日本の実母との思い出は、
私にとっては、悲しいものがほとんどだ。
今回は、私が成人してから感じた、
母との残念な思い出を語ってみたい。
私がニュージーランドで大学1年目を終え、
一時的に里帰りした時のことだ。
東京で生まれ育った私は、
成人するまでずっと日本で暮らしていた。
私にとっては、初めての長期に渡る海外生活。
最初の一年間は、生活習慣や食事の違いにより、
ホームシックになることもしばしばあった。
生活面で一番ツラいと感じたことは、
日本のようなお風呂がないこと。
毎晩、ほとんどシャワーで済ませていた。
時にはバスタブで入浴したが、
そのバスタブが浅くて細長いため、
全身お湯に浸かってリラックスできない。
日本のような深いお風呂が恋しくて、恋しくて、
仕方なかった。
里帰りの楽しみの一つが、
ゆったりと湯船に浸かって
身体の疲れを取ることだった。
外国暮らしの最初のうちには、
珍しい食べ物を興味深く頂くこともできる。
しかし、これも2カ月くらいが限度だ。
そのうち、日本食が恋しくなってきた。
当時、私が留学していた都市には、
日本食レストランも、日本食を売る店も
全くなかった。
出発前に大きな箱に詰めて送った日本食も
すっかり食べ尽くして、
現地の食事をするしかなかった。
私が一番恋しく思ったのは、
里芋、とろろ芋、ゴボウなどの根菜類。
また、あんこものの日本のお菓子だ。
日本に居た頃には、
それほど魅力的に感じなかったが、
海外暮らしを始めてから、
これらのものが大好きになった。
久しぶりの里帰り。
日本のお風呂と食べ物を
心ゆくまで満喫したい
とウキウキしながら帰国した。
実家に戻り、冷蔵庫を開けてみると、
里芋の真空パックがあるではないか!
「なんて、美味しそうな里芋か!」
ワクワクしながら、早速、私はその封を開けて、
里芋を好きなだけ食べた。
「ああ、なんて美味しい!感激だ!」。
すごく満足できたけれど、その後、
それが大きな問題に発展した。
母が帰宅してから、冷蔵庫を開けた時、
里芋の袋が開けられていて、
その一部がなくなっている。
それを見た母はご機嫌斜めになり、
「これ、来週のために買っておいたのよ!
開けて欲しくなかったわ」と怒り出した。
日本に滞在中は、沢山お風呂に入って、
日本の湯船を楽しもうと思い、
朝と夜、1日2回お風呂に入ろうとした。
すると、母は私を怖い目で睨みつけて
「そんなに頻繁にお風呂に入いるもんじゃない!」
と厳しい口調で怒鳴った。
私が留学で知り合った友達の写真を見せたら、
母は不機嫌になった。
「まさか、あんた、
外人と付き合っているわけじゃないわよね?」と言い、
勝手に、私がニュージーランド人男性と交際している
と決めつけて、
「外人との結婚は、絶対に許さないからね。
もし、そんなことがあったら、
あんたとは縁を切るから」
と何度も、何度もクドクド説教してきた。
当時、私はお付き合いする人など、
誰もいなかったのに。
あんなに楽しみにしていた里帰りだったが、
帰国した3日目には、
私はもう耐えられなくなった。
日本の実家の暗くて重たい波動の中で、
母から嫌な顔をされたり、非難されたりして、
もうここには居たくないと思った。
最初は6週間の予定で里帰りしたが、
航空会社にお願いして、
帰りの飛行機の日にちを変えて貰った。
結局、里帰りから2週間後のフライトで、
私はニュージーランドへ戻って来た。
里芋やお風呂の件で揉めたのは、
単なる一例に過ぎない。
母とは、小さなことが原因で、
いざこざのようなものが常に起きていた。
冷静に考えれば、
たかが里芋、たかがお風呂のことで、
母親と大喧嘩するのは、
ちょっとバカらしいように思える。
しかし、私にとっては、
里芋やお風呂が問題というよりも、
母の私に対する優しい気持ちを感じられなく、
悲しいというほうがツライことだった。
私が心の底から求めていたものは、
母の温かさとか、私を思いやる気持ちだった。
小さな子供の頃から、
私は母から精神的に満たして貰えなかった。
私が一番ツラくて苦しい時に、
「大丈夫だよ。なんとかなるから、
安心してね。お母さんも応援しているから」
というような言葉をかけて貰い、
優しく慰めて欲しかった。
でも、実際、母から私が受けたものは、
非難と罵倒と人格否定と屈辱感だけだった。
里芋やお風呂の件でも、
「ああ、緑はこの1年間外国に居たから、
慣れ親しんだ日本食やお風呂を
楽しむことができなかったんだ。
せめて里帰りの期間中には、
大好きなお風呂に沢山入って、
好きなものを心ゆくまで食べて、
思い存分楽しんでいってね」
というような心の温かさみたいなものを
母から感じてみたかった。
母親からの優しい気遣いの愛情に
どっぷりつかってみたい、
と私は非現実的な願いを持っていた。
しかし、実際の母は、私が求める母とは、
大きくかけ離れていた。
私は大分失望して、
母に対するネガティブな感情も、
その後長い間、ずっと続くことになった。
今では、母が私に対して
このように接した理由も理解できるようになった。
母は、私に意地悪したかったわけではない。
母自身も欲求不満の塊で、
自分が満たされることがなく、
子供に優しい言葉をかけるほど余裕はなかった。
身体は大人でも、精神的には未熟で、
母自身がアダルトチルドレンだった。
精神的な器が非常に小さい母から、
愛情を注いで貰うことは、
ムリなお願いでしかなかった。
母に対して期待すること自体が
間違いだったと悟ってからは、
母に対する私の感情も、大分落ち着いた。
それでも、やはり、今でも私は、
母親のことを考えると、
とても残念な気持ちが強い。
仕方なかったと言えば、それまで。
でも、やはり、子供はいくつになっても、
親に対して期待する部分があるんだな
とつくづく思った。