今回は、私が日本を離れて
良かったと思うことについて
お話ししようと思います。
それは、日本にいたころ、
私はある思い込みに縛られていて、
そのせいでけっこうつらい思いを
していたことです。
しかし、
ニュージーランドでの生活を通じて、
その思い込みが正しくなかった
と気づくことができ、
手放すことができました。
この点で私は
救われたと感じています。
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私はダメな人間
日本にいたころ、私は自分のことを
「ダメな人間」だと思っていました。
自分自身に対して
ネガティブな感情を抱き、
惨めな気持ちになることも
しばしばありました。
今振り返ると、
これは不当な思い込みであり、
正しい考え方ではありません。
でも、おそらく
あのまま日本に住み続け、
ニュージーランドでの生活を
経験しなかったならば、
この思い込みを
ずっと抱えたままだったでしょう。
日本を離れたおかげで、
この思い込みを手放すことができ、
自分に対するネガティブな感情も
少なくなりました。
そして、今では
自分らしく生きることが
できていると感じています。
なぜ、私が自分を
「ダメな人間」だと思ったのかには、
いくつか理由があります。
まず第一に、
私は女子力がありませんでした。
気配りが上手にできず、
相手のことを察するのも
苦手でした。
料理や裁縫、掃除などの家事も
得意ではなく、
顔もかわいくなく、
上品でもないと感じていました。
これらの点で、私は
女子力が劣っている
と思っていたのです。
女子力がなくても、
社交的で明るい性格なら
まだ良かったかもしれませんが、
残念ながら私は内気で大人しく、
友達も少なく、根暗でした。
母からは「こんな性格では
嫁の貰い手もない」
と言われたこともあります。
私が日本に住んでいたころには
「学歴神話」があり、
学業で優秀ならば
認めてもらえたでしょうが
私は勉強も
得意ではありませんでした。
実際、大学受験では
すべての四年制大学から
不合格通知を受け取りました。
女子力もなく、内気で根暗、
学歴もいまいちという点で、
私は自分を「ダメな人間」
と思い込んでいました。
母親からもそのようなことを
言われることが多く、
本当に自分は負け組だ
と感じていました。
勉強が得意でないのは
仕方ないとしても、せめて
女子力や社交性は
努力すれば改善できるだろうと思い、
頑張ったこともあります。
しかし、頑張っても
思うようにうまくいかず、
ただ疲れるだけでした。
こんな気持ちで生活していれば、
当然幸せになることは
できないでしょう。
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社会風潮が私の思い込みの原因だった
今振り返ると、当時の日本には
女子力が高いこと、社交的で明るいこと、
そして立派な学歴を持っていることが
価値ある人間だとする
社会風潮がありました。
学歴神話にしても、
明確な根拠やエビデンスが
あるわけではないのに、
多くの大人たちが
疑いもなく信じていました。
これは、そのような社会風潮が
存在していたからです。
多くの人がこの風潮に従い、
それが世の中の常識だ
と思っていたのでしょう。
私の親もそうでしたし、
私自身も無意識のうちに
それを信じ込んでいました。
そのため、
私はどの点でも劣っており、
人間的に価値がない、
ダメな人間だ
と思い込んでしまったのです。
日本を離れて初めて気づいたのは、
女子力があること、
社交的で明るいこと、
学歴が立派なことが
価値ある人間とされるのは、
狭い社会で通用することであり、
すべての場所で同じように
考えられるわけではない
ということです。
ニュージーランドでは
全く違った社会風潮があり、
異なる空気が流れています。
そのことに気づき、
私がこれまで抱いていた思い込みは、
どこでも誰にでも
通用するものではない
と確信できました。
もちろん、女子力があること、
社交的で明るいこと、
学歴が立派なことは
ニュージーランドにおいても
悪いことではありません。
むしろ望ましいこと
とされているでしょう。
しかし、日本との違いは、
女子力がなくても、
内気で根暗であっても、
学歴がなくても、
それが人間の価値を決めるものではない
と考える人が多い点です。
そのため、日本にいたときのような
惨めな気持ちになることも
なくなりました。
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ある社会での常識も外から見れば非常識
