毒親にもツライ過去がある

子供の頃、私は父の暴力が怖くて
常にビクビクしながら生きていた。
母は身体的暴力はふるわなかったが、
暴言を吐くチャンピオンだった。
私のすることなすこと
すべてを否定して、
常に私の自尊心を傷つけた。
私の意向を無視して、
母親が望むような人生を
私に押し付けてきた。

そんな毒親の元で育った私は、
愛情飢餓で苦しんだ。
自己肯定感が低く、
自分で自分のことを傷つけ
人生はツライものだと
感じている。
毒親の「毒」が私に与えた
悪影響は相当なものだ
と信じている。

これまでの人生の大部分を
私は被害者意識をもって
生きてきた。
「私がこんなふうになったのは
間違いなく、親のせいだ」と。

しかし、最近は、
私も少し成長した。
以前よりも、客観的に
物事を観れるようになった。

それまでは、親子関係を
自分中心にしか考えられなかったが、
最近は「親の立場ではどうなのか?」
と考える余裕が心の中にできた。

「親はどうして毒親になって
しまったのか?」
様々な理由があるだろう。
その理由を考えた時、
親だけを責めるのは不当である
と思うようになった。

親自身が子供の頃、
彼らは自分の親から
愛されなかったのかもしれない。
そのため、大人になって
自分が親の立場になったとき
子供をどう愛してよいのか
分からない。
親自身が愛着の問題を抱えていれば
子供に愛を与えることは難しい。

親自身が子供の頃、
彼らの親が暴力をふるったり
暴言を吐いたりしたかもしれない。
彼らは親から無視されたり、
ネグレクトを受けたかもしれない。
もし、そうであれば、
親自身が愛情飢餓で苦しんでいても
不思議ではない。

親自身の親がメンタルを病んでいて
精神的に不安定だったかもしれない。
アルコールや薬物依存の親の元で
育ったのかもしれない。
その場合、親と子供の役割が
逆転した「機能不全家庭」
で親自身が育ったことになる。
そんな人が親になったとき、
再び機能不全家庭を作る
可能性は大きい。

親自身が何らかの事情で
シングルマザー、シングルファーザーになり、
日常生活を回すうえで
経済的にも、精神的にも
苦しい状況の中で
子供を育ててきた場合もある。
親自身に余裕がないから、
子供を愛して、子供が健全に
育つような環境を作ってあげられない。
そんなこともあるだろう。

人それぞれ、原因は違うだろうが、
毒親が毒親になってしまう原因があり、
毒親だけを一方的に責めるのは
間違っていると考えるようになった。

毒親に育てられた子供が大人になり
親の立場になったとき、
自分の親からされて嫌だと思ったことを
自分の子供にやってしまうこともしばしばだ。
親に暴言を吐かれて
あんなに嫌だったのに、
自分も親の立場で
子供に暴言を吐いてしまう
なんてことは、珍しくない。
なぜなら、毒親にとっては
暴言を吐くような家庭環境が
デフォルトになっているから。

そう考えれば、毒親問題は
代々引き継がれていくリスクがある。
気をつけなければ、
自分の親がしたことと
全く同じ悪いことを
今度は自分が親の立場で
子供に対してやってしまうのだ。

実際、私がそうである。
私の娘は去年二十歳になった。
そんな娘が高校を卒業した時、
ギャップイヤーをしたいと言い出した。
娘がギャップイヤーをする目的は
大学へ行く前に社会経験をして
学費を稼ぐことだった。
しかし、私は娘の意向を無視して
大反対したのだ。
「高校卒業後、直ぐに大学に行って欲しい!」
と言い張った。

本来ならば、娘の進路は娘が決めるべき。
しかし、親の私が娘に対して
過干渉をして、口出ししてしまった。

そんな自分に気づいたとき、
私は自分に言い聞かせた。
「私自身も母が望むような進路を
押し付けられて、嫌だったのでは?
娘の進路は娘の課題。
私が口出しするのは、おかしいよ」と。
そして、結局は、娘は希望通り
ギャップイヤーを取ることになった。

気をつけてなければ、
今後も、私は毒親のようなことを
子供に対して、してしまうだろう。
私の母が私にしたように、
私は自分の娘に同じような
嫌なことをしてしまうだろう。
「それでは、いけない。
毒親問題を、自分の代で
断ち切らなければ」と反省した。
今後も、自分が毒親らしきことを
やっている、と自覚したら、
すぐにストップさせなければ、
と思う。