子供の時に父から受けた物理的暴力。幼少期から成人した後でも、母から受け続けた言葉の暴力。これらは、私の人生に悪影響を及ぼしたと信じている。子供の頃は、父のことが怖くて、怖くて仕方なかった。父がいつ怒り出して、私を殴ったり、蹴ったりするか分からなかった。そのため、私は常にビクビクしていた。その当時は、父からの物理的暴力の方がインパクトが強かった。しかし、その後の長い人生の中では、母から受けた言葉の暴力の方が、自分にとってはダメージが大きかったと感じている。
母は、私が子供の頃から、私のことを否定しまくった。弟と私を比べたり、私の同級生と私を比較して、よくこう言った。「あんたは、本当にダメな子ね。他の子が普通にできることを、あなたはできない。困った子ね。呆れてしまうわ」と。家事を手伝っても、不器用で上手く行かない。身体の動きが鈍くて、トロトロしていた私。何をやっても、母の満足がいくように上手くできなかった。母から「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ」と「ダメ」をどれだけ言われたか分からない。
大人になってからも、母からの非難の言葉は続いた。「礼儀がない」「気が利かない」「化粧や髪形がなっていない」「歩き方が下品」「冷たい心の持ち主」「人間のクズ」「人間失格」といった感じで、母は、私の人格を否定するネガティブ言葉を、次々と投げかけてきた。
一番基本的で、一番大切な人間関係は、母親との人間関係だと思う。 小さな時から、母親からどんな言葉で育てられたかが、その人のマインドセットの決め手になると信じている。同じ人でも、母親から貶されて、否定されて育った場合と、母親からポジティブな言葉で勇気づけられて育った場合では、成人してからのマインドセットは全く違うものになるだろう。
どんなマインドセットで生きるかによって、その人の人生が決まると言っても過言でない。マインドセットが、その人の人生を大きく左右するのだ。 生まれ持った資質や能力は確かにある。しかし、それよりも、成長の過程で、後天的に築いたマインドセットの方が、人生において、より大きな影響を与えるのではないかと思う。
私のことをネガティブに表現する母からの言葉で、「私はダメ人間」「私はできない人」「私は劣っている」と信じ込んでしまった私。そんな私は、人生の長い間、受け身で、消極的な生き方をしてきた。「どうせ、やってもダメなんだろう」と信じ込んでいたので、多くの場面で挑戦すらしなかった。
消極的、受け身的に生きていれば、目の前に大きなチャンスがあっても、チャレンジすることなく、可能性を逃してしまうだろう。自分の中に「自分にはできない」「自分にはムリ」というメンタルブロックがあるので、自分で自分にブレーキをかけてしまうのだ。
私の中にある大きなメンタルブロックは、母から受けた言葉の暴力が大きい、と私は信じている。そのため、私は母に恨みつらみを持ちながら、長い間、生きてきた。「母は、私をダメ人間にするお手伝いを、たくさんしてくれた」と考え、とにかく、母を忌み嫌っていた。
しかし、年齢を重ねるにつれて、母に対する私の気持ちも徐々に変わってきた。確かに、母から受けた悪影響は大きい。でも、母は、私のことを苦しめたくて、私のことを憎いと思って、私にネチネチとネガティブ言葉を言い続けて来たのではない。それよりも、母自身が不健康なメンタルの持ち主で、そうせざるを得なかったのだろう。
母は欲求不満だったのだろう。自分自身が満たされなくて、イライラしていた。表面上は普通を装っていても、母の心の中は荒れていて、不幸だったのだろう。もしかしたら、母は過去に起因する怒りを解消できなくて、それをずっと引きずって生きてきたのかもしれない。実際のところ、母の心の内がどのようであったか、私は知らない。でも、確実に言えるのは、母は満たされていなかったということ。自分の不満を、どこにぶつけてよいのか分からず、近くにいた立場の弱い私に向かって、ネガティブ言葉を言うことで、欲求不満を晴らそうとしていたのだろう。
人間は、所詮、不完璧な存在だ。表面上は、どんなに立派に見える人でも、だらしない面があったり、足りないところもある。100パーセント完璧な人間は、どこにもいないだろう。母は理想の親像から、かなりかけ離れていた。でも、私と同様に、母も一生懸命生きてきた。満たされない中でも、精一杯生きてきたのだ。だから、母が私に対してやってきたことは「仕方なかった」と許せるようになった。
私が今、意識的にやっていることは、自分の内に形成されたメンタルブロックを解くこと。私と同様に、多くの人がメンタルブロックを持っていると思う。でも、人によっては、かなり簡単に自分のメンタルブロックを解いてしまう人もいるようだ。私の場合は、メンタルブロックを解くのに、かなり時間がかかっている。そして、親から受けた影響は、本当に大きなものだと感じている。おそらく、私にとっては、自分のメンタルブロックを解くことは、今世の私の大きな課題の一つなのかもしれない。