日本を離れて気づいたのは、
私たちが当たり前だと思っている
常識や自然なふるまいが、
他の国や文化の人から見れば
普通ではないことも
多々あるということです。
私たちは、
自分が所属する集団や社会で
共有されている常識や社会通念を、
疑いもなく当然のこととして
受け入れています。
そして、無意識のうちに
それが自分のものの見方や価値観に
強く影響を及ぼします。
自分の文化圏で
常識とされていることは、
客観的に正しいことだ
と考えがちです。
しかし、
異なる文化の人から見れば、
それらの常識や社会通念は
奇妙に見えることもあるのです。
日本の学歴神話も、
その一例です。
このことは、
日本でずっと生活していれば
なかなか気づきにくいものです。
日本を離れ、
全く異なる文化圏で
生活をすることによって
初めて気づけたことです。
もし日本に住み続けていたら、
私は学歴も立派ではないし、
女子力も全然ないし、
性格的にも内気で根暗だから、
人間的に価値が低い
と思い込んだままだったでしょう。
人間的な価値を高めようと
女子力を磨いたり、
社交的になろうと努力し続け、
自分らしく生きられない時間を
もっと長く過ごしていたことでしょう。
人は知らず知らずのうちに、
自分の住んでいる社会やコミュニティ、
学校、家庭などの影響を受けて、
考え方や価値観を形成していきます。
そして、
一度形成された考え方や価値観を
当然のように持ち続け
疑うことをしません。
しかし、多くの人はそのことに
あまり気づいていないようです。
おそらく私も
日本にずっと住んでいたら、
このことを意識することは
なかったでしょう。
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いつでもどこでも誰にでも通用する絶対的な正解はない
ニュージーランドでは、
日本とは異なる社会風潮があります。
この国では、学歴神話を
奇妙に感じる人が
多いように思います。
その代わり、
スポーツができることが
非常に重要視されています。
また、日本で高く評価される
女子力よりも、
DIYなど実用的なスキルを持つ人のほうが
高く評価される印象があります。
誤解のないように
お伝えしますが、
私は日本の社会風潮よりも
ニュージーランドの社会風潮が
優れていると
言っているわけではありません。
それぞれの国には
異なる社会風潮があり、
異なる価値観が存在します。
どちらが良いとか悪いとかではなく、
それぞれの社会風潮は狭い社会でのみ
通用するものにすぎません。
つまり、どのような価値観でも、
いつでもどこでも誰にでも
通用する絶対的な
正解ではないということです。
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自分を幸せにする思い込みを持とう!
どの社会にもその特有の空気が
流れており、その社会風潮に
強く影響を受けながら
私たちは生活しています。
その社会や集団の中にいれば、
それが当然のことのように思われますが、
客観的に見れば、それは
必ずしも正しいことではありません。
なぜなら、それらは
いつでもどこでも誰にでも
通用するものではないからです。
今、私が強く感じているのは、
どのような思い込みを
心の中に持つかは
個人の自由であるということです。
どの思い込みも
絶対的に正しいわけではないのなら、
自分を落ち込ませるよりも、
自分を幸せな気持ちにしてくれる
思い込みを持ったほうが、
自分も楽になり、
毎日がより楽しく
なるのではないでしょうか。
以前の私のように、
社会風潮に影響を受け、
自分自身に対して
否定的な思い込みをしている人も
いるかもしれません。
もしそのような人がいれば、
自分が信じ込んでいることを
疑ってみるとよいでしょう。
なぜ自分はそのように
思い込んでしまったのか、
それは社会的な背景に
強く影響を受けただけです。
今の自分がいる社会から抜け出し、
別の社会に移ったなら、
自分の思い込みが
必ずしも正しいわけではないことに
気づくでしょう。
それなら
自分を悲しくさせたり
苦しめるような思い込みを緩めて、
自分にとって心地よい考えを
取り入れることを提案したいです。
重要なので繰り返しますが、
絶対的に正しい思い込みなど
ありません。
自分がハッピーになる思い込みを持って、
心を楽にし、幸せな気持ちで
生きるほうが得策ではないでしょうか。
自分を苦しめる思い込みは手放し、
もっと自分を幸せな気持ちに
させてあげましょう!