育面でも、学校へ行く以外は
何も習い事もさせて貰えないし、
楽しいアクティビティーにも参加できない。
旅行に行くことも滅多にないし、
家族で海外旅行することは夢の夢。
こんな感じの家庭で育つ子供もいる。

同じ子供でも、家庭の経済状態で、
全然待遇が違うのは、かなり不公平だと言える。
物質的な差は、目に見えるもので、
誰もが「これは不公平だ」と理解しやすい。
しかし、私が考える不公平は、
裕福であるか、貧乏であるかというよりも、
もっと別のことだと思っている。
もちろん、経済的な豊かさも
子供に影響するのは確かだ。
しかし、それ以上に、
もっと子供に深く影響するものがあると考える。
目には見えにくく、分かりにくいもので、
子供の後の人生を大きく左右してしまうことだ。
それにより、好影響を受けたり、
悪影響を受けたりすることだ。

いったい、それは何かと言えば、
親子関係の中で、子供が
どのような自己イメージを持つようになったか、
どのような信念を自分の中に作り上げたかということだ。
これが子供の後の人生に
一番大きな影響を与えるのでは?
と私は感じている。

当たりくじ、ハズレくじについて、
私の定義は次の通りだ。
どんなに貧乏な家庭に生まれても、
親が子供の人格を尊重して、
子供の意向を大切にしてくれて、
愛情いっぱい注いでくれた場合には、
子供は「当たりくじを引いた」と言える。
逆に、物質的には恵まれていても、
親が子供に精神的プレッシャーをかけたり、
子供を親の分身としてコントロールしたり、
子供の人格を否定したり、
子供の意向を無視するのなら、
「ハズレくじを引いた」と言える。

子供の成長に伴い、
子供も自分がどんな人間なのか、
だんだん理解するようになる。
若い頃に自分の中に確立した自己イメージは、
その後の人生でも、
その本人に大きな影響を与える。

例えば、家庭内暴力と罵りが絶えない家庭では、
子供は親の都合で、暴力を振るわれたり、
罵られたりする。
子供自身には罪はなくても、
親が未熟で余裕がないため、
親のフレストレーションが
弱い立場の子供に向いてしまう。
親から引っ叩かれたり、蹴っ飛ばされれば、
子供は「自分はそのように粗末に扱われても
仕方ない存在だ」と思い込んでしまう。
子供は悪くなくても、「自分が悪いんだ」
と勝手に不当な思い込みをする。
こんな環境で育てば、子供は安心できず、
精神的にも不安定であり、自分に自信が持てない。

物理的な暴力がないにしても、
親が常に子供に対して否定的な言葉をかければ、
子供は言葉の暴力を受けることになる。
「あんたはこんなこともできないの!」、
「本当にダメな子ね」、
他の子供と比較されて、
「~ちゃんはこんなに素晴らしいのに、
あんたときたら、本当に呆れちゃうわ」
と言うような非難や否定の言葉を
親の口からずっと聞かされていれば、
子供は「自分はダメな人間なんだ」
と不当な思い込みを
自分の中に形成してゆく。

子供にとっては、親は絶対的な存在だ。
幼い頃には、、親のすることや言うことは
正しいものだと信じている。
正しいことをする親が言ったことは
本当だと思うので、
親の非難や子供に対する人格否定の言葉も、
子供は疑うことなく、
そのまま受け取ってしまう。

自分はダメな人間だ。
自分はできない人間だ。
親から暴力を振るわれても
仕方ないほど劣った人間だ。
このようなネガティブな自己イメージを
子供が一旦自分の中に植えつければ、
その後、子供の心の中にしっかり根を下ろして、
大人になった時にも、
そのネガティブな自己イメージを引きずりながら
人生を生きてしまう。
これが一番厄介なハンディーになる
と私は感じているのだ。

貧乏な家庭に生まれて、
物質的には満たされない子供時代でも、
自己イメージが肯定的なものならば、
大人になり、自分で稼げるようになった時、
子供時代にはできなかった贅沢や、
子供時代には恵まれなかった教育の機会を
自分の力により獲得することは可能だ。

しかし、子供時代の親との人間関係で、
ネガティブな自己イメージを
自分の中に作り上げてしまい、
それがすっかり自分の一部になれば、
なかなかそのネガティブイメージを
手放すことはできない。
子供時代に刷り込まれた信念を
自ら外す行為は、そんなに容易なことではない。

自分はダメな人間で、
能力もなく、できない人だと信じていれば、
実際に、何をやってもダメだと思うだろう。
だから、挑戦すらしなくなる。
「人はセルフイメージ通りの人生を歩む」
という言葉をよく聞くが、
これは本当のことだろう。

自分はできると確信している人は、
色々なことにチャレンジしてゆける。
最初は上手く行かなくても、
「自分は絶対にできる」と信じているので、
諦めることはない。
できるまで挑戦すれば、
必ずいつかはできるようになる。

逆に、「自分にはムリだ」と思えば、
何も行動することもないし、
チャレンジも全くしない。
行動することがなければ、
人生を変えることは不可能だ。

幼少期の親との人間関係で、
どのような自己イメージを
子供が自分の中に作り上げるのか?
これは目には見えにくいが、
非常に強い影響力を持つことだ。
このセルフイメージが、
その後の人生を決めることになれば、
これこそが、一番、重要なことだ
と言っても、過言ではない。

親の好影響により、
ポジティブな自己イメージを
築くことができれば、
人生のスタートは良くなくても、
大人になってからでも、ラクに挽回できる。
自分自身で良い方向へ人生を変えて行けるだろう。

しかし、経済的に裕福な家庭に生まれて、
人生の最初の部分は良い思いをしても、
両親との関わりの中で、
子供が悪い自己イメージを持つようになれば、
大人になった時には、
そのネガティブな自己イメージに苦しみ、
挑戦することも、行動することもなく、
自分の力で人生を切り開けなくなる。

目に見えやすい経済格差が
子供の人生を左右するというよりも、
目には見えにくく、理解しがたいものだが、
「親子関係の中で築かれた、
子供の自己イメージ」の方が、
ずっと子供の人生に大きく影響するのでは?
と私は考えている。