私は日本で生まれて
成人するまでは
ずっと日本に住んでいました。
20代半ばで
ニュージーランドに移住し、
この国で33年間生活しています。
私は日本にいたときよりも、
この国で幸福を感じる時間が長くなった
と感じています。
なぜそうなのかを
この記事では
シェアしたいと思います。
====
日本にいたころ考えていた「幸福の定義」
私も人間ですので、怒ることも、
がっかりすることも、
悲しくなることもあります。
それでも、
日本に住んでいたときよりも、
心が穏やかになり、
幸せな気持ちで過ごす時間が
増えたように感じます。
なぜそう感じるのかを
考えてみました。
私がたどり着いた答えは、
日本にいた頃と現在とでは、
幸福の定義が
異なるものになったからです。
具体的に言うと、
日本に住んでいた頃は
「あの学校に合格すれば幸せになれる」、
「あの会社に入れば幸せになれる」、
「この資格を取れば幸せだ」
といったような幸せを追求していました。
一般的に「その会社で
働けることはエリートの証」とされることや、
「難関な資格を持っていることが
素晴らしい」とされる社会的な評価が
あったからだと思います。
親をはじめとする周囲の人々も
この考え方をしていたため、
私も強く影響を受け、
それが幸福への道だと
信じて疑わなかったです。
====
不足感を感じながら頑張っていた日々
「これを達成すれば、私は幸せになれる」
と強く思い込んでいたため、
何かの目標に向かって、
常に何かを追い求めていた記憶があります。
逆に言うと、その目標を達成できなければ、
幸福を手に入れることはできない
と考えていたわけです。
そのため、
必死に努力する時期もありました。
目標を達成して
成功を収めることもあれば、
どれだけ努力しても
上手くいかないこともありました。
そのたびに一喜一憂する
自分がいました。
振り返ってみると、当時は
常に他人と競争しているような感覚が
ありました。
競争で良い結果が出れば得意になり、
そうでなければ落ち込む、
というサイクルを
繰り返していました。
目標を達成したときは
一時的な喜びはありましたが、
その喜びを手に入れた後は、
また不足感を感じるようになり、
すぐに次の目標を考えるようになりました。
そのときも、
「あれを達成できたら幸せになれる」
と考えていましたが、
実際にそれを手に入れても、
一瞬の幸福は感じるものの、
長続きすることはなかったです。
常に自分の足りない部分に目が行き、
その足りない部分を
埋めなければ幸せになれない
と思っていたのです。
一つの足りない部分を埋めても、
次には別の足りない部分が目につき、
いつも足りない部分を
埋めようと必死に頑張っていました。
しかし、
このようなサイクルを繰り返しても、
いつまで経っても足りない部分は埋まらず、
満足感を得ることは
ありませんでした。
====
それは自分が心底望んだことではなかった
その当時、私は
自分が望むことをしている
と思い込んでいましたが、
今振り返ると、
そうではなかったように思います。
それは自分自身が
心底から望むことよりも、
周りの人たちが「これが良い」
と高く評価するため、
私もそれが良いと信じ込んでいたのです。
自分がそれを行えば、
他人から褒められたり、
高く評価されるだろう
という期待が心のどこかにありました。
要するに、
自分自身の本当の欲求ではなく、
社会や周囲の人々、
そして親の期待に
応えようとしていたのです。
その結果、
何かに取り組んでいても、
なんとなくしっくりこない感じが
していました。
====
自分軸と他人軸で生きることの違いとは?
現在の生活では、
自分らしさを大切にして
生きていると思います。
この「自分らしさ」が鍵であり、
それによって幸福を
感じやすくなるのだと考えています。
以前とは違って
他人がどう思うかではなく、
自分が良いと感じるから、
それをやっているのです。
自分が心の底から
楽しいと思えることをしているため、
充実感も感じています。
たとえその行動が
社会的に評価されなくても、
自分が満足できることを
追求しているということです。
以前は他人の評価を気にして
他人の期待に応えようと必死でしたが、
今は他人の意見に左右されずに、
自分自身が大切に思うことを
しています。
他人に不都合をきたさない範囲で、
自分らしさを追求して
生きているとも言えるでしょう。
別の表現をすれば、
以前は他人軸で生きていたのに対し、
今では自分軸で生きています。
この違いが、幸福を
感じやすいかどうかの差に
なっていると思います。
真の充足感と
幸福を感じるためには、
自分自身を大切にし、
自分の意向を尊重して
自分らしく生きることが必須です。
昔の私は他人の価値観に
合わせようとするあまり、
自己を見失っていました。
そのため、
外部からの評価に振り回され、
幸福を感じにくかったのです。
一方、現在は
自分自身を尊重できており、
それが幸福な時間を長くしています。
====
ニュージーランドは自分軸で生きやすい社会
日本に住んでいても、
自分らしく生きることができれば、
同様に幸福を感じることが
できるはずです。
しかし、それでもなお、
私はニュージーランドでのほうが
自分らしさを追求しやすい
と感じています。
その理由は、周囲の人々も
自分らしさを大切にして
生きている人が多いからです。
自分らしさを大切にする雰囲気が、
ニュージーランドに広がっています。
自分を取り巻く環境が与える影響は
非常に大きいと感じています。
自分らしさを重んじる人々に囲まれると、
自分も自分らしさを
尊重しやすくなります。
一方、日本は未だに
競争社会の側面が強く、
社会全体の風潮から
他人の評価を求める方向に
流れやすい環境があると思います。
その結果、自分らしさよりも
他人の評価を優先してしまうことも
少なくないのでしょう。
====
おわりに
今回お話ししたことが
正しいかどうかは分かりません。
反論する方も
いるかもしれませんが、
これは私自身が感じたことであり、
一つの意見として
受け取っていただければ幸いです。
個人的には、ニュージーランドでは
自分らしさを大切にしやすい環境にある
と感じています。
そのため、私が幸福を感じる時間が
増えたのだと思います。
もし今の自分に満足できず、
昔の私のように
不足感で悩んでいる方がいれば、
この話が参考になるかもしれません。
YouTubeでも
この話題についてのトーク動画を
投稿しています。
そちらも合わせて
ご覧いただければ嬉しいです。
動画のリンクは以下の通りです。
https://youtu.be/9izmgBiiUaw?si=sAqnZIKimPIji8Zf