自分と合わない人って、
誰でも、一定数はいるだろう。
どうすれば、その人と上手くつきあえるか?
なんてことを考えて、
いろいろ努力するけれど、
どんなに頑張っても、
上手く行かないことはしばしばある。
そんな時には、
その人とムリしてまで上手くつきあおう
という考え方は捨てて、
どうすれば、その人と会わずに済むか?
を考えた方が賢明だ。
大分昔に聴いた
斎藤一人先生のトークの中に
こんな内容があった。
「合わない人とは会わないほうがいい。
会わなければ、相手に殺されることもないし、
その相手が殺人犯になることもない。
よいことばかりではないか」と。
上記は一人先生の言葉そのものではないが、
こんな内容だった。
「殺される」という言葉は
ちょっと大げさに聞こえるけれど、
現実世界では、合わない相手から
殺される事件も実際に起きている。
同居していた高齢の親を
実の子供が殺してしまった
というニュースを見たことがある。
殺人をすること自体、
良くない行為であり、
起きてはならないことだと思う。
しかし、実の親を殺してしまうほど、
その子供は精神的に思い悩み、
苦しんでいたことだと察する。
通常は、殺した人が悪者で、
殺された人は被害者だと思われがち。
でも、子供をそこまで追い詰めてしまった親にも
大きな問題があったはずだ。
合わない人とは会わない方がいい、
ということは、血縁においても言える。
「血縁だから」、「家族だから」と言って、
義理で会いたくもない人たちと
ムリして会わなければいけない
と信じ込んでいる人は多い。
でも、自分の心が酷く病んでしまうほど
嫌な相手ならば、極力避けた方が
自分にとっても、相手にとってもよい。
私は外国に住んでいて、
20年以上も日本に帰国していない。
その理由は、日本の実の両親との
険悪な人間関係があるからだ。
もし、外国に移住することなく、
ずっとあのまま両親の近くで
日本で生活していたなら、
今、自分はどうなっていただろうか?
私はそんなことを、時々、考える。
その時、私が想像できることは、
あまりにも暗い。
おそらく、私は今、病院か、
刑務所にいるのでは?
とまで思ってしまうのだ。
私のあら探しばかりして、
常に私の人格否定をする母の近くに居れば、
私は気が滅入ってしまい、
精神的に病気になっていたことだろう。
それでなくても、精神的に弱い私だから、
「自分には価値がない。
ここで生きていること自体、
自分は許されていない」と感じて、
今、生きていないかもしれない。
自分自身は殺人など犯さないと思っても、
同居していた高齢の親を
子供が殺してしまったニュースを聞けば、
決して、自分とは無関係だとは思えない。
毒親から悪影響を受けて、
そこまで、自分が追い詰められてしまい、
精神的に極度に苦しんでいたら、
親が死んでしまった方がよい
という考えが頭に浮かんでも不思議ではない。
そこまで、思い悩み、
追い詰められてしまうくらいなら、
自分はそんな親とは縁を切って、
親の影響が及ばないような遠くに
行ってしまう方がよっぽどマシだ。
精神的にそこまで病んでいるのに、
「家族だから」、「親戚だから」と言い、
義理で家族関係の会合に出席したり、
親の近くで暮らしたりする必要はない
と私は考えるのだ。
毒親は精神的に子供に依存している場合が多い。
だから、子供が自分たちから離れようとすれば、
色々なことを言って、止めようとする。
「あなたのためを思って、
私はこう言ってあげている」
というような言い方をするだろう。
でも、本当はあなた(子供)のためではなく、
自分(親)のために、子供に近くに居て欲しいのだ。
本当の意味で、
子供の幸せを願う親なら、
子供が幸せな気持ちで生活できる環境に
子供に居て欲しいと願うはずだ。
合わない人と上手くつきあうために、
色々努力する人は多いが、
努力が実らなければ、
その考えはサッサと捨てた方がよい。
それよりも、合わない人とは会わない方向に
自分のエネルギーを注いだ方が賢明だ。
これは、赤の他人だけに限らず、
血縁に関しても同じことが言える、
と私は信じている。