私は海外に移住しており、日本には20年以上も里帰りしていない。「なぜ、そんなに長い間、日本に帰らないの?」と聞かれることもあるが、その理由は、両親との人間関係が険悪だからだ。私は日本のお風呂が大好きで、食べ物やショッピング面でも「日本はイイナ~」と羨ましく思うこともある。でも、私にとって、そういう日本の魅力より、両親と会いたくない気持ちの方が遥かに強く、ずっと帰国していない。
子供の頃、両親と一緒に暮らしていたとき、私は実家の暗くて重苦しい空気を不快に感じていた。家の中では不穏な雰囲気が充満していて、息苦ささえ感じた。正直言って、その当時を振り返れば、嫌な思い出しかない。楽しい思い出など何一つない。
私が子育てに奮闘していた頃、なぜか、遠く離れた日本の両親を思い出すことが多かった。「自分が親になって、初めて親の気持ちが分かるようになる」とよく聞くが、私の場合は正反対だった。「昔、なぜ、両親は私にこんな酷いことをしたのだろう?」とか、「なぜ、あんなに理不尽なことを言って、私の自尊心を傷つけようとしたのだろう?」 とか、親が私にしてきたことを「信じられない!」と受け入れられない気持ちでいた。過去の両親との嫌な思い出が、次から次へと頭の中に蘇り、私の心の中ではドロドロした激しい怒りの感情があった。
父はとにかく威張っていた。「男尊女卑」や「年功序列」を重んじる父は、家の中では年長者かつ男性である自分が一番偉いと思っていた。自分の考え方、価値観が絶対的に正しいと信じ、多様性を受け入れられなかった。そんな父に、私が少しでも異なった意見を言えば、「女・子供は黙れ!」と怒鳴り散らし、暴力を振るうこともあった。
私が子供の頃、メンタルを酷く病んだとき、母は仕事を辞めた。それ以降、母は外で働くことがなかったので、父が一人で一家の経済面を支えてきた。父は「俺が一生懸命働いて、お前たちを養ってあげているのだから…」と自分がどんなに偉いかを強調していた。
父のお陰で、私たちは不自由なく生活できていたのは確かだ。しかし、父の「俺のお陰で」という恩着せがましい態度は、私を不愉快な気持ちにさせた。そのため、私は父に感謝の気持ちを抱くどころか、反発心を感じていた。
父は感情のアップ・ダウンが激しい人だった。機嫌が良いときには、けっこう優しく振舞う人だった。そういう父しか見ていない他人は「なんて、優しくて、いいお父さんね」と言った。しかし、何らかの理由で、父がご機嫌斜めになれば、怒りの感情を露に出して、周囲に対して暴力的だった。
全く同じことをしても、その時の父の気分次第で、激しく叱られるときもあれば、スルーして貰えるときもある。子供の立場では、父にどう接して良いのか分からないことが多かった。私は父の顔色を伺いながら、常にビクビクしていた。
父は他人を評価するのが大好きだった。テレビを見ていて「この政治家は全くけしからん!」と批判したり、芸能界のタレントに対して「こんな下手くそな演技しかできないのか!」と言って馬鹿にしたり。
私は心の中で思っていた。「上から目線で色々な人のことをけなすけれど、いったい、自分はどうなの? そんなに立派な人間なのか?」と。他人を引き下げることで、自分は優越感に浸り、偉くなったと錯覚している父を、私はとても不愉快に感じた。
母はかなりの完璧主義者だった。自分の中に「理想像」みたいなものがあり、その理想と違っていれば、減点方式で点数を引いていった。
母は料理や裁縫、その他の家事を上手くこなせる人だった。私が中高生の頃、母は私に家の手伝いをさせるようになった。不器用な私が家事を手伝ったとき、母の期待通りできることはなかった。そして、そのたび母は私のことを批判した。「こんなこともできないの! あんたは本当にダメな子ね」と。
「これもできない」「あれもできない」「あんたはダメな子」「あんたはどうしょうもない子」「ろくでなし」「人間のクズ」「人間失格」など、母の口から出る、私に対してのネガティブ言葉を、私は今まで何度聞いたか分からない。
