険悪な親子関係 - このままでよいのだろうか?

両親のことが大嫌いだった私は、留学後も現地で就職をして、日本に帰らなかった。両親と距離を置き、彼らと接触する機会をできるだけ避けたかったからだ。一時的な里帰りもせず、両親とは年にせいぜい2~3回、電話かスカイプで話す程度だった。

私は昔の両親との嫌な思い出を頭の中で再現して、激しい怒りの感情を燃やしていた。過ぎ去った昔のことを、わざわざ掘り返してネガティブ感情に包まれるのは馬鹿らしいと思いながらも、なぜか、私はいつまでも昔のことに捉われていた。

しかし、時には矛盾することも考えた。「両親との険悪な人間関係をこのまま継続して、人生を終えてしまってもよいのだろうか? あとで後悔はないだろうか?」 と。私はニュージーランドに永住するつもりだ。両親と会いたくないため、日本には長年帰っていない。両親も徐々に年老いてゆき、いつかはこの世を去って行くことになる。そうなってから「やっぱり、両親との人間関係を清算しておけばよかった」と後悔することはないだろうか?

私は「親子関係」についてしばしば考えた。そもそも、親子関係って何なのだろうか? 親子は人間関係でも一番基本的で大切な関係ではないのだろうか? もし、そうならば、私が親を避け、何年も会うことなく、久しぶりに電話で話すときにも、表面上の会話で終わらせるのは虚しくないだろうか? お互いどんな生活をして、何を考えて生きているかも分からないのは、悲しいことではないのだろうか?

赤の他人なら、気に食わない奴だと思えば、極力接触を避けて表面上の付き合いで済ませればよい。でも、一番近い人間関係にある親に対して、私はこのような姿勢で疎遠にしてしまってよいのだろうか?

私の中には相反する2人の自分がいた。そのうちの一人は、親を毛嫌いして、とにかく親を避けようとする自分。また別の自分は、今までの険悪な親子関係を、いつかは清算した方がよいと思う自分だった。このように自分の中に矛盾した考えを抱えて、私は大分悩んだ。

できることなら、過去に両親が私にしてきたことに対して、私はどう感じていたのか? それを正直にお話して、両親にも自分のことを理解して欲しい気持ちがあった。もし、両親がそれを受け入れてくれるのなら、是非、そうしたいと思った。その上、最終的には、今までの私たちの険悪な親子関係を清算することができれば、どんなに素晴らしことかと夢見たこともある。

しかし、現実は厳しい。久しぶりに両親と電話やスカイプで話すとき、母にはいつもの口調でネガティブなことを言われてしまう。父は相変わらず「親の威厳」を強調して空威張りしている状態だ。時が経っても昔と同じような両親の姿を見れば、私はそんな気持ちになれなかった。

両親は私の言うことなど、黙って聞いてくれるはずがないと思えた。もし、親に対する私の正直な気持ちを打ち明けても、人間関係の清算になるどころか、母は呆れ返り、父は激怒して、私はもっと苦しむことになると想像できた。両親との険悪な人間関係で、私はこれ以上自分を傷つけたくなかった。

私はニュージーランドで結婚して、子供も授かり、表面上は幸せな家庭生活を送っていた。でも、心のどこかに両親との人間関係のわだかまりが隠されていて、それがたまに表に現われた。特に、子供たちが小さな頃、なぜか、私は両親について考えることが多かった。

勇気をもって、両親に自分の正直な気持ちを話して、今までの険悪な人間関係を清算して、今後は、もっと親密な関係になりたいと夢見ることはあった。でも、それは、本当に夢のお話であり、実際にはそんなことはムリだと諦める気持ちの方が強かった。

今の状態が好ましくないと分かっていても、その好ましくない状態から抜け出ることは、私にとって困難に思えた。そのため、私は自分の方からアクションを起こすことはなかった。心の中に葛藤がありながらも、両親との関係を長い間ずっと現状維持させた。

子供から手が離れた頃、私は仕事を始め、日々の生活を回すのに忙しくしていた。目の前にあることを片付けるのに精一杯で、私には両親のことを考えるほど、心の余裕はなかった。そんな感じで月日が経ち、何年も過ぎてしまった。