今回は、7年前にした
私の不思議な体験の話をしたい。
とても、衝撃的な体験だったので、
その日のことを、私は今でも
鮮明に覚えている。
1991年、私は大学留学のために
ニュージーランドに渡って来た。
3年間の学生生活を終えた後、
私は現地で就職して、
日本に帰国しない選択をした。
ニュージーランドに移住する
と決心したのだ。
私が最後に帰国したのは1997年。
それ以来、私はずっと日本に帰っていない。
その理由は、実両親との険悪な
人間関係があったからだ。
私は両親のことが大嫌いで、
彼らに対して強い怒りの感情を
燃やしていた。
ニュージーランドで結婚して、
可愛い子供達にも恵まれて、
緑豊かな自然に囲まれた
素晴らしい生活環境があるのに、
私の心の中には、常に
しっくりこない感じがあった。
対人恐怖症的なところや、
自己肯定感の低さに苦しみ、
私は劣等感を感じながら
生きてきた。
自分に自信を持つことができず、
私は自分のことが好きになれなかった。
自分がこうなってしまったのも、
両親が私の子供時代にしてきたことが
原因だと決めつけて、
両親を一方的に責める姿勢で生きてきた。
実の両親に対する強い嫌悪感と
ドロドロとした怒りが私の中にあり、
両親のことは一生許せない思っていた。
私の父は昭和初期の生まれで、
「男尊女卑」や「年功序列」
の信念を強く持つ人間だった。
家の中でも威張っていて、
自分の価値観や考え方を
家族に押し付けてきた。
もし、私が少しでも違う意見を言えば、
「女、子供は黙れ」と怒鳴りつけ、
暴力を振るうことも多々あった。
こういう父を私はすごく嫌っていた。
でも、それ以上に、父を許せない
と思わせることが、私にはあった。
小学校4年生の時、
私はある事件をきっかけに、
メンタルを酷く病んでしまった。
精神的に不安定になるだけでなく、
身体にも強い不快な症状が出て、
普通の生活ができなくなった。
誰が見ても変な存在だった私は、
学校では虐めに遭った。
虐められるのがツラくて、
私はそのうち登校拒否になった。
父はどんな理由があれど、
学校へ行くのは子供の義務なので、
私が学校を休むことを許さなかった。
毎晩、仕事から帰宅して、
私がその日に学校へ行かなかったと知れば、
大きな声で怒鳴り散らして、
私の頭や顔を何度も何度も
強く引っ叩いた。
私は本気で父に殺されてしまう、
と思ったほどだ。
父の帰宅時間が近づくと
恐怖で心臓のドキドキが始まり、
パニック症の発作が起きた。
母は私がこのような状態になったので、
それを理由に仕事を辞めた。
固形のものが飲み込めない私に
離乳食のような食事を作ってくれて、
色々気遣いしてくれた。
でも、母自身、私のことをどうしたらよいのか、
全く分からず困惑してしまったようだ。
母は私に暴力を振るうことはなかった。
でも、私がメンタルを病んだ時から、
私に対して否定的な言葉を
沢山使うようになった。
「こんなこともできない」
「ダメ人間」「人間失格」
「情けない人」「できない子」
そんな言葉を毎日のように言って、
私を悲しくさせた。
私の心身の状態が大分回復して、
普通の生活ができるようになってからも、
母は私のことを「ダメ、ダメ、ダメ」
と言い続けて、私の人格を否定した。
私と周囲にいる同級生とを比べて、
「~さんはなんて優秀なんでしょう。
こんなこともできるし、あんなこともできるし。
本当に素晴らしいわ。それに比べて
あんたときたら、本当に困ったちゃんね」
といった具合で、私をバカにしてきた。
そんな母に、私はかなりウンザリしていた。
母の言葉の暴力は
私が成人してからも続いた。
私は実の両親の家には
自分の居場所を見つけられなかった。
実家の重くて暗い空気に耐えられず、
大人になって経済力がついてからは、
両親から逃げる選択肢を取ったのだ。
こんな事情があったので、
私のニュージーランドでの生活は
かなり恵まれていて、夢のようだった。
優しい旦那さまと可愛い子供たちが
自分の目の前にいる。
そして、普通に生活できている。
子供の頃の私にとっては、
予想もつかなかったことだ。
小学校高学年の時には、
私には明るい未来などない
と信じ込んむほど、
私はどん底に落ちていた。
その当時を振り返れば、
ごく普通に生活できることは、
夢のような話だった。
でも、その夢が実現した後、
私は幸せな気持ちで生きていたか?
と言えば、決してそうではなかった。
私の中には常にシックリこない感じがあった。
子育てをしていた頃には
両親に対する怒りもマックスに達して、
私は精神的にかなりツライ日々を送っていた。
前置きが長くなったが、
メインの話である7年前の不思議な出来事
について話したい。
当時、私は自宅からリモートで
ウェブ開発・デザインの仕事をしていた。
子供たちが学校へ行っている間は、
自宅のコンピュータールームにこもって、
ひたすらスクリーンと睨めっこしていた。
時々、気分転換にネットサーフィンをする。
仕事の合間のネットサーフィンが大好きで、
色々なサイトを見て楽しんでいた。
ある日、偶然見つけた
斎藤一人さんのユーチューブリンクを
クリックした後、
私のその後の人生を変えるような
一人先生のトークに出会ったのだ。
それは「思考は実現する 成功者の秘法」
というタイトルで、これを初めて聞いた時、
私はとても感動して涙を流した。
仕事の合間にちょっとだけ聞くつもりで
クリックした動画トークに釘付けになり、
ちょっと前まで自分が何をしていたか
分からなくなるほど、そのトークの中に
惹きこまれていた。
そして、気づいた時には30分ものトークを
すべて聞いていたのだ。
こんな風に言えば、大袈裟だが、
その時、神様から何か気づきを頂いたようで、
言葉では表現しがたい
不思議な感覚が自分の中にあった。
その後、私は一人先生のトークを
次から次へと貪るように聞くようになった。
一人先生のお話は、どれもこれも
とても良いお話ばかりだ。
色々なトークを何度も繰り返し聞いたが、
その中でも「劣等感の話」と
「悪徳裁判官」の話に
私はどれだけ助けて貰ったことか。
両親を死ぬまで絶対に許せない
と思っていたのに、
一人先生のこのトークを聞いた後、
私の中にそれまであった怒りは
すっかり消えてしまったのだ。
あまりの簡単さに自分でもビックリした。
正直言って、親を許せる日が
自分の一生のうちには来ない
と確信していたので、
私はかなり驚いた。
この不思議な体験をした後、
大嫌いだった両親のことが、
急に好きになったわけではない。
でも、それまで強く燃えていた
怒りの感情やドロドロとしたものは
ピタッと止まって、
両親のことを考えても、
嫌な感情が湧かなくなった。
これは、私にとっては
かなりスゴイことだ。
この日を境に、
私は自分自身のマインドセットが
徐々に変わってゆくのを実感している。
自分が努力して、頑張って
マインドセットを良い方向へ
変えていこうとするのではなく、
自然な形で自分のペースで
良い方向へ進んでいる
という感覚がある。
一人先生から教えて頂いた
貴重な学びや気付き、
また、一人先生以外の人からも
とても良い影響を受けているので、
それらのことも、今後の投稿で
紹介してゆきたいと思っている。