ここ数年、私は練習していることがある。
それは、意識して不必要に謝らないことだ。
誤解のないよう前置きすれば、
何か悪いことをしてしまったり、
悪気はなくても、他人を傷つけたり、
迷惑をかけてしまったりした場合には、
必ず真摯にお詫びすることが必要だ。
そうすることは基本的で大切なマナーだから。
しかし、私には、
謝らなくてもよい時に、
不必要に謝ってしまう癖がある。
何を謝罪しているのかと言えば、
自分がここに存在すること自体に
「ごめんなさい」と言っているのだ。
これは、心が健全な人には、
理解しがたく不可解なことだろう。
どういうことだか説明すれば、
自分は無能でダメな人間で、
ここにいることで、
他人に迷惑をかけてしまう。
自分のやったことが至らなくて、
他人に良いものを提供できず、
悪かったという気持ちが出てくることだ。
私自身、冷静に考えれば、
自分がこのような気持ちになるのは、
明らかに変なことだし、
かなり病的だとも感じている。
しかし、顕在的にはそう思えても、
潜在的には、なぜか自分の存在が
恥ずかしいもので、劣った役立たずの存在である、
と感覚的に思ってしまうことがある。
そんな感覚に襲われれば、
「ごめんなさい」と自然に言葉が出てくる。
最近は大分改善したけれど、
昔は「ごめんなさい」の気持ちが
しばしば自分の中に湧いてきて、
しょっちゅう色々な場面で
「すみません」とか、「ごめんごめん」
というような言葉を発していた。
自分に謝り癖があること自体
気づいていなかった時期もあった。
数年前、カウンセリングセッションに
定期的に通うようになって以来、
私はこのことを意識するようになった。
私の発する言葉の中に、
自分を卑下する言葉や、
理由のない謝罪の言葉が多く、
カウンセラーが「これは健全な状態ではない」
と私に知らせてくれた。
セッションを続けるうちに、
なぜ、自分がこうなったのか、
その原因がはっきり見えてきた。
それは、日本の実母より、
幼少期から成人した後までも、
常に否定的な言葉を投げつけられてきたからだ。
「こんなこともできないの!」、
「あんたは本当に何もできない人ね」、
「A子ちゃんは立派なのに、あんたときたら…」、
「そんなことして、
人様にどう思われるか分かるの?」、
「ああ、本当に困ったちゃんだわ」、
「ダメ人間」、「心の冷たい人」、
「常識知らず」、「人間のクズ」、
「あんたの考え方は間違っている」、
「バカ娘」、「嫁の貰い手もない」等々、
私の日本の実家では、ほとんど毎日のように、
私に対して非難や人格否定の言葉が飛んできた。
子供の頃から成人した後でも、
ずっとこのような言葉を
実の親から聞き続ければ、
「自分は無能な悪い人間で、
ここに存在すること自体、
他人の迷惑になっている。
自分は生きていないほうがマシなのかも」
という不健全な思い込みを刷り込んでしまう。
一般的には、かなり病的だと思えても、
こういう環境下で育てられれば、
そうなっても不思議ではない。
日本の実家内では、
常に「ごめんなさい」と言ってなければ、
「ここで一緒に生活してよいよ」と許可されず、
歓迎されないような空気が流れていた。
日本の実家は、私にはかなり息苦しい所で、
私は実家では、自分の居場所を
見つけることができなかった。
常に他人の意見を尊重して、
自分の意見は言わずに、
自分が肯けない時にも、自分を殺して、
「はい、そうですね」と言っていた。
何か事が起きれば、悪いのは相手ではなく、
いつも自分のせいだと思った。
自分の意見を述べることを許されない
抑圧された環境で生きてくれば、
そういう姿勢になっても驚きではない。
ちょっと病的な謙虚な姿勢でも、
日本社会ではそれほど問題はなかった。
私が日本に住んだ頃には、
男尊女卑の風潮が強く、
若い女性である私が、常に「すみません」
という態度を示すことは、
年上の人々や先輩たちに
それほど不快感を与えなかった。
むしろ、「はい、そうですね」と肯いている私を
「謙虚で良い子だ」と思ってくれた人もいる。
しかし、ニュージーランドでは、
私の謝り癖は誤解を生むことが多く、
他人から信用を得られないという
大きなハンディーになっている。
「すみません」、「ああ、ごめんなさい」
と言う私を見て、「あなた、何を謝っているの?
何も悪いことをしていないでしょ?」
と言ってくる人もいた。
よく考えれば、私は何も悪いことをしていない。
迷惑をかけてもいないのに、
なんだか謝罪しなければいけない気がして、
「ごめんなさい」と連発していた。
ニュージーランド社会では、
自分に誇りを感じて、
「私はこれもできます。あれもできます。
私は素晴らしい人間なんです」
と言える人のほうが高く評価される。
実際に能力がありながら、
「いやいや、私はあまり上手くできません」
なんて謙遜する人は、変な人だと思われ、
問題ある人だと受け取られる。
冷静に考えれば、
私も人並みの人間なはずだ。
できないところ、至らないところもあるが、
できるところ、優れたところもある。
平均すれば、普通の人だと言えるだろう。
そんなに自分を卑下して、
存在自体が他人の迷惑になっている
なんて思わなくてもいいはずなのに、
なぜだか、そう思ってしまうこともある。
未だに昔の変な感覚が
私を襲ってくることがあり、
「ごめんなさい」と言わないと、
ここに居てはいけないと感じることもある。
子供の頃に癖づいたものは、
大人になってから、元に戻すのは、
そんなに容易いことではない。
日本に住んでいれば、謝り癖が多少あっても、
そんなに損することもないし、
不可解に思われることもないだろう。
しかし、私が暮らしているのはニュージーランド。
もちろん、悪いことをした時には謝るが、
そうではない時には、不必要に「ごめんなさい」
と連発しては、他人から「変な人だ」と思われるだけ。
今では、大分、不必要な
「ごめんなさい」、「すみません」も減ってきた。
しかし、ちょっと気を緩めたら、
昔の謝り癖が戻ってきたと意識することもある。
謝るべきとこには、潔く謝る。
しかし、謝る必要がない時には、
理由もなく「ごめんなさい」、「すみません」
の言葉を連発してはいけないと思う。
そうならないよう、私は未だに練習している。