近所に住むAちゃんは母の理想像に近いようだった。「Aちゃんは、こんなこともできるのよ。あんなこともできるのよ。なんて立派なんでしょう。それに比べて、あんたときたら本当にダメね。呆れちゃうわ」という感じで、私は自分の同級生や、近くに住む同年代の人たちと常に比較され、「ダメな子」というレッテルを貼られていた。
母は他人を使って私を辱めることもあった。「K叔母ちゃんがね、あんたのこと、気の利かない子だと言っていたわよ」と。当時の私は母の言葉をそのまま鵜呑みにしていたが、今となれば、本当にK叔母ちゃんがそんなことを言ったのか? 疑問である。他人が私のことを良くないと言っていた。だから、もっと自分自身を改善しろというふうに、他人を使って、間接的に私を批判してきたこともよくあった。
母の私に対する「あら探し」は、私が子供のときのみならず、成人してからも続いた。私の化粧の仕方や、髪の整え方がみっともない!と批判したり、私の外出時には、団地の5階のベランダから、私の歩く姿を見て「あんたは何て下品な歩きかたをするの! もっと上品に歩きなさい」と非難したり。とにかく、私のする事なす事、すべてが「ダメ」だと批判した。
私が両親に対してネガティブ感情を持つ理由は他にもあった。小学校高学年のとき、見知らぬ男から性的暴行を受け、それをきっかけに私はメンタルを酷く病んでしまった。身体に不快な症状が強く出て、精神的にも非常に不安定になり、普通の生活ができなくなった。私が一番苦しんでいるとき、私は両親から見放されたと感じていた。学校へ行かない私に毎晩暴力を振るった父。その頃から私にネガティブ言葉を連発するようになった母。この時期に両親が私にしたことを思い起こせば、私は凄く嫌な気持ちになる。
とにかく、私は両親のことが大嫌いだった。
子供たちが幼いころ、私は自宅でウェブ開発の仕事をしていた。毎日、コンピュータールームでスクリーンと睨めっこしていたが、時々、気分転換でネットサーフィンを楽しんだ。ある日、仕事の合間にふと見つけた「斎藤一人先生」のユーチューブトークを聞き、私はとても感激した。気晴らしにちょっとだけ見るつもりだったが、話の内容があまりにも素晴らしく、私は30分以上もあるトークを最後まで聞いた。そして、あまりの素晴らしさに感激で涙した。
その後、私は一人先生のトークを次から次へと聞くようになった。この頃から、私の両親に対する気持ちが少しづつ変わり始めてきた。
それまで私は両親のことが大嫌いで、両親のことを考えるたびにドロドロとした怒りの感情が湧いてきた。しかし、今ではそれもすっかりなくなった。私は両親を許せるようになった。
一人先生の話を聞くまで、私は気づかなかったが、両親も私と同様、心の奥底では強い劣等感に苦しみ、精神的に満たされていなかったのだろう。そのため、身体は大人になっても、精神的にはかなり未熟で幼稚であった。
私が子供のとき、メンタルを酷く病んで普通の生活ができなくなったとき、両親は私に対して適切な扱いをしなかったと思う。でも、そうできなかったのには、理由があった。当時の私のように、扱いが難しい子供を上手く育てられるほど、両親には精神的な大きな器が備わっていなかったのだ。精神的なキャパのない人に、キャパ以上のことを望んでもムリだ。だから、仕方なかったと言える。
それでも、両親は彼らの能力の限り、良かれと思うことを一生懸命やって私のことを育ててくれた。そういう意味では、有難いと思う。
母が理想の子供像を持っていたように、私も理想の親像を持っていた。母の理想も、私の理想も、本当に立派で素晴らしい人間像だが、その理想像に近い人なんて、実際、この世にどれだけ存在するのだろうか?
私達は皆、不完璧な人間だ。あることで優れていても、別の面ではそうでない場合も多い。一見、スゴイ人に見えても、人の目に触れないところでは、だらしなかったりする。すべてが完璧で、立派な人間なんて、実はどこにもいないのだろう。
そう思ったら、自分のことも、両親のことも「人間だから」と言って許せるようになった。
最近は、両親のことを考えても、ドロドロとした怒りの感情は湧かなくなった。それでも、私は未だに両親のことを好きにはなれない。好きでもないし、尊敬もできないけれど、感謝だけはしている。