斎藤一人先生のトークを聞くようになってから、両親に対する私の気持ちは大きく変わった。それまで、私は両親のことが大嫌いで、昔の両親との嫌な思い出を頭の中で何度も再現して、勝手に怒りの感情を燃やしていた。過ぎ去った昔のことなのに、何度も何度も繰り返し両親が私にしたことを考えて、「なんで、あのとき、両親はあんな酷いことをしたんだ!」と彼らのことを責め続けた。
「人間は皆、不完璧なんだよ。偉そうにしている親だって、所詮、未熟な人間なんだよ」という一人先生の言葉で、私は目を覚ませて頂いた。自分が未熟で不完璧な人間なように、両親も同じく未熟で不完璧な人間だ。そんな両親に対して、私は非現実的な理想の両親像を描き、彼らに期待を寄せていた。両親が私の期待に応えてくれなかったとき、私は苦しみ嘆き、不幸な気持ちになった。でも、一人先生のお陰で、私は両親に対する期待を止め「仕方なかった」と諦められるようになった。
両親に対するドロドロとした激しい怒りの感情が、私の中から消えていった。それと同時に、今まで怒りでカチカチに凝り固まった身体が、徐々に緩んでいくのも感じた。
しかし、その頃、また別の問題が私の心の中で発生した。両親のことを許せても、彼らのことがどうしても好きになれなかった。「好きではない」というのと、「嫌いだ」というのでは、後者の方が嫌いなレベルが少し強いだろう。私の場合、両親のことを嫌うレベルが、「好きではない」と「嫌いだ」の中間くらいだった。
両親を許せたあとでも、彼らに対して嫌な気持ちが自分の中に残っていることに、私は罪悪感を抱いた。そういう自分が情けなく、悪い人間のように思えた。両親のことが好きで、尊敬できる人は立派な人間だと思い、そうでない自分を責めていた。
その頃、私は心理カウンセリングのセッションを受けていた。カウンセラーの先生と色々な話をするうちに、私は両親に対する自分の正直な気持ちを打ち明けた。
私:「両親に対する怒りの気持ちも治まって、許しの気持ちも出てきたのに、なぜだか、私は未だに両親のことが嫌いなんです。でも、そのことが、何だかシックリこなくて…」
カウンセラー:「両親のことが嫌いだっていいじゃないの。どうして、嫌いではいけないの? そのように感じても、何も問題ないと思うわよ。嫌いではいけない理由って何?」
カウンセラーにその理由を尋ねられたとき、私は即答できなかった。「なぜ、両親が嫌いではいけないのか?」私は考えた。
暫くして、自分なりに行き着いた答えは次の通りだ。それまで、自分では気づかなかったが、私は心の奥底に「両親は尊敬されるべき存在。両親のことを敬い好きであることは大切なこと。当然なこと」という信念があったのだと思う。何も疑うことなく、そのように信じ込んでいたのだ。
なぜ、そのように信じたのかは、私が小さな子供の頃から、両親は「親は尊敬すべき」という信念を私に刷り込んできたからだろう。私の父は「年長序列」を重んじる人だった。先に生まれて、より長い人生経験を持つ人間の方が、後から生まれて経験の浅い人よりも優れていると考えていた。そのような価値観を持つ親の元で育ったため「私は年長者を尊敬すべき。そうできないのは悪いこと」と勝手に思い込んでいたのだ。
また、別の考え方もあった。親は子供のために色々なことをしてきたのだから、子供は当然、親を尊敬して、親のことを好きであるべきだ、というものだ。私は父からこの考え方も刷り込まれてきたのだろう。
自分の中に深く根付く信念を、当然のこととして受け入れ、何も疑問を持たないケースは多い。
今までの人生の半分以上をニュージーランドで暮らした私は、日本では当たり前のことが、この国ではそうでないことをよく知っている。それなのに、自分の中にあった親子関係における信念を、全く疑うこともなく、そのまま当然のこととして受け入れていた。
昔からこのように考えてきたから、そうなのだ。周りの人々か皆、このようにしているから、それが正しいのだ。私たちは自分たちの心の奥底にある価値観、信念などを、全く疑うことなく、当たり前だと思い、それに従っていることが多々あるのではないだろうか?
一度、自分自身に問うのも悪くないだろう。「この考え方は、自分にとって本当に正しいのか?」「ずっと昔からこのようにやってきたけど、果たして、このやり方は今の時代でも最善のものなのか?」等々。
考えた結果、もし、「やっぱり正当だ」と思えれば、今まで通り続ければよい。でも、「いや、ちょっと待って。そうではないよ」と思えるものがあれば、今までそうしてきたからといって、続ける必要はない。むしろ、その信念、価値観を手離してしまった方が、幸せになれる場合も多いだろう。
「親は敬われる存在。親のことが嫌いな人は、悪い人間。情けない人」という考えは、冷静に考えれば、間違っていると思えた。
年齢に関わらず、立派な人もいれば、そうでない人もいる。若いのに精神的に成熟して、人間的に立派な人もいれば、年を取っても、頑固で自分のことしか考えられず、幼稚で未熟な老人もいる。
カウンセラーの先生から「親のことが嫌いでもいいんだよ」と言われたとき、私は妙に納得できた。親が嫌いな自分を「情けない人間」だと責める必要はない。自分の正直な気持ちに蓋をして、親を好きになる必要はないんだ、と思えたとき、私は心の重荷から解放された。気持ちが軽くなり、身体も心も緩んだ。