毒親問題―反応は人それぞれ、でも皆、この共通点に悩まされている!

現在、日本では
毒親問題で苦しむ人たちが
大勢いる。

実は、私もそのうちの一人だ。

自分自身を考えても、
この問題で悩む
他の人たちの話を聞いても、

皆それぞれ、
具体的には違った現象に
悩まされているけれど、

その苦しみの背景にあるものは、
皆同じだと考えられる。

毒親問題でシンドイ生活を
強いられる人には
共通点があると感じている。

今回の話は、
その共通点について。

また、その共通の問題により、
どんな影響が出るのか?
についてもお話したい。

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毒親問題は、
個人の問題ではない。

「自分の親は毒親だ」
と感じる時、

実は、その親自身も、
毒親から育てられたせいで、
毒親になってしまったのだ。

つまり、毒親は
親子代々引き継がれるもの。

毒親問題で苦しめば、
自分の辛さに焦点が当たり、

自分だけが被害を受けており、
大変だと思いがちだが、

これはちょっと違う。

毒親である親自身も、
子供の頃から、毒親の元で
色々苦労してきた人たちだ。

つまり、あなたのお父さん、
お母さんが毒親ならば、

あなたのお祖父ちゃん、
お祖母ちゃんも毒親だった
ということ。

このことに
気づいていない場合もあるが、

どこかで誰かが気がついて、
悪循環を断ち切らなければ、

いつまでも、毒親問題を
次の世代に引き渡して
しまうことになる。

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毒親問題で悩む人の共通点は、
「無価値観」で
苦しんでいること。

