「あなたのためを思って」は、親にとっては便利だけど、実はズルイ言葉

「あなたのためを思って、言ってあげるのよ」
という言葉を、私は母から何度聞かされたことか。
子供の頃の私は、親は立派で正しくて、
間違ったことを子供に教えるわけはない、
と思い込んでいたから、
母からそう言われたことは、
母の言葉通り、そうなのだと信じていた。
「お母さんは、私が可愛いから、
心底私のためにと思って、
私の至らぬ点を色々言っている」と思った。

しかし、母は私の良いところを
一切褒めることはなく、
悪いところしか指摘しない。
私には長所が全くなくて、
どうしょうもないクズ人間なのだろうか?
そんな風に思えて、悲しい気持ちで
やりきれなくなった。

今になって冷静に考えれば、
母が「あなたのためを思って」というのは、
実は、私のためではなく、
母自身がズルするために、
便利に使えるツールなのでは?
と思うようになった。
母が私に対して頻繁に使った
ズルイ言葉の一つにすぎないと思う。

私が日本で両親と暮らしていた時、
母は私の粗探しばかりしていた。
「お化粧が下品でなっていない」、
「髪の毛がみっともない」、
「大股で歩いて、見苦しい」、
「洋服を選ぶ時のセンスがない」、
「野菜を切るのが下手くそ!本当に不器用ね!」、
「気が利かなくて、役に立たない子」、
「思いやりのない、冷たい心の子」、
「そんなに何もできなければ、
嫁の貰い手もない」等など、
例を挙げればキリがない。

母の口から出る言葉で、
私を表現するものは、
常にネガティブなものばかりだ。
何一つ、良いところがない?
と私に劣等感を抱かせるほど、
褒め言葉は全くなく、けなし言葉ばかりだった。

母から指摘されたことを、
すべて改善できなければ、
私は劣った存在で、救いようもないダメ人間だ
とまで感じていた。
重箱の隅を楊枝でほじくるように、
母は、細かいことまでネチネチと
私を非難してきた。

もちろん、お化粧が上手なほうがよい。
髪の毛も綺麗に整っていたほうがよい。
洋服のセンスも良くて、
歩き方も上品なほうがよい。
野菜をきちんと千切りできたほうがよい。
気が利く人のほうがよい。
しかし、母が望むすべてのことを
完璧にできる人間は、
この世にどれだけいることか?

すべてにおいて完璧な人間はいない。
悪いところがあっても、
良いところもある。
完璧主義的な姿勢で、
すべての面で子供を改善させよう、
と子供にいろいろ指摘する親は、
子供のメンタルを病ませるだけで、
何も有益なことはしていない。
悪いところだけ取り上げて、
次から次へと攻撃したら、
子供はみじめになるだけだ。

親から独立して、
遠く離れた外国に住むようになっても、
私は未だに日本の両親のことを
考えることがしばしばある。
昔を振り返り、今、思うことは、
「あなたのためを思って」という言葉は、
本当は、私のためではなく、
母にとって、単なる都合の良い言葉だった
ということだ。

母自身が自分の心の内に不満を抱えており、
フレストレーションが溜まり、幸せではなかった。
だから、子供である私に八つ当たりをして、
憂さ晴らしをしていた。
私の悪いところだけをわざわざ取り上げて、
マウンティングを取っていたのだろう。

「あなたのためを思って」と言えば、
自分は良い人でいられる。
本当は子供に八つ当たりして、
憂さ晴らしをしていても、
親の愛情という仮面を使えるから、
自分は悪者にならずにすむ。
愛情ある親だから、言ってあげているのだ、
と自分を正当化できる。
「あなたのためを思って」と何度も繰り返すうちに、
本当に自分は子供思いで愛情あふれる親だ
と自分で思い込むことにもなるだろう。

本当に私のことを心底思ってくれたなら、
悪いところを指摘するだけでなく、
良いところもどんどん褒めて、
私がどう改善されてゆくのか、
見届けてくれてもよさそうなものだ

私の立場では、
ネガティブな言葉ばかりを投げられて、
良い気分はしないし、落ち込むだけだった。
劣等感が強くなり、自己肯定感が低くなった。
私にとっては、母からの言葉は、
百害あって一利なしだった。
このことを母に伝えれば、
「あんたは、ひねくれているから、
そう感じるのよ」と言うことだろう。

今考えても、母の私に対する接し方は、
私にダメージしか与えなかったと思う。
しかし、母も私同様に不完璧な人間だ。
自分自身も満たされなくて、欲求不満が強かった。
精神的に未熟で、自分のことで精一杯で、
本当の意味で子供のことを考えてあげられるほど、
心の器が大きくなかった。

子供にとっては、
親は特別な存在で、立派な親であって欲しい
と期待してしまうけれど、
実は、親は私よりも、先に生まれただけであり、
自分と同じ不完璧な人間にすぎない。

世界中、どこを探しても、
すべての面において完璧な人などいない。
人間、皆、不完璧なのだから、
母のことを責めなくてもいいだろう。
「まあ、仕方なかった。
母がこのような残念な態度を取ったのも、
それなりに事情があったのだから、
しょうがなかったのだ」
と許してあげたほうがよい。

私の父は、舌足らずで、
自分の考えを言語化することが苦手だ。
子供から何か言われて、
それに対して言葉で説明できなくなると、
すぐにキレて、怒鳴り散らし、
暴力を振るう人だった。

そんな父でも、私は時々、
「父は私のためを思ってくれているな」
と温かみを感じることがある。
しかし、残念なことに、母からは
一度も温かみを感じたことがない。

母は暴力も振るわないし、
母親として、人並みにやるべきことはしてきた。
ただ、義務感で子育てしている感じがあり、
暖かさや優しさを、私は母から感じたことがない。

でも、母がこのようになってしまったのも、
母なりの事情があるはずだ。
母は自分自身が満たされず、身体は大人になっても、
精神的には未熟で、
自分のことしか考えられないのだろう。
まあ、それはそれで仕方ないと思える。

「自分が親になったときに、
親の気持ちが分かるようになる」
ということをよく耳にするが、
私は決してそうではなかった。
それとは全く逆で、
なぜ、私が子供の頃、若い頃、
親は私に対して、あんなに酷いことをしたのか?
と不可解な気持ちにしかならなかった。

しかし、これも、今では
「親も不完璧な人間だから、仕方ない。
母なりの事情もあったから、仕方ない」
と理解できるようになった。

「あなたのためを思って」というのは、
親にとっては便利な言葉だが、
本当はズルイ言葉だと思う。
母を反面教師にして、私は自分の子供たちには、
この言葉でマウンティングを取らないよう
気をつけている。