私は自分の両親を
紛れもない「毒親」だと思っている。
子供の頃、両親から
虐待を受けたとも思っている。
しかし、親からしてみれば、
子供を虐待したなんて、
これっぽちも思っていないだろう。
自分たちが「毒親」呼ばわりしていることも
想像もつかないことだと思う。
私は海外に住んでおり、
日本には20年以上も帰国していない。
両親とはコミュニケーションはほとんどなし。
そんな状態なので、
両親が私との人間関係について、
どのように考えているかは知らない。
本当のところは、分からないが、
私が勝手に想像するには、
私たちの間には、大きなズレがあるのでは?
と感じている。
子供としての私の視点と
親の視点とが大分違っているということだ。
子供の頃、私は親から
どんな扱いを受けたのか?
父については、とにかく暴力が酷かった。
小学校時代、私が酷い虐めに遭って、
登校拒否をした時には、
父は毎晩のように私に暴力を振るった。
「どんな理由があれど、
子供が学校へ行くのは義務なので、
行かないお前を許せない」と言い、
大声で怒鳴りつけ、
私を殴ったり蹴ったりした。
身体の小さな私は、
「父から殺されてしまうかも」
と本気で思っていた。
毎晩、父の帰宅時間が近づくと、
私は恐怖でパニック発作を起こした。
子供の頃から、成人してからも、
私は「未熟で愚かな女」として、
父からは粗末に扱われてきた。
父の考えとは全く違う意見を言えば、
「女・子供は黙れ!」と怒鳴りつけられ、
引っ叩かれることもしばしばあった。
母は私に暴力を振るわなかったが、
私を傷つけるようなネガティブ言葉で、
私の人格を否定しまくった。
私と私の同級生とを比較して、
「あんたは何をやってもできない」と嘆き、
「ダメ人間」、「人間のクズ」、「人間失格」
「どうしょうもないバカ」、「救いようもない人」
などのレッテルを私に貼って、
私の心を大きく傷つけた。
私のやることなすことに、
常に「ダメ、ダメ、ダメ」を連発して、
批判ばかりしてきた。
今になって考えれば、
両親が私にしてきたことは、
私の後の人生においても、
非常に悪い影響を与えている。
正直言って、彼らの子育ては、
マイナス点がつくほど、
酷いものだったと思う。
しかし、親の立場になれば、
もしかしたら、
「自分たちは立派に子供を育て上げた」
と思っているかもしれない。
なぜなら、子供にはきちんと
衣食住を提供できたから。
母も家庭の主婦として、
立派に家事をこなし、
やるべきことはやっていた。
だから、自分たちは立派に
親の務めを果たせた
と満足しているかもしれない。
しかし、子供の立場である私は、
家庭内では「安心、安全」を感じられなかった。
物質的には不自由なく生活できても、
精神面では満たされることはなかった。
母の非難の言葉にうんざりして、
父の暴力に常にビクビクしながら暮らしていた。
日本の実家で過ごした時間は
不安と不満に満ちていた。
私は今では子供を持ち、親の立場になった。
自分の子供たちには、自分が経験したような
悲しい思いをさせたくない気持ちが強い。
しかし、残念なことに、
私は子供たちに対して、
良い母親ではないと感じている。
わざと悪い母親になろうとして
なっているのではなく、
自分自身に余裕がないから、
良い母親になれない、
というのが本当のところだ。
つまり、私は自分自身のことで精一杯で、
余裕がない状態で子育てをしている。
もっと子供の視点に立ち、
子供たちに寛容になり、
彼らに安心、安全基地を与えてあげたい
と思っていても、なかなかそれができない。
自分自身が未熟で、心の器が小さいから、
子供たちに対して良い母親になれないのだ。
そういう自分を客観視すれば、
親のことを批判するのも
オカシナ話だと思う。
自分も立派な親でないのに、
偉そうに親に対して理想を求めている。
おそらく、私の両親も子育てしていた頃、
今の私と同様に、
自分たちのことで精一杯だったのだろう。
父はとにかく仕事が忙しくて大変だった。
上下関係の厳しい組織で、
上司からも辛く当たられて、
苦労も多かったのだろう。
仕事を辞めたいと思っても、
家族を養っていく必要があり、
辞めることはできなかった。
だから、家に帰ればほっとして、
職場でのフラストレーションが一気に外に出る。
家族に対して暴言を吐いたり、
母や私に暴力を振るうこともよくあった。
母の出した料理が少しでも冷めていれば、
機嫌が悪くなり、激しい口調で
母を𠮟りつけていた。
「おい、飯。酒。早くもってこい」と命令調で
母に自分の欲しいものを持ってこさせる。
「俺が一生懸命働いているから、
お前らはオマンマが食えているんだ」
と自分がいかに偉い存在なのか、
父は常に私たち家族に言っていた。
とにかく父は、家の中では王様。
時には機嫌が良くなり、
家族に優しく接することもあったが、
いつもそうではなかった。
機嫌が悪い時と、そうでない時と、
父の振る舞いには大きなギャップがあり、
子供の立場では、父にどう接してよいのか
全く分からない状態だった。
父がそのような振る舞いをすれば、
配偶者としての母も大変苦労が大きい。
当然、不満やフラストレーションが溜まる。
そして、母のフラストレーションの捌け口は
弱い立場の子供である私に向いていた。
私を嫌がらせるようなことを沢山言い、
母は私を苦しめた。
私のことを言いたい放題けなして、
馬鹿にして、私を悲しませた。
今考えれば、
これも母がハッピーでなかったから。
自分が不幸せな人は、
近くにいる、自分より立場の弱い者を
虐めて憂さ晴らしをする傾向がある。
母は、自分の言ったことで、
子供をここまで苦しめるなど
考える余裕もなかったのだと思う。
母の言葉の暴力により、
私は成人してからも、
大きな心の後遺症に苦しみ、
大変生き辛い人生を送ってきた。
残念だが、母はそのことを理解するほど
精神的に成熟した人間ではない。
親は親で色々な事情があって、
大人の年齢になっても、
精神的には非常に未熟で、心の器も小さい。
そんな状態ならば、
子供に安心や安全基地を与えることは、
不可能だと言ってもよいだろう。
両親ともどもその当時の彼らの能力の範囲内で、
一生懸命子育てしてきたのだから、
まあ仕方がなかったのだろう。
その当時の時代背景も、
両親の価値観や考え方に
大きな影響を与えていたに違いない。
私の両親は、子供時代に戦争を経験した世代。
食糧難で食うか食わないかの時代を生きた。
空襲でいつ自分や自分の家族が
命を落とすか分からない状態だった。
常に警戒モードで生きてきたのだろう。
戦中、戦後を生き延びるためには、
自分に対しても、家族に対しても
常に厳しくしなければサバイバルできなかった。
躾のために子供に暴力を振るうことも、
この時代には当然のことであり、
何の問題もないと考えられた。
また、男尊女卑や年功序列の風潮が
強い社会だったせいもあり、
大人の男が女の子供を粗末に扱うことも、
普通だったのだろう。
私の両親がそのような時代背景に生きて、
精神的にも非常に未熟で、
理想的な子育てをできなかったのは、
仕方がないことだと考えられる。
そういう意味では、両親を責めるのは、
お門違いなのだろう。
しかし、私の人生において、
両親が私にしてきたことは、
私に大きなダメージを与えて、
成人してからも、
私を沢山苦しめてきた。
仕方なかったと言えば、それだけ。
でも、やはり私としては、
非常に残念な気持ちでいっぱいだ。