日本で人間関係が複雑になりやすいのはなぜ?

日本の人間関係って、
どうしてこんなに
複雑なんでしょうか?

今回は、その理由について
私の考えをお話しします。

私は20代半ばで
ニュージーランドに移住し、
現在ではこの国に
33年間住んでいます。

ニュージーランドでの
生活を通じて強く感じたのは、
ここでは
人間関係が驚くほどシンプルで、
精神的にとても楽なことです。

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心理的境界線があいまいなのが原因?

日本に住んでいた頃、
人間関係に悩んだり、
苦しんだりすることが
しばしばありました。

今振り返ってみると、
その原因の一つは、
日本では「心理的な境界線」が
あいまいになりやすいからだ
と考えています。

心理的境界線とは、
自分と他者との間に設けられた
見えない線のようなもので、
「心理的バウンダリー」
とも呼ばれます。

これは、家と家の間にある
フェンスと似ていて、
それぞれの領域が
明確に区別されています。

他人の家の敷地には
勝手に侵入しないのが
マナーでしょう。

それと同様に、人間関係にも
心理的なバウンダリーが存在し、
これが個人の精神的・感情的な領域を
守る役割を果たしています。

このバウンダリーは、
他者がどこまで自分に関与してよいか、
また自分がどこまで
他者に関与してよいかを
線引きするのに役立ちます。

具体的には、
プライバシーを守るために
他者と適切な距離を保つこと、

自分の意見や考えを大切にしつつ、
他者の意見や考えも尊重すること、

自分の時間やエネルギーの使い方を
自分で決めてよいこと、

進路や就職、結婚など
人生の選択を自分自身で行い、
その結果に責任を持つこと、

また、自分の感情には
自分が責任を持ち、
他者の感情に対しては
責任を負わなくてもよいこと
などが含まれます。

私がかつて経験した
人間関係のトラブルや、
友人から聞いた悩みの多くは、
心理的境界線があいまいだったことに
起因していたのではないか
と思います。

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心理的境界線を無視する行為が多い日本

日本では、
成人した子どもの人生の
大きな決断に、
親が関与することが
珍しくありません。

進路や就職先、
結婚相手に関しても、
親が口出しをし、
子どもの意向が尊重されずに、
親が決めてしまうことさえあります。

しかし、厳密に言えば、
こうした親の行為は、
子どもの心理的な境界線を無視し、
その領域に
侵入していることになります。

最近、日本の友人と話をしているとき、
少し違和感を覚えることが
ありました。

私の娘と息子は現在大学生で、
すでに二人とも成人しています。

日本の友人が、
彼らの進路について
尋ねてきた際に、
「彼らはこうするようだよ」
と答えたところ、その友人は
「あなたは彼らの意向に従うの?」
と質問してきたのです。

私にとって、
彼らの意向に従うのは
当然のことですし、
ニュージーランドの
イギリス系移民の多くも
同じように考えるでしょう。

しかし、日本では
必ずしもそうではないことを
改めて感じました。

このような心理的境界線の侵害は、
上司と部下、先輩と後輩の関係にも
見られます。

職場では、
仕事に関するアドバイスは
当然としても、
時に上司や先輩が部下や後輩の
プライベートにまで踏み込んで
アドバイスをしてくることがあります。

こうした行為もまた、
相手の心理的な境界線を
侵していると言えるでしょう。

さらに、
気乗りしない誘いを受けたときに
「断ったら相手が
がっかりするのではないか」
「不機嫌になるのではないか」と、
相手の感情まで
自分が引き受けてしまうのも、
心理的境界線がしっかりしていないことが
原因なのでしょう。

本来であれば、
「誘ってくれてありがとう。
でも私は気乗りしないから」
と断るだけでよいのに、
日本では断る理由まで
説明しなければならない
と感じる人が多いようです。

そのため、
相手に納得してもらえる理由を
考えることで頭を悩ませ、
結果的にストレスを感じてしまうことも
少なくありません。

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心理的境界線があいまいな文化的背景

日本で暮らしていると、
周囲の人たちがそうであるため、
それが当たり前のことのように
感じられるかもしれません。

しかし、日本を離れて
別の文化圏で暮らしてみると、
これが必ずしも
当然のことではない
と気づかされます。

日本は、
個人よりも集団を重んじる
「集団主義」の文化が根強い社会です。

そのため、
個々の意見や感情よりも、
集団全体の調和や一致が
重視される傾向にあります。

他者に合わせることや、
集団の期待に応えることが
個人に求められ、
自分の境界線を
しっかり引くことが
難しくなっているのでしょう。

また、日本社会では
「空気を読む」ことが
非常に重要視されています。

相手の雰囲気を察して
行動することが求められるため、
自分の感情やニーズを抑えてでも、
周囲に合わせざるを得ないことが
多くあるのでしょう。

さらに、日本では
直接的な表現を避け、
間接的であいまいな言い回しが
好まれる傾向があります。

そのため、相手にはっきりと
「ノー」と言うことが難しく、
自分の境界線を明確に示すことが
困難になっているのだと思います。

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ニュージーランドではどうなの?

このような文化的背景があるため、
心理的境界線があいまいであることが
一概に悪いとは言い切れません。

しかし、その結果として、
自分自身の意向を
尊重することが難しくなり、
不満がたまりやすいのでは
ないでしょうか?

そして、その不満が
周囲の人々との間に摩擦を生み、
人間関係が悪化してしまうことも
あるのかもしれません。

一方、ニュージーランドでは
人間関係が比較的
あっさりしていると感じます。

これは、この国の大多数を占める
イギリス系移民の人たちが、
心理的境界線を
しっかり引けているからではないか
と考えています。

子どもが小さなうちは
親や大人の指示に従う
必要がありますが、
思春期後半になるころには、
親や大人もその子を
一人の独立した人間として扱い、
バウンダリーを尊重する傾向が
強いように感じます。

子どもの進路や就職先、
結婚相手を選ぶことは
子ども自身の課題とされ、
親が過保護や過干渉になることも
少ないように思います。

ただし、アジア系の人々には
少し違った印象を
受けることもあります。

ニュージーランドには
アジアからの移民も多く、現在では
人口の約15%が
アジア系とされています。

私の周りにも韓国人、中国人、
インド人、カンボジア人、
ベトナム人が住んでいますが、
話を聞く限りでは、
日本と似たように
境界線があいまいな人も
少なくないようです。

心理的境界線があいまいなのは、
日本だけの問題では
ないのかもしれません。

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おわりに

今回この話を
しようと思ったきっかけは、
イギリス在住の日本人が
「心理的なバウンダリー」について
話しているのを
ネットで聴いたことです。

その方によれば、日本人は
心理的な境界線があいまいで、
境界線をきちんと引けない人が
多いのではないかということでした。

私自身も
同じように感じたので、
今回このことについて
お話ししました。

もちろん、日本人全員が
心理的な境界線を
引けないわけではありません。

ただ、このような傾向が
あるのではないか
と感じているだけで、
これは私の個人的な意見に過ぎません。

ですので、極端に
受け取らないでいただければ
幸いです。

この件に関しては、YouTubeでも
トーク動画を投稿していますので、
ぜひそちらも
ご覧いただけると嬉しいです。
リンクは以下の通りです:
https://youtu.be/sc3xxu2oiJY?si=m7Vv3O407nl3YxrN