毒親問題の解決で行き着く先は、いったい何処なのだろうか?

大嫌いな親なのに、
なぜかいつも親のことを
考えてしまう自分がいる。
そんなに嫌いならば、
親のことはスパッと切り捨てて、
忘れてしまえばよいのでは?
とも思うが、どうしてもそうできない。

外国に移住して、
もう20年以上も親と会っていなくても、
やはり、親のことが忘れられない。
その理由は、どんなに嫌いだと言っても、
心底では親から愛されたい気持ちが
自分の中に強く残っているからだろう。

毒親との険悪な人間関係で
悩むことは何十年もしてきた。
そんな私でも、この問題の解決で
行き着く先が何処にあるのか?
分かったような気がする。

今回は、毒親との関わりの中で
私がどのような心のジャーニーを
経験してきたか、お話したい。

親と同居していた頃や、
親から離れて住み始めたばかりの頃は、
親との直接の揉め事が多く、
不愉快な気分しかしていない。
怒りと、憎しみと、悲しみと
切なさで心がいっぱいだった。
表面上は穏やかに見えても、
私の心の中では怒りの炎が強く燃えていて、
ドロドロとしたマグマのようなものが
自分の中にあるのを自覚していた。

せっかく就職しても、
職場の上司と上手く行かない。
次から次へと上司とも揉め事が起こり、
本当に不愉快な思いをした。
嫌な上司が転勤となり、
新しい上司に入れ変わってからも、
新しい上司とも良好な人間関係を築けなかった。
そして、そのまた次の上司とも
かなり険悪な人間関係だった。
その当時は、
単に自分がその職場に合わなかったから、
と考えることしかしなかった。
結局、私は数年後にその職場から身を引いた。

しかし、それから何十年も経ち、
あるきっかけにより
カウンセリングに通うようになってから、
自分の本当の問題が見えてきた。

表面的には上司との問題、
また、近くにいる人たちとの問題であっても、
その問題の根っこの部分にあるものは、
自分が生まれ育った家庭環境や家族、
特に実親との人間関係が
大きく関係していることが分かった。

上司が何度も新しく入れ替わっても、
次から次へと私と上司との間には
問題が起きていた。
表面的に見れば、上司との関係だが、
その根本には意外にも、
実の両親との険悪な人間関係が潜んでいた。

自分に自信が持てず、
人間関係における
揉め事や争い事があるたびに、
「自分がダメだから、こうなってしまう」
と自分責めをして、情けない気持ちになった。
劣等感に苛まれて、苦しいこともしばしばだった。
「人生はツライものだ」としみじみ思い、
時には生きることも本当にシンドイと感じている。

自分自身を惨めな気持ちに追い込み、
遣る瀬無く感じることもしばしばだ。
周囲の人たちと健全で良好な人間関係を
築くことができずに、
人間嫌いになる一面もある。
こういう苦しい状態や、
人間一般に失望する気持ちは、
子供の頃に親からされてきたことが
大きな原因になっていると確信している。
大人になってからの生き辛さや
人間関係で上手く行かないことは、
親からの悪影響を強く受けて
それが原因で起きていると考える。

しかし、そのせいで
自分の人生はもうお終いなのだろうか?
険悪な親子関係のせいで、
私はダメ人間で終わってしまうのだろうか?
生育が悪かったから、
私は負け組なのだろうか?

それは違うと思うようになった。
親から悪影響を受けて、
大人になってからも
大きなハンディーを背負う事実は認めても、
すべてを親のせいにしてはいけない
と考えるようになった。

親から大切にして貰えなかったことや
欲求を満たして貰えなかったことを
思い出せば、未だに悲しい気持ちになる。
親からされた酷い扱いや仕打ちにより
私の心の傷は未だに残っている。
酷く傷つけられた自分自身を
癒していくことは重要なことだ。

心の傷を癒すために、
カウンセラーに手助けして貰ったり、
毒親を持ち、自分と似たような悩みで
苦しむ人たちと経験談を語り合い、
お互いに癒し合うことも意義あることだ。

心の大きな傷を癒すことは
毒親問題を解決するにあたって、
必要であり、とても重要なプロセスだ
と考えている。
そして、このプロセスが
簡単に終了するとも思ってはいない。
なぜなら、心に負った傷は深く、
ちょっとやそっとで癒されるものではない
と理解できるからだ。

このプロセスを終えた時点で、
この問題が解決されたのだろうか?
私の考えでは、そうではない。
癒しを得ることは
問題解決の道のりの一部であり、
必要なプロセスではあっても、
ここで終わりではないと思っている。

では、毒親問題解決のためには、
最終的に行き着く場所は何処だろうか?
私が考えでは、
自分の人生の主導権を取り戻すところだ。

親からの悪影響が強くて、
それが自分の人生を狂わせてきたのは確か。
満たされない欲求により、自分の中で
悲しい気持ちが残っているのも確か。
このことを自分で認めてあげてもよいだろう。

親子関係とは無縁だと思える問題ですら
親子問題を見てゆくことは必要だと考える。
なぜなら、それが根本の原因だということが
往々にしてあるからだ。

しかし、親子関係が良くなかったから、
「自分はダメなんだ」と言い、
上手く行かないことすべてを
親のせいにしてもいいのだろうか?
私はそうは思わない。

今まで親に支配されてきたかもしれない。
親から悪影響を強く受けて、
そのせいで苦しんできたかもしれない。
でも、自分の心を癒せた後は、
前に進んだほうがよい。
今までのように、
自分の人生の主導権を親に委ねてはいけない!
自分の人生を歩む主権を
自分のほうに取り戻す必要があると考えるのだ。

自分が幸せになるのは、
親にして貰うのではなく、
自分自身ですることだ。
自分の人生の責任は、親にあるのではなく、
自分自身にあることだ。
自分の人生の主導権を、
親に委ねてはいけない。
物理的な独立だけでなく、
心理的にも親から独立して、
自分自身の人生を自分で責任を持ち、
歩んで行くことが必要だ。

口で言うのは簡単だが、
実際にそうすることは難易度がかなり高い。
しかし、これができるようになった時に、
毒親問題のすべてが解決した
と言えるのではないか?と私は考えている。