毒親と和解したほうがよいのか? それとも、しないほうがよいのか?

毒親問題で苦しむ人の多くは、
将来的には、親との和解を
考えたことがあるだろう。

私自身もそうだった。

親との話し合いにより、
今までの険悪な関係を清算して、
仲良くなれれば、どんなにステキか?
と夢見たこともある。

今まで自分が心の内に
抱えてきたツライ気持ちや感情、
思ったことを親に正直に話して、
理解して貰えれば、どんなによいことか!
と非現実的なことを考えた時もある。

和解のために
親と話し合うべきか? 
それとも、諦めるべきか? 
迷った時期も長かった。

しかし、最終的には、
私は、親との和解は諦めて、
自分の心の内で
この問題を清算しようと決めた。

こう決めたのは
もう数年前のこと。

今でも私の気持ちは変わらず、
将来的にも変わることは
ないだろう。

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なぜ、諦めたのかは
幾つか理由がある。

まず最初に、
血縁という近親者でも、
親は私とは別個の人間だ。

私がコントロールできるのは、
私自身の心だけ。

親の心を私の思い通りに
動かすことは、
かなり困難だと思う。

自分のことを
理解して貰いたいがために
一生懸命頑張っても、
おそらく裏切られるだろう。

そうなれば、
私の心も深く傷つく。

正直言って、私はこれ以上
親との関係で
自分自身を傷つけたくない。

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毒親との和解を諦めた
もう一つの理由は、

人は年齢を重ねるにつれて、
頑固になる傾向があるからだ。

もちろん、すべての人が
そうだとは言わない。

中には年を取るにつれて
心が穏やかになり、
性格が丸くなる人もいる。

しかし、私の親の場合には、
老いによる身体や能力の衰えから、
今の自分の状態に
不満を言うことが多くなった。

このような親の姿を見れば、
性格が丸くなって、
心の器が大きくなるよりも、

思うようにならない
自分の身体を嘆いて、
更に頑固になる道を
進んでいるように感じる。

当然、自分のことを
理解して貰おうなんて、
期待すること自体、間違いだ
と考えられる。

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親と直接和解はせずに、
自分の内で解決するのは、
私にとっては
どんなことだったか?

それは、自分の心の中で
親が今まで私に対してやってきた
許せない言動について、
辻褄を合わせることだ。

なぜ、そんな酷いことを
したのか? 

自分なりに勝手に考えて、
納得したこと。

親が私にしたことは、
私の後の人生にも
かなり大きな悪影響を
与えているのは確かだ。

しかし、親は
私を不幸に陥らせたく
そのようにしたわけではない。

親自身も精神的に未熟であり、
私に対して適切な接し方が
できなかっただけだ。

つまり、親にそれだけの
能力がなかったということ。

能力のない人間に
能力以上のことを期待しても、
ムリなことは明らかだ。

そう考えて、諦めた。

親に自分を分かって貰う
ということに執着せず、
もう、そのことは諦めた。

どうせ、ムリだから
仕方ないと考えたのだ。

良い意味で諦められてから、
そのことに固執しなくなったから、
私の心も落ち着いた。

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大人になっても
精神的に未熟で幼稚で
子供に対して
適切な接し方ができなかった親でも、

彼らの能力の範囲内で
精一杯、私のことを
育ててくれたことは事実だ。

親のそんな努力は、
認めてあげたほうがよい
と私は考えている。

そこで、今現在の
私の親に対する向き合い方
について。

年取った親が
喜ぶようなことは
してあげたいと思う。

しかし、親を喜ばせることが
自分自身を犠牲にしなければ
できないことなら、
私は決してやらない方針だ。

ちょっとした我慢なら
まあいいかと妥協できても、

親を喜ばせるために
自分が大きなムリをすること、
自分がツラい状況になることは
絶対にやりたくないと思う。

具体的に、親のために
私が今やらないことは、
日本に里帰りすること。

私は、親との険悪な人間関係が
どうしても耐えられず、
それが原因で海外に移住した。

日本に最後に帰国したのも
1997年のこと。
それ以来、私はずっと
日本に帰省していない。

私は飛行機恐怖症
の問題を抱えている。

年齢を重ねるにつれて、
この恐怖症が
かなり酷くなってきた。

今では短時間の国内線でも、
極度に緊張して、
飛行機に乗るたびに
身体の調子を悪くする。

たった90分の飛行時間でも
こんなシンドイ思いをするのだから、
日本までの11時間のフライトには
耐えられるかどうかが疑問だ。

そんな状態なのに、ムリして
自分を飛行機に乗せて、
親の顔を見に行く気持ちには
サラサラなれない。

若くて身体も元気な時には、
私に対して酷い言葉を投げかけて、
私を馬鹿にしてきた親。

昔、私が一時帰国した時にも、
あまり歓迎してくれなかった親。

私が「里帰りする際には
2カ月くらい滞在したい」
という気持ちを伝えた時、

「そんなに長く居られたら
こちらも迷惑なんだよ」
とはっきり断られた。

しかし、今では自分たちの
身体も心も弱り、
義理の嫁に対しても
不満がとても大きくなった。

そして、今までとは一転して、
実の娘に対して、急に
「帰って来て欲しい!」
と言うようになった。

でも、これって、私からすれば、
かなり自分勝手なことでは?
と感じられる。

以前は私のことをボロクソに言い、
落ちこぼれ人間として
私のことを部外者のように
扱ってきた親。

しかし、年取って弱ってきた時、
急に態度がコロッと変わり、
私も家族の一員だとするのは、
本当に都合が良すぎる!
と思えて仕方ない。

正直、私は
そのように感じている。

飛行機恐怖症の私は、
大きな恐怖に晒されてまで
ムリして親の希望を
叶えてあげたいとは思わない。

それよりも、
私は自分自身を大切に
してあげたい。

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そういう私は
自分勝手でワガママで
嫌な性格だと悩んだこともある。

しかし、そんなことを
悩んで、自分を責めても
何も良いことはなかった。

自分が惨めになるだけだ。

今では、親の希望に沿えず、
親を喜ばせてあげられない自分にも
「それでもOK」と許可を出せた。

親のために
自分が大きな犠牲を払わなくても、
情けない自分だと思わなくていい
と自分を許すことができた。

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親と和解するべきか? 
それとも、しなくていいのか? 
はケースバイケースであり、
本人が決めることだ。

私の場合は、
親に期待すること自体が
自分を不幸にする、
と悟った。

だから、もう
そんなことはやめた。

親に期待しなければ、
裏切られることもないから、
自分もがっかりしないし、
心が傷つくこともない。

そして、親のために
大きな自己犠牲を払うことも
やめると決心がついたので、
自分も無理しないから、ラクだ。

このような話をすれば、
かなり残念な響きがする。

しかし、
そんな残念な過去のことを考え、
いつまでもクヨクヨするよりも、

今自分の目の前にある生活を
大切にしようと思った。

今自分に与えられたことを
精一杯やって、
そちらにフォーカスを当て、
前向きに生きてゆきたい。

残念な過去があっても、
残念な将来に
なるわけではないから。

今の時間を充実させて、
有意義に暮らしていくことも
可能だと確信している。