「親を許す」の意味

私は子供の頃から、両親のことが大嫌いだった。20代でニュージーランドに留学して、卒業後は日本に帰国せず、こちらで就職したのも、両親となるべく距離を置きたかったからだ。長い間、私は両親に失望していた。私が人生で一番苦しかったとき、両親は私のことを助けてくれなかったと感じていたからだ。

私が小学校で虐めに遭っていたとき、なぜ、父は暴力を使ってまで、私を学校へ行かそうとしたのか? 「義務教育」という言葉に捉われて、どんな理由があれど、子供が学校へ行くのは義務だと主張し、何が何でも私を登校させようとした。

私が学校でどんな辛い目に遭っているかを、父には理解して貰いたかった。私が虐めに遭っている事実を、担任教師に知らせて、何か対策を取って貰いたかった。もし、どうしても虐めが止まない場合には、私を転校させるオプションも考えて欲しかった。私に暴力など振るわず、「どうして学校へ行きたくないのか? 学校で何があったのか? どんなことで困っているのか? 」そういうことを私に聞いて欲しかった。

私がメンタルを酷く病んだ小学校高学年のとき以来、母は私に冷たく当たるようになった。身体も心もボロボロで、普通の社会生活ができなくなった私に「ダメ人間」のレッテルを貼り、母はその後も私の人格を否定するような言葉を連発し続けた。

母からは精神面でサポートして欲しかった。身体も心も苦しいとき、その辛さを聞いて欲しかった。優しく慰めて欲しかった。「救いようもないダメ人間」と暴言を吐く代わりに、「大丈夫だよ」と言って、私のことを優しく包んで欲しかった。

私が両親から期待していたことと、両親が実際にすることとが、あまりにも大きく食い違っていたので、私は両親に幻滅した。

私の長女が誕生してから、子育てに専念していたとき、なぜか、私は遠く離れた日本の両親のことを、しばしば考えるようになった。「あのとき両親は、なぜあんなに酷いことをしたのか?」と昔の思い出が私の頭に蘇ってきた。ドロドロとした怒りの感情が私の中で激しくなったのも、この頃である。

両親は日本。私はニュージーランド。お互い離れた土地に住み、会うことはないし、電話やスカイプで話すことも滅多になかった。それなのに、なぜだか、私は昔の両親との嫌な思い出を繰り返し頭の中で再現して、怒りの感情を燃やしていた。

おそらく、こんな時期が少なくても2~3年は続いたと記憶する。

私の両親に対する気持ちが変わり始めたのは、オンライン上で斎藤一人先生のトークを聞いてからだ。あまりにも素晴らしいトーク内容で、私はとても感激した。

それ以来、私は一人先生のお話を、次から次へと聞くようになった。そうするうちに、私の中にあった両親への怒りの感情は徐々に薄れてきて、今では両親のことをすっかり許せるようになった。

一人先生のトークの中で、私の気持ちを大きく変えたものは幾つかある。その中でも、両親を許す気持ちにさせてくれた考え方は次の通りだ。「親だって、不完璧な人間。未熟な人間だから、仕方ない」というものだ。

私が「親のことを許せるようになった」と言うとき、「許せる」の意味するところは、「親が好きになったこと」ではない。そうではなくて、よい意味で「諦めがついた」ということ。

私が子供の頃、親が私にしてきたことが適切だったとは、今でも思えない。でも、親が不適切な振る舞いをしたのは、単に彼らが未熟であったからだ、と理解できた。

子供の立場では、親は完璧で立派な存在だと錯覚していることも多い。少なくとも、誰でも小さなときには、親は何でも知っていて、常に正しいことをすると信じる時期があるだろう。でも、ある時点で、子供も気づく。「実は、親は完璧ではないし、知らないことも多い。常に立派な行動を取るわけではない」と。

私の場合は、それに気づくのにかなり時間がかかった。私の中には非現実的な理想の親像があった。「子供がどのような状態にあっても、親は無条件に子供を愛して、子供のために尽くすべき」など、自分勝手にとてつもなく理想的な親の姿を頭の中で描いていた。

両親に対する私のネガティブ感情が非常に強かったのも、自分の頭で描く理想的な親像と、実際の親の姿があまりにも違い過ぎたためである。

一人先生のお陰で、私はかなり年を取ってから、「親だからと言って、必ずしも立派ではない」と悟った。身体が大人でも、精神的には未熟で、劣等感が強い親もたくさんいると認識できた。

心の器が小さな親に、その器に載らないほど大きな課題を与えても、適切に対処できるわけはない。自分のキャパでは対処不可能なことを期待されたら、困惑するのは当然だ。

未熟な親だから仕方なかった。親に能力以上のことを期待していた私の方が間違っていたと分かったとき、私の親に対する気持ちも変わってきた。

メンタルを酷く病んでいた当時の私は、非常に取り扱いが難しい子供だったと思う。私の両親は、そんな難しい子供に向き合わねばならなかった。自分たちの能力以上の課題を担い、どうして良いのか分からなくなってしまった。それでも、自分たちの力の限り、一生懸命、頑張って私のことを育ててくれた。そう思えば、非常に有難いと感謝の気持ちが湧いてくる。

私にとっての「許せるようになった」というのは、「まあ、仕方なかったのかな」と諦められるようになったこと。両親のことを考えても、昔のようなドロドロとした怒りの感情は湧かなくなったということ。「親も所詮、人間。不完璧で未熟な人間。だから、理想的でなくても仕方ない」といい意味で諦めがついたことだ。

私は今でも親のことが好きではない。もちろん、尊敬などもしていない。でも、親は彼らなりに頑張ってくれた。だから、感謝の気持ちはある。