無価値観により、
ぽっかり空いた心の穴を
どうにか埋め合わせたく、
そのための行動で一生懸命だ。

そして、その行動により、
自分自身をツラくさせたり、
周りにいる家族を苦しめたり
してしまう。

私の家族の話をすれば、

私自身は、常に何かに
一生懸命専念して、
忙しくしていないと
気が済まないたちだ。

一見、意欲的で、向上心があり、
肯定的にも捉えられるが、

実は、この裏には
かなり病的なものが隠れている。

元気でエネルギーが溢れる時、
活動的に色々やるのは
素晴らしいこと。

しかし、かなり疲れていて、
身体の具合が良くなくても、
それでも、休めないという
オカシナ現象がある。

休息しなければ、
もっと体調を崩すと
明らかなのに、

分かっていても、
なかなか休めないのだ。

その理由は、私自身が
昭和時代の体育系教育を
受けてきたことも一部ある。

でも、どちらかと言えば、
自分が自分に休むことの
許可を出せないのが原因。

なぜ、そうできないのかは、
無価値観により、
心にぽっかり空いた大きな穴を
どうにかして埋め合わせようと
必死でいるから。

休んでしまえば、
もっと穴が大きくなりそうで、
恐怖心まで抱いているからだ。

正直いって、この状態は
かなり病的だと自分でも
感じている。

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私の父も
毒親問題で苦しむ一人だ。

父がそのように自覚しているかは
分からないが、

父の親も毒親だったのだろう。

父の無価値観に対する反応は、
私のものとは大分違う。

父はかなり威圧的で、
とても偉そうに威張っている。

私や母に対しては、
命令調で「~しろ!」と
怒鳴りつけることもしばしばだった。

父の心の中には、常に
人間関係のピラミッドがある。

上下関係がはっきりしていて、
上の人には愛想よく
丁寧に振る舞うが、

下の人には自分の権力を見せつけて、
つっけんどうで失礼な態度を取る姿も
よく見られる。

他人と対等な人間関係を築けず、
いつも上下関係を意識している。

父は他人を評価することで、
自分自身が偉くなった気になり、
快感を得ている様子だ。

たとえば、テレビを見ている時、
有名タレントや政治家に対して、
「こんなんじゃ、どうしょうもないな!」
と批判して、人を見下す態度。

他人を引き下げることにより、
自分が相対的に偉くなった気が
するのだろう。

そうすることで、父は一時的な
優越感を味わっている様子だった。

表面上は堂々として、威圧的な父も、
心の奥底には、劣等感や無価値観による
恐怖が隠れているのだろう。

その恐怖を隠して、自分の心に空いた穴を
埋め合わせるために、
このような態度を取るのでは?
と私には思えて仕方ない。

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私の母も同じく毒親。

そして、母の親も
毒親だったに違いない。

母はかなりの理想主義者で、
常に完璧を求めている。

母にとっては体裁が一番重要で、
他人に対して自分を立派に見せること
は最重要課題だ。

子供の私にも
非現実的なほど高い基準を期待して、
それに沿えない私を非難し続けた。

大きなことから、小さなことまで、
次から次へと文句を言い、
私をダメ出ししてくる。

私のあら探しに熱心で、
ネチネチと嫌味ばかりを言う母。

私が母から浴びせられた言葉は、
「ダメ人間」「人間のクズ」
「どうしょうもない落ちこぼれ」
「人間失格」など、人格否定するものだ。

こんなに自分の子供を
悪く言う親は、どこにいるのか?
と思うくらい、私を酷く侮辱した。

私が海外移住をして、
母から物理的にも、心理的にも
離れていった後は、

今度は義理の娘に対して、
悪口ばかりを言い、
虐めている。

今考えれば、母のこういう態度は、
母自身が欲求不満であり、
大きなストレスが溜まっていたからだ
と考えられる。

母のフラストレーションの矛先が
ずっと私に向いていた
ということ。

そして、私が母の近くから
姿を消した後には、
義理の娘にイライラをぶつけて
憂さ晴らしをするようになった。

そんな母も心の中では
無価値観で
いっぱいだったのだろう。

このままの状態では
自分は受け入れられない存在だ
と信じ込んでおり、

それが原因で、非現実的なほど
立派で完璧でなくてはいけない
と頑張っていたのだろう。

無価値観と劣等感で
虚しくて辛かったのだろう。

その虚しさを埋めるために
人のあら探しをして、
自分の心の不満を晴らしていた。

それが母の無価値観に対する反応だ、
と私は考える。

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無価値観とは、
そのままの状態では、
自分には価値がなく、
生きている意味がないということ。

何もできない自分は
ここに居てもしょうがない。

世間的に立派でなかったり、
社会で役に立てなければ、
自分には生きる価値がない
と考えること。

特別な存在であり、
素晴らしいことをしていなければ、
自分はここに居てはいけない
と感じることだ。

言語化すれば、こんな感じになる。

それでは、なぜ、
人は無価値観を持ってしまうか?

その理由は、
無価値観で苦しむ親から
そのような姿勢で育てられたから。

子供にとっては
親は絶対的な存在であり、

親の言うこと、考えることは
正しいと信じる時期も長い。

生まれてから、成人するまで、
ずっと無価値観で苦しむ親と
一緒に生活してくれば、

考え方や価値観も
彼らから強く影響される。

親が無価値観に苦しみ、
無価値観による反応を示し、
近くにいる子供に
悪影響を与えてしまうのだ。

そんな背景があり、毒親問題は
代々引き継がれることになる。

人それぞれ、無価値観による
反応は全然違うが、

いずれも良くない影響を
自分や家族に及ぼしてしまう。

私の場合には、
常に何かに専念して、
忙しくしていなければ、
心が安定しない状態。

元気の時にはよくても、
疲れて病気になっても
休めないという病的な現象。

父の場合には、無価値観から
必要以上に威圧的になり、
父よりも立場が弱い人を
虐めるという現象。

母の場合は、極端に理想主義者で、
他人にも完璧を求め、
それに沿えない人に対しては
徹底的に嫌がらせをする現象。

私も、父も、母も、
示す反応は違っても、

そういう現象を生む
根源になるものは、皆同じだ。

それは、無価値観により
心にぽっかり空いた大穴を
どうにかして埋め合わせよう
と反応していること。

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毒親問題はかなり複雑であり、
問題解決も大変だと思われがち。

しかし、このことに
気づくだけでも、
随分大きな進歩になる。

自分がこのように
振る舞ってしまうのは、
自分の中に潜む
無価値観が原因だった、

と知るだけでも、
全然感じ方が違ってくるからだ。

「ああ、そういうことなのか」
と納得できれば、
大きな救いとなる。

このことに気づいて、
「もう、こんなにツマラナイことは
やめたいな」と思うだけでも、

自分や周囲の状態も自然と
改善されてゆく。

毒親問題で苦しむ人が、
このことを知ることは、
一番重要なのではないか?
と今の私には思えて仕方ない。

具体的に悩むことは
人それぞれ異なっても、

毒親問題の背景にあるものは、
関係者すべてが「無価値観」
に悩まされていることだ。

まず最初に、このことを知ろう!