私たちは常に
何らかの悩みを抱えている。
「悩み事がなくなれば、
どんなにいいだろう」
と夢見ることもしばしばだ。
悩むのはいけないこと、悪いことだ
と思い込んでいる人もいる。
しかし、
悩むのは人間の自然な姿。
悩みがあっても不思議でないし、
むしろ当然だと言える。
今回は「悩むことに
罪悪感を抱かないほうがよい」
という話。
====
悩むことをネガティブに
とらえる風潮もあるが、
これは
あまりにも非現実的。
私たち人間は
悩む動物だからだ。
人間にとって一番の恐怖は
死ぬこと。
生物学的に
死ぬことだけでなく、
社会的に自分の存在を
認められなくなることに
大きな恐怖感を抱く。
だから、心身の不調や
人間関係の不調に対して、
常にバリアを張り巡らし、
警戒して生きている。
少しでもヤバイ
と思われるサインを見つければ、
それを「悩み事」としてとらえ、
気を病んでしまうのだ。
生き延びるためには
警戒心を強めて
身の回りで悪いことが
起きていないか?
常にチェックする必要がある。
そのため、私たちは
ネガティブなことに
異様なほど強く反応して
注目する傾向がある。
人間にこういう性質がある以上、
悩むことは自然なことであり、
当然のことだと考えられる。
====
悩むことに罪悪感を抱けば、
二次的ストレスも生じる。
悩み事そのものが
一次的なストレス。
更に
悩むことがいけないことだ
と信じ込むことで、
悩んでいること自体が
悩みの原因となり、
2重のストレスを
抱えることになる。
悩むことは悪いこと
と思わなければ、
悩むことによる
罪悪感は生じない。
悩みそのものだけが
問題だから、
不必要に
2次的ストレスを感じることなく、
ツラさも半減される。
私たちは
あまり自覚していないが、
悩むことについての罪悪感、
つまり2次的悩みにより、
自分自身を
苦しめていることが多い。
人間である以上、
悩むのは自然のこと
と受け入れてしまったほうが、
悩むこと自体を
悩まないので、
気持ち的にも随分ラクだ。
====
「悩んでもいいんだ」
とまずは悩みを受け入れよう。
その上で、
考えることがある。
その悩みは、
問題解決できるものか?
それとも
自分ではコントロール
できないものか?
はっきり区別するとよい。
悩むことにより、
色々考え対策案を立て、
それを実践することで、
悩みが解決したり、
自分自身をより良い状態に
導けるのなら、
自分の時間やエネルギーを
積極的に悩み解決に費やそう。
しかし、
どんなに悩んだところで、
自分には何もできないこと、
コントロールできないこと、
どうにもならないことは、
どうにかしようと
頑張らないほうがよい。
それよりも、できるかぎり、
悩みを起こす原因から、
自分自身を遠ざけたほうが
賢明だ。
どうしょうもないことに
一生懸命になっても、
貴重な時間やエネルギーを
無駄にするだけで、
何も良いことは起きず、
自分が
疲れ果ててしまうだけ。
あまりお勧めできないことだ。
たとえば、
メディアのネガティブで
センセーショナルなニュースを観れば、
多くの人が不安に駆られ、
心配になってしまうもの。
メディアは
ちょっとズルイところがある。
ネガティブで不幸な
ニュースばかりを意図的に流して、
大衆を煽ったり、
特定の方向へ多くの人々を
導くようなことをする。
人間はネガティブバイアスがあり、
ネガティブな情報に
強く反応する性質がある。
メディアは
このことをよく知っていて、
悪用しているのだ。
悪いニュース、残酷な映像ばかりを
次々と見せつけてくる。
このほうが
幸福なニュースを流すよりも、
ずっと視聴率を上げれるから。
多くの人の目を引き、
注目して貰えるからだ。
こういうメディアのやり方に
騙されて、
彼らの期待通りに
反応してはいけない。
不幸で衝撃的なニュースにより、
悩んでしまうのなら、
そんなニュースは
観ないほうがずっとマシだ。
自ら不安や悩みの種に
近づかないほうがよい。
====
今回の話をまとめれば、
1)悩むことは
人間の自然な姿。
2)「悩んでも当然」と受け入れれば、
悩むこと自体に悩むこともなくなり、
悩みから生まれる苦痛も半減する。
3)悩みが出た時、
自分でどうにか解決できるものか?
そうではないのか?
はっきり区別すること。
4)解決できるものは、
対策案を練って、実践する。
5)自分には
どうしょうもないことなら、
できるだけ悩みの原因となるものから
自分自身を遠ざけるよう努めること。
悩むことについて、
自分自身のとらえかたを変えれば、
気分的にも随分救われる。