毒親との和解に一番役立ったこと

今回の投稿は、私自身の体験談。
私にとって、両親と和解する際、
一番役立ったことについて
お話してみたい。

私は現在50代。
私が子供の頃、
両親が私に対してしてきたことを
ずっと許せず、長い間、
怒りの感情を抱いて生きてきた。

大嫌いな両親と
物理的に離れたくて、
私は海外に移住した。
20年以上、日本に里帰りすることなく、
両親とはほとんど連絡も取らなかった。

そんな私でも、
両親のことを考えることは
しばしばあった。

どう考えても、酷い親で、
理不尽なことしかしていないと思えて、
ドロドロした怒りの感情が
止まらない時もあった。

強い怒りの感情で、
自分が苦しくなることもよくあったが、
斎藤一人先生のトークに出会って以来、
私の気持ちも大分変り、
両親に対する感じ方も、
以前よりも、ずっと改善された。

しかし、その後も、
両親とはそれまで通りで、
お互い連絡も取らないし、
付き合い方も変わらなかった。
ただ、私の中では
いつかは両親とも和解したい
と願う気持ちがあった。

それでも、どのようにして
和解のステップを踏んだらよいのか?
具体的な方法が分からず、随分、迷った。
理想的なのは、
自分の正直な気持ちを
直接、両親に話して、
自分のことを理解して貰うこと。
でも、そうするためには、
何をすればよいのか分からない。
手紙を書くのか?
電話で話をするのか?
日本に帰国して、両親の目の前で
話し合いをするのか?

色々考えたけれど、
これは、私にとっては、
あまりにも難易度が高かった。
自分がそういう気持ちでも、
両親がどう反応するか分からない。
もし、拒否されたら、
私は立ち直れないくらい
ショックを受けるだろうと思えた。
もうこれ以上、両親との関係で
自分を傷つけたくない気持ちが強かった。

このままずっと日本に帰国しないで、
両親とも疎遠な関係でいたら、
そのうち、両親も年を取り、
この世からいなくなる日もくるだろう。
そうなれば、和解する機会もなくなり、
後で後悔が大きいのでは?
と心配した時もあった。

何度も、何度も考えたが、
どうしても、自分だけでは解決できず、
心理カウンセラーの助けを得ることにした。
1年半、定期的にカウンセリングに通って、
やっと自分の気持ちが固まった。
両親との和解は、自分の心の中でしよう
と決意できた。

こう決意できた背景には、
「自分以外の人は
自分がコントロールできる
範囲ではない」という考え方がある。
親であれ、血縁であれ、
私と両親は別個の人間なので、
私の期待通りに両親の考えや行動を
動かすことは不可能だ
と悟ったからだ。

自分の心の内で、
両親との険悪な人間関係を清算して、
人生、前に進みたいと思った。
もうこれからは、
昔の嫌な思い出を掘り返して、
時間や心的エネルギーを
ムダにするこは止めたいと思った。
同時に、両親が私に刷り込んできた
不当な信念を解いてゆきたい
という気持ちも出てきた。

両親と心の中で和解しようと決めた時、
私にとって役立ったことがある。
それは、両親が子供の頃、
どんな親子関係を経験したのか?
どんな生活環境で生きて来たのか?
を考えることだ。

それまで、私は自分が子供の立場で、
両親との人間関係を考えてきた。
両親が小さな子供の頃は、
どのようだったか?
を考えることは全くなかった。

両親の今の在り方は、
彼らの子供時代からの積み重ねの結果だ。
どんな親子関係を経験して、
どんな生活をして、
どんな環境下で生きて来たのか?
その歴史が、親を一人の人間として
作り上げて、今の親があるのだから、
両親が子供の時には、どうだったのか?
思春期にはどうだったのか?
を考えることが必要だと思った。

ただ、両親から直接話を聞くことはなく、
自分で勝手に想像するだけなので、
正しいかどうかは分からない。
しかし、それでも、
両親の立場で考える姿勢を持てば、
両親に対する感じ方も大分違ってきた。

私の両親は80代で、
子供の頃、戦争を経験した世代だ。
平和で安心な世界では
生活できなかった人たちだ。
食料も十分なく、いつ命を落としても不思議でない
過酷な環境下で子供時代を過ごしてきたのだ。

母の場合は、
幼い頃、両親を亡くしたそうだが、
これも、当時の過酷な環境が
原因だったのだろう。
最近になって、弟より、
母の父親は、誰だか分からない
という話を聞かされたが、
それを聞いた時には、
「やはり、そうだったんだ」と納得できた。
母を見ていると、
「子供の時に、親の愛情を
受け取れなかったんだな」
というのがよく分かる。

父には両親はいたが、
男尊女卑や年功序列を重んじる
保守的な家庭で育ったようだ。
家庭の事情で大学に進学できず、
悔しい思いをした事実もあるらしい。
父の場合も、「戦争」のために、
家族が非常に厳しい生活環境下で
暮らさなければならなかったのだろう。

両親ともども、
戦争による悪影響を
強く受けていることは想像できた。
実際に親から直接話を聞かなくても、
自分が知っている範囲で、
想像しただけでも、
けっこう大変な人生を
歩んできたことが分かる。

母の場合は、親からの愛情を
受け取ることができず、
子供の頃の欲求が満たされず、
そのまま大人になってしまったのでは?
と思える。
母の言動を客観的に観ていれば、
母自身が欲求不満で幸せでないことが
明らかだ。
こんな心の状態なら、
子供の承認欲求を満たせるほど、余裕もないし、
自分自身が生きるだけでも
大変だろう。

自分が子供の立場で、
親からされたこと、言われたことを考えれば、
やはり、どう考えても
親のやったことは理不尽だし、
私に悪影響を与えたのは確かだ。

しかし、親の立場でどうだったのか?
を考えられるようになると、
一方的に親を責める気持ちが
薄らいでいった。
そのお陰で、今では両親のことを考えても、
ドロドロとした怒りの感情も湧かなければ、
ネガティブ感情に襲われることもなくなった。

しかし、だからと言って、
両親のことを好きになったわけではない。
私はやはり、両親のことが嫌いだ。
今まで両親が私にしてきたことを
許せるようになった今でも、
私は両親のことが嫌いだし、
尊敬もしていない。

でも、それはそれで良しとしている。
両親も不完璧な人間だが、
私も同様に不完璧な人間なのだから、
両親のことが嫌いで、尊敬できない自分でも、
それで良いと受け入れられた。

私が「両親を許せるようになった」と言う時、
私が意味するところは、
両親のことが好きになったことではない。
私の両親は、どう考えても毒親だと思うけど、
それなりに事情があったのだから、
仕方なかったということだ。
良い意味で諦めがついた
というのが本当のところだ。

今後の両親との付き合い方も、
自分がラクにできることなら
両親が喜ぶことをやってあげたい。
しかし、自分を犠牲にしてまで
両親に尽くす気持ちはない。
自分にムリがない人間関係でよしとする。
これが今の私の両親との付き合い方だ。

余計なことまで
話してしまったかもしれないが、
今回、私が一番言いたかったことは、
心の中で両親との和解をする時に、
一番役立ったこと。
それは、自分が子供の立場で
親子関係を考えるのではなく、
両親が子供の頃はどうだったのか?
大人になるまでの歴史はどうだったのか?
分かる範囲でよいので、
両親の立場で色々と考えてみたことだ。

そうすることで、
私の気持ちも大分落ち着いた。