2020年12月22日。
今日から風の時代が始まった。
目に見える物質的なものが
重要視される時代から
目に見えないものを
重んじる社会に変ってゆく。
権力、組織、縦社会の時代は
終止符を打ち、今後は
個人を尊重しながらも
調和のとれた横の繋がりが
可能になる時代だ。
地の時代では、生き辛さを
感じていた人々も
風の時代ではラクに
生きられるようになると聞いた。
なんて素晴らしいことか!
ワクワクするじゃないか!
こういう私も
今まで生き辛さを感じながら
生きてきた人間だ。
なぜ、私は生き辛かったか?
その理由は、自分が自分に
縛りをかけていて
それにより苦しんでいたから。
自分でかけた呪縛で
自分自身が生き辛くなるとは
愚かに聞こえる。
でも、自分自身がかけた縛りを
解くことが難しいと感じている。
具体的に、その縛りとは
自己表現をしてはいけないこと。
自分の素直な気持ちや考えを
公の場で表してはいけないこと。
ありのままの自分を
曝け出したらいけないことだ。
この縛りの背景にあるものは
自分の素直な気持ちや考え
素の自分は受け入れられない存在だ
という不当な思い込みによるもの。
冷静に考えれば、不当だと
分かりながら、なかなか手放せないで困っている。
このブログサイトを立ち上げたのも
自己表現する恐怖を
乗り越えたくて始めたこと。
今まで自分を表現することを
しなかったせいか
なかなか言いたいことを
上手く書き表すことができず
フラストレーションを感じる時もある。
でも、とにかく、練習が大切だ
と自分に言い聞かせ、書いている。
ニュージーランドに移住して30年。
緑豊かな大自然に囲まれて
空間的にも、精神的にも
ゆったりと暮らしているつもりだ。
夫はありのままの私を
受け入れてくれているし
私の意向を尊重してくれる。
優しい家族に囲まれて
自由に生きてもいい環境
自己表現をしてもいい雰囲気に
包まれているはずなのに
私の心の奥底には
それとは真逆な方向へ動くものが存在する。
自分の中に相反する2人の自分がいるのだ。
一人の自分は、自己表現を奨励する。
「素の自分を出して生きていいんだよ」
と言ってくれている。
それに対して、もう一人の自分は
「ありのままの自分を出せば、
お前は他人から呆れられて
受け入れられることはない」と主張する。
そういう相反する2人の自分が
綱引きをしている状態で
私は時々とても辛くなる。
自己表現することを否定する自分は
私の実両親からの影響を大きく受けている。
男尊女卑、年功序列の価値観を持つ父に
「女・子供は黙れ!」と怒鳴られ
何度暴力を振るわれたことか。
成人してから自分の意見を言った時
父は機嫌を損ねて、私はスゴイ権幕で
怒鳴りつけられ、殴られた記憶が
未だに忘れられない。
「私は父からこのように粗末に
扱われても仕方のない人間なんだ」
と不当な考えを自分の中に
刷り込んでしまった。
母は物理的な暴力は振るわなかったが
ネガティブ言葉の連続で
私の人格を否定し続けてきた。
「ダメ人間」「人間失格」「落ちこぼれ」
「ろくでなし」「心の冷たい人間」
「役立たず」「何もできない子」
そんなような否定的な言葉を使って
私のことを描写した。
「今のままじゃ、あんたは誰にも
好かれないよ!」とまで言われた。
生まれてから、20歳を超えるまで
こんな両親と一緒に生活していたら
自己表現が上手くできなくても当然だろう。
自分は他人よりも劣った人間で
ありのままでは受け入れられない存在。
だから、自己表現をしてはダメ。
他人に認めて貰えるように
自分をムリに背伸びさせて
自分ではない自分を演じなくてはダメ。
こんな風に、自分の中に
そのままでは受け入れられない自分像を
私は勝手に作ってしまった。
でも、この思い出は過ぎ去った過去のこと。
両親とは30年間も物理的に離れている。
今では年に2~3回、電話やスカイプをするが
音信不通の時期も何年も続いた。
それなのに、なぜ、私は昔のことを
ずっとずっと引きずって
自分で自分を縛り付けて
自分を苦しめているのだろうか?
もういい加減に、そんなことから
卒業したいと思っているのに
それができない自分がいる。
親から受けた影響は大きなもので、
手放すのは大変だというのが私の本音だ。
風の時代になって、今後、私はどう生きたいか?
やはり、この縛りを捨てるようにしたい
というのが私の答えだ。
昨日で地の時代は終わって
今日から風の時代が始まっても
すべてが突然ガラリと変わるわけではない。
グラデーションを持って
徐々に価値観や社会が変わってゆくのだろう。
それと同様に、私も徐々に自分の縛りを手放す。
自己表現の恐怖を徐々に和らげてゆく。
これは、私の今世の課題なのだろう。
私にとっては大きなチャレンジと感じる
課題だが、挑戦する価値はある。
私が得意な「小さなステップを踏むこと」で
ちょっとずつ、自分を解放できればいいな~
と願っている。