毒親は謝ってくれない

ネット上で
「毒親は謝ってくれない」
という投稿を見かけた。
このタイトルを見た時、
私の頭の中では
いろいろな考えが
浮かんできた。

今日はこの投稿内容に
一切触れることなく、
私自身が
「毒親は謝ってくれない」
について考えることを
自分の体験を通して
述べてみたい。

私の両親も紛れもない毒親。
私が子供の頃、
父から受けた身体的暴力は
私に恐怖と不信感を与えた。
でも、それよりも
もっと悪影響を与えたのは
母からの否定的な言葉の暴力だ。
私の人格を否定するような
言葉を、母は毎日のように
発していた。

私が大人になっても
劣等感が強く、
自己肯定感が低く、
人生生き辛いと感じるのは、
親からの悪影響が大きいと
私は信じている。

そのため、長い間、
私は両親から謝罪して
欲しいと思っていた。
しかし、今では
そんなことは全然
思わなくなった。
なぜ、そうなったかを
お話したい。

まずは、両親は
私が両親からの
悪影響で苦しんでいることなど
全く気づいていない。
それどころか、
「立派な大人に育て上げた」
とくらいにしか
思っていないのだ。

そんな風にしか
思えない理由は
両親自身が未熟だから。
自分たち自身を
支えていくことだけで
精一杯なので、
子供の状態がどうなのか?
なんて気づくだけ
精神的に余裕がないのだ。

心の器が小さくて、
身体は大人でも、
精神的に未熟な両親は、
子供がどんな気持ちで
生きているかなど
分かってあげるだけの
能力がないのだ。
心のキャパが小さい人に
そのキャパを超えるようなことを
望んでも、不可能であると
理解できた。
だから、諦めが
ついたということ。

人生には「できること」と
「できないこと」がある。
自分がコントロールできるのは
自分の心だけ。
両親は、私とは別個の
人間であり、彼らの
心や行動をコントロール
することは、
私のコントロールが及ぶ
範囲外だ。

コントロールできないことを
コントロールしようとして
上手く行かないから
フラストレーションを
溜めるのは、
馬鹿らしいと思うように
なったのだ。

私は長年、両親に対して
ドロドロした怒りの感情を
持ち続けてきたが、
「そうすることで
自分は何か得をしたか?」
と自問自答した。

両親に対してどんなに怒っても、
その気持ちは両親には
届かない。
それどころか、
怒りの感情により、
自分自身が消耗してしまう。
怒りを引きずっていれば、
自分の心身の調子は
当然、悪くなる。
怒ることによって、
自分のエネルギーを
ムダに消費して、
自分自身を疲労困憊
させるのは、
理に叶っていないと
思うようになった。

それよりも、
そういうエネルギーを
建設的なことに
費やした方が
賢明であると考えたのだ。

毒親問題で苦しむ人は
けっこう大勢いるのでは?
と思う。
理想は、子供の健全な発育を
促すような家庭で育つこと
だが、現実的には
それができている家庭の方が
少ないのでは?
と思うようになった。

なぜなら、人間である以上、
親も不完璧な存在だからだ。
だらしがなくて、色々なことが
できない私と同様に、
親も不完璧な存在なのだ。

きちんとできない自分を
許してあげるとともに、
理想とは大きくかけ離れる
両親のことを許してあげる
気持ちになれた。

結局は、「人間だから仕方ない」
ということだ。

そう思えるようになっても、
私は両親のことが嫌いだ。
そういう自分を情けないと
思った時期もあったが、
今では、親が嫌いな自分を
許してあげることが
できた。

両親に対する理想を
追うことは止めて、
良い意味で諦められた時、
精神的にもラクになれた
と感じている。