両親との和解は自分の心の中でする

50歳を過ぎてから、私はニュージーランドでカウンセリングを受けた。セッションに通った1年半の間、私はカウンセラーのお陰で、いろいろな学びをさせて貰った。そのうちの一つに「自分でコントロールできることだけに集中する」というものがある。

人生は日々、様々なことが起きる。自分の身近に起きることや、世界のどこか遠くで起きていることをテレビニュースで見ることもある。大なり小なり色々な出来事が起こるけれど、自分でコントロールできることのみに意識を向け、そうでないことはスルーした方がよいという考え方だ。

カウンセラーからこの考え方を聞いたとき、私は心の中で呟いた。「そんなの知っているよ!」と。私は自己啓発系の本やトークが大好きだが、「自分でコントロールできることだけに集中した方がよい」というアドバイスは、多くの人が言うことだ。

ただ、そうと分かってはいても、私の理解の程度は、あまり深くなかったのだろう。誰かから役立つ情報を聞いて「ごもっとも」と頭の中で納得しても、実際には行動レベルまで落とし込むほど深く理解していなかったのだ。

自分がコントロールできる範囲外のことに関与して、状況を変えようと頑張るとき、人は苦しむことが多い。現状が良くないからといって、自分が努力して改善すると意気込んでも、必ずしも自分の努力は実らない。頑張っているのに、物事が思うように進まなければ、フラストレーションも溜まる。「なんで、こうなのだ!」と嘆き、失望することになる。

私はこのことを十分理解しているつもりだった。しかし、カウンセラーと色々話をするうちに、私はハッとした。実は、私は両親のことをコントロールしようとしていたと気づいたのだ。

小さな子供の頃から、成人した後でも、私はずっと両親から認めて貰いたいと思っていた。「よくできたね」とか、「スゴイね」と言って褒めて貰いたかった。自分の考えや、感じていることを両親に正直に話しても、怒鳴られたり、非難されたりすることなく、静かに聞き入れて欲しかった。「ダメな子」「どうしょうもない子」「人間失格」「救いようもない馬鹿」とネガティブなレッテルを貼られるのではなく、「よく頑張ったね」「偉いよ」とポジティブ言葉で褒めて貰いたかった。落ち込んだときや、苦しいときには「大丈夫だよ」と優しく慰めて欲しかった。

私が学校で虐めに遭っていた頃、父は暴力で私を脅かし、ムリに学校へ行かせようとした。

私は父には自分のツライ気持ちを分かって欲しかった。そして、問題解決のために、何らかの行動を取って貰いたかった。

小学校高学年にメンタルを酷く病み、普通の社会生活ができなくなった私に、母は冷たく当たった。私の苦しみを理解するどころか、母は私のことを非難した。私に対してネガティブ言葉を連発して、私の自尊心を大きく傷つけた。

人生で一番苦しかったときに、母には優しくして欲しかった。何も言わずに私のツライ気持ちを察してくれて、優しく包み込んで欲しかった。

しかし、私の両親は、私が望むどおりには動いてくれなかった。私の思うように私のことを扱ってくれなかった。私の欲しているように考えてくれなかった。だから、私は親に失望して、彼らに対して怒りの感情を燃やし、忌み嫌って生きてきた。

でも、私は気づいた。今まで自分が親に対して望んだり、期待したりしたことは、親の心や行動を自分の都合の良いようにコントロールしたかっただけだと。

いくら血の繋がりがあるからといっても、両親は私とは別個の人間だ。私がコントロールできるのは、私の心だけであり、両親の心や行動は私がコントロールできる範囲外にある。親が自分の思う通りに考えてくれなくても、行動してくれなくても、それは私のコントロール範囲外のことなので、諦めた方が良いと悟った。

自分でコントロールできないことに執着して、思うようにならないからと言って嘆いても、フラストレーションが増大するだけで、やがては自分が不幸になってしまう。

コントロールできないことは、頑張らない。自分がコントロールできる自分の気持ちを変えることで、自分がより幸せな気持ちで生きれるよう努力する方が賢明だろう。

私はいつかは両親と険悪な親子関係を清算して、和解したいと夢見ていた。自分の正直な気持ちを両親に打ち明けて、自分のことを理解して欲しいと願っていた。

でも、それは私の一方的な願いに過ぎない。両親が私の望む通りに考えてくれないなら、和解は起こるはずはない。それどころか、私達の人間関係はより悪化するだろう。両親の反応は両親が決めることであって、私がコントロールできることではない。そう思った時、私は自分が抱いていた大きな夢を諦めた。それよりも、「両親との和解は自分の心の内で行えばよい」という結論に達したのだ。