パニック発作が消えたとき

心臓がドキドキして鼓動が異常に烈しくなる。耳の奥で強く打つ鼓動の音がうるさい。喉の奥に何かが詰まっているような感覚があり、息苦しくて、どうしようもない。「苦しい! 苦しい! 本当に苦しい! 誰か助けて!」 両手、両腕はビリビリと痺れ、口の中はカラカラに乾き切る。胃の気持ち悪さと同時に、頭がクラクラして血の気が引いたような感覚だ。身体全体が震えている。特に足の震えは強く、貧乏ゆすりが止まらなくなったような状態だ。すべてがスローモーションで起きているように見えた。「私はもう死んでしまうのか?」と強い不安に駆られ、死の恐怖を味わった。

この身体の感覚を初めて経験したのは、私が小学校4年生のとき、見知らぬ男に自宅に侵入され性的暴行を受けたときだ。「服を脱げ!俺の言うことを聞かないと、お前を殺すぞ!」と脅迫され首を絞められたときに、私は生まれて初めて「死の恐怖」を体験することになった。

その後、私はこの不快な身体の感覚を、何度も何度も繰り返し体験するようになる。学校で虐めに遭っていた私が登校拒否をしたとき、父は体罰として、私に暴力を振るった。ものすごい権幕で私を怒鳴りつけ、私のことを力の限り蹴ったり殴ったりした。

父は毎晩9時過ぎに帰宅した。家に着いて、母から私がその日に学校へ行かなかったことを知らされると、父の怒りは爆発した。「何度言ったら分かるんだ! 子供が学校へ行くのは義務なんだ! お前はなんで今日も学校へ行かなかったんだ!」と怒り出して、その後、私に暴力を振るった。

私は父が怖かった。父が力の限り私を蹴ったり殴ったりするとき、見知らぬ男に襲われ「お前を殺すぞ」と脅迫されたときと全く同じ身体の感覚を味わった。毎晩、毎晩、父は仕事から帰宅すると、私に体罰を与えた。私は「父に殺されてしまうかも」と本気で思っていた。

父の帰宅時間が近づくと、私の不安は徐々に増してゆく。不安はあまりにも大きく膨れ上がり、私はその不安に飲み込まれていった。こうなると、もう自分ではコントロールがきかない。心臓がドキドキし出して、息苦しくなった。そして、いつものあの身体の感覚が戻ってくるのだ。「苦しい、苦しい。誰か助けて! 私はもう死んでしまう!」

そのうち、私は夜が怖くなった。夕方になり、空が暗くなるにつれ、私の不安は増大していった。今夜もまた苦しくなるんだという予期不安に襲われ、私の頭はそのことで一杯だった。

父が出張で今夜は帰宅しないと分かっていても、私のパニック発作は起きるようになった。

 パニック発作が起きるとき、私は自分の命に大きな執着があった。「どうしても、私は死にたくない」と切実に願った。「息ができない、苦しい、誰か助けて! 私はどうしても、どうしても死にたくない。死ぬのは嫌だ!」と強く思った。

パニック発作は毎晩、毎晩起きたが、今振り返ってみれば、どのくらいの期間、私がこの症状に悩まされていたのかは分からない。主観的には本当に長く続いたように感じる。でも、「どのくらい?」と聞かれれば、「分かりません」というのが私の答えだ。

ただ、はっきりと覚えていることがある。それは、私の発作が突然パッタリと止まった日のことだ。

毎晩、毎晩繰り返す苦しみに、私は疲れ果ててしまった。死ぬのが怖くて、どうしても死にたくないと思った。でも、こんなに苦しいのを毎晩経験するくらいなら、いっそのこと、もう死んでしまってもいいかもと思えるようになった。死んでしまえば、この苦しみからも解放される。「それなら、もうそれでいいか」と諦められた瞬間があった。

そのとき、私の身に不思議なことが起きた。心の底から「もう、どうでもいいや」と思えたとき、私のパニック発作はパタリと消えた。今まで、毎晩、毎晩同じ時間になると私を襲ったあの苦しみが、突然、止まったのだ。

夜になっても心臓がドキドキして息苦しくなることがなかった。今夜も起きるはずのあの苦しみが、私を襲うことはなかった。私はこの晩のことを、今でも鮮明に覚えている。

その後、再び発作が起こらなかったわけではないが、毎晩、毎晩同じ時間に習慣的に起きることはなかった。

時が経ち、年齢を重ねるにつれて、私はなぜか不思議なほどに自分の心臓の健康を信じるようになった。会社勤めをしたとき、社内の定期健診で「不整脈」と言われたことが何度かあった。そのたびに、私は大きな病院で精密検査を受けた。そして「あなたの心臓はいたって健康ですよ」と複数の医師から言われたのが、私をそう思わせることになったのだろう。なぜだか分からないが、私は自分の心臓がとても丈夫だと信じるようになった。パニック発作の前兆を感じたとき、いつも自分にこう言い聞かせた。「私は丈夫な心臓の持ち主。だから、大丈夫」と。

発作が頻繁に起きていた頃には、自分自身が不安に飲み込まれてしまい、症状が徐々に強くなっていった。しかし、発作の前兆が見えたとき、自分で「大丈夫だ」と言い聞かせるようになってから、その後、息苦しさは軽くなり、数分も経てばすっかり消えて行った。