実父に言いたい放題、言ってみる。 パート1

子供の頃、心の中では思っていても、
親が怖くて、口に出せなかったことは沢山ある。
父に対しては、価値観の押し付けや
物理的暴力で、子供の立場で、
私はかなり大変な思いをした。
それ以外にも、父の嫌な点が幾つも目についた。
今回は、そのうちの一つ、
「上から目線で人を批判すること」
について、お話してみたい。

「あの政治家は、何やってんだ!
本当に、なっちゃないんだよ!」
とテレビのスクリーンに向かって
文句を言ったり、
「あの歌手は、不細工だし、
歌も演技も下手くそだな」
と一生懸命歌っているシンガーに
ケチをつけたり、
上から目線で、他人を批判するような
父の姿を、私は子供の頃、よく目にした。

そのたびに、私の心の中では
モヤモヤとしたものが湧きあがってきて、
不愉快な気持ちになった。
そのモヤモヤの正体を
当時の私ははっきり表現できなかったが、
今となれば、次のように言うことができる。

「あの政治家をクソのように
非難しているけれど、
実際に、自分がその立場に就いたら、
父は、その政治家よりも、
上手く国を動かすことができるのだろうか?」
「一生懸命歌っている歌手のことを
馬鹿にしたような発言をするけれど、
父は、その歌手よりも、
もっと歌が上手くて、
人の心を動かせるのだろうか?」

他人がやることを
傍から見ているだけで、
ああだ、こうだと色々批判するけれど、
実際に、父はそのことをやってはいない。
行動がない人間が、行動している人間に
ケチつけるのは、オカシナ話ではないかと思う。

傍から見ていて、簡単そうでも、
実際に自分がやってみれば、
けっこう難しくて、思うように行かない
なんてことは沢山ある。
理屈ではやり方を理解していても、
実際に手を動かしてやってみれば、
「こうなるはずなのに、ならない」
という事態にも遭遇する。
実際に行動した人でなければ
分からないことは多いものだ。

「自分が思った通りに行かなくても、
できる限りのことをしよう」
と頑張って行動している人がいる。
もしかしたら、最初のうちには上手くできず、
傍から見れば、不器用に見えるかもしれない。
でも、近くでその人を見ていて
「本当に下手くそだな」と
口で馬鹿にする人よりも、
ずっとずっとマシだと思う。

どんなことでも、
行動している人と、
単にそのことを頭に思い描き、
何も行動していない人では、
雲泥の差がある。

他人のやることを批判したり、
馬鹿にしたりして、
その人を引きずり降ろして、
自分がその人よりも偉くなった
と錯覚して、優越感に浸る父を見て、
私には父が惨めな人に思えた。

上から目線で他人を批判して、
ジャッジのように立派な人間になった
気分でいるけれど、本当のところは、
父自身は何も変わっていないではないか!
他人を下に見ることにより、
相対的に自分は優っている
と感じていても、
実際には、自分は口で言うだけで、
何も行動していないから、
向上も、成長もしていない。
そんなことで優越感を感じる父を
軽蔑したくなる気持ちが
私の中にはあった。

私は人生の長い間、
両親から自分を認めて貰いたい
という承認欲求が強かった。
冷静に考えてみれば、
他人の評価だけしかせずに、
自分自身、挑戦もしないような人間から
褒めて貰えなくても、
がっかりする必要はないだろう。
でも、やはり、子供というものは、
自分の親からは認めて貰いたい
という気持ちがあるんだなと思う。

こういう父から、私は何を学べたのだろうか?

それは、自分の近くで、
上手くできない人、不器用に見える人がいても、
決して馬鹿にしたり、笑ったりしてはいけないこと。
自分だって、そのことをやってみれば、
同じようにできないかもしれない。
頭では簡単に思えても、
実際にやってみれば、
思うように行かないことは
沢山あるということを知ることだ。

父のことを思い出せば、
自分が何か新しいことを始めようとする時、
「こんなことに挑戦して、
上手く行かなかったら、
父は笑って私をバカにするんだろうな」
という考えが頭をよぎることがある。

でも、そんなことで、「挑戦するのをやめよう」
と思わないよう、自分に言い聞かせている。
実際に手を動かして、
行動した人の方が勝ちだと思うからだ。
どんなに下手くそでも、
不器用でも、最初は上手く行かなくても、
行動ある人の方が、
傍で見ていて、その人をバカにして
自分は何もやらない人よりも、
ずっとずっとマシだと思うからだ。

両親の素晴らしいところをお手本にして、
自分も学ぶことができれば理想的だが、
それがムリならば、親を反面教師として、
そこから学ぶことだ。
「自分は父のようにはならない」
と決めて、父の良くない点を
真似しないことだ。