親も人間。不完璧な存在。ムリに完璧を演じなくてもよい

理想の親の在り方って、
どんなものだろうか?
私はしばしばこのことを考える。

ある文化圏では
親はこうあるとよい
というものがあっても、
ところ変われば、
全く違う考え方をするものだ。
いつの時代でも、どこの場所でも通用する
絶対的に正しい親の在り方は
どこを探してもないだろう。

今回は、私が考える
理想の親の在り方について
語ってみたい。
私個人の意見にすぎず、
自分が正しいと言うつもりはない。
単に私がそう思うだけ。
一個人の考えとして
聞いていただければ、幸いだ。

私が理想とする親の在り方は、
「自分は不完璧であり、
常に子供と一緒に学んでいる」
という姿勢があること。
親だからと言って、
子供より賢いとは思わないこと。
時には子供から学ばせて貰うこともある
と子供に対して謙虚な気持ちを持てること。
「親が上で、子供が下」というように
一方的に親のほうが偉いと威張る態度は見せず、
もっと対等な関係で、
お互い学び合っていると思えること。

小さな子供の頃は、
親は何でも知っていて、
色々なことを完璧にできる
と思い込んでいる時期もある。

しかし、これは子供の幻想にすぎず、
子供が期待するほど
親は完璧な存在ではない。
もう既に学ぶことは学びきって、
これ以上改善の余地がない親は
どこにもいないだろう。

子供が大人になるために
成熟する道のりの途中であるように、
親もまだまだ学んでいる最中で
発達途上の段階にいる。

親は子供の教育のために、
自分が子供のお手本になれるよう
立派な行いを示すことは大切だ。

しかし、そんな親も
所詮、一人の人間にすぎず
完璧でもないし、パーフェクトに
すべてのことができるわけでもない。
上手くできないこともあるし、
間違えてしまうこともある。
余裕がなくて、ボロが出る時もある。

親だからボロが出ないように
立派な親を演じなければならない
と思う人もいるようだが、
私はこの考え方には反対だ。

自分に余裕がなくて苦しい時には、
正直に子供にそれを伝えてもいいと思っている。
親だからといい、
ムリに立派に振る舞い、
完璧を装わなくてもいいと考えている。

親でも時には悪気なく、
良くないことをすることもある。
そんな時、「自分は子供に対して、
こんな恥ずかしい姿を見せるべきではない」
と思い、その間違いを隠して、
なかったことにしてしまったり、
誤魔化してしまう人もいる。

私はこういう親のやり方には賛成できない。
自分が正しくないことをした時には、
子供に隠さず、正直に言ったほうがよい。
なぜなら、親だって不完璧な人間で、
一生懸命やっていても、
時にはミスすることもあるからだ。
そんな時には謙虚な姿勢で
迷惑をかけた相手に「ごめんなさい」
とひとこと謝りたい。
たとえその相手が自分よりも年下の人でも、
子供であっても、謝罪したほうがよい。

時には親も苦しくて、余裕がなく、
「大変だ。シンドイ」と感じることもある。
そんな時に、ムリに自分の苦しさを
子供に隠す必要はないと思っている。

こう言えば、反論する人も多いだろう。
「親がシンドクて大変だ」という姿を見せれば、
子供も心配して、子供が親の面倒を見るようになり、
親子の役割逆転が起きてしまうと心配するからだ。

確かに、そういう考え方も一理ある。
しかし、私が言いたいのは、そういうことではない。
自分が大変なので、子供に同情して貰いたい
と願うことではない。
親が大変なのは、親自身の問題であり、
親自身が解決すべきだと理解している。

しかし、自分が大変なときに、
どんなにムリに平静を装っても、
ボロを出さないように頑張っても、
子供には「何か変だな?」
と見破られてしまうものだ。
変に嘘つくよりも、
「実際に自分は今こういう状態だ」
と伝えてしまったほうが、
子供にも納得して貰えると考える。

一番いけないことは、
親自身の問題のために、
親が非常に欲求不満であり、
親のフラストレーションのはけ口に
立場の弱い子供を使ってしまうことだ。

親の強い立場を利用すれば、
子供に対して簡単に卑怯な行為が可能となる。
子供のちょっとした落ち度に文句をつけ、
躾をしていると装い、
自分の欲求不満を子供にぶつけることもできる。
しかし、これは非常にキタナイやり方であり、
絶対にしないほうがよい。

その理由は、このように接しられれば、
子供の立場では、「自分は悪いことをした」
と思い、委縮してしまうからだ。
親が親自身の問題で不機嫌なのに、
子供は「自分が悪いから」と受け取って、
自分責めをして、非常に苦むことになるからだ。

本当は親自身の問題で、
親が苦しんでいるだけ。
その苦しみから発生するストレスを
どうにか解消したいために、
子供を目がけて怒りの感情をぶつけるのは、
いかがなものだろうか?

そんなことをするよりも、
正直に「今、自分は問題を抱えている」
と子供に言ってしまったほうがマシだ。
それにより、子供に同情して貰おう、
優しくして貰おうということではない。
これは親自身の課題であり、
子供とは関係がないことを伝えるのも必要だ。
親と子供の課題を明確に分けて、
今の問題は親自身が解決するものだと
はっきり子供に理解させることだ。

親が完璧にできないのと同様に、
子供も完璧にはできない。
このことを十分承知したほうがよい。
親自身ができていないことや、
やっていないことを
子供に対して「~しなさい」と言い、
やらせようとしても、あまり説得力はない。
子供からすれば、「親もやっていないのに、
なぜ、自分にそんな高い期待をするのか?」
と反発心が沸くからだ。

親も子供もお互い
理想を追い求めることなく、
「人間は不完璧な存在で、
パーフェクトにはできないこと」
と知っておいたほうがよい。
その上で、
今よりも少しでも良い方向へ進もう
という気持ちで、共に学び続けることだ。

親が子供に教えてあげることもあるが、
親は子供から学ばせて貰うこともある。
お互い学びの最中で、
一緒に学んで行くという関係性が
私が考える理想の親子関係だ。
そんな親子関係を可能にするような
謙虚な親の姿が、私の理想とする親の在り方